2-03 マーメイドに恋して
曾祖父の十三回忌に叔父たちに飲まされてスナックで目を回した僕。
そこで介抱してくれたホステスと、話の流れで僕が童貞を失った時の話になり…
「どう? 少しは楽になった? もどせるようならね、全部もどしておいたほうがいいのよ」
「大丈夫です…。それにもう、もどせるモノもないと思うし。だいぶ楽になりました」
「そぉ? お水、ココ置いておくから。お口ゆすぐだけでもスッキリするわよ」
「うん、ありがとう」
「もう少しゆっくりしていて。もうじき片付けも終わるから」
「すいません、ご迷惑をおかけして…」
「いいのよ、あんなに飲ませるオジサン達が悪いわ。それにもっと早くワタシが気付いてたら止めてあげられたのに」
「気にしないでください。でもあの人たち、なんで曾祖父ちゃんの一三回忌であんなに盛り上がれるだか」
曾祖父の十三回忌に顔を出したら叔父達に昼間っから飲まされ続け、三軒目のスナックで目を回してこの有様である。今介抱してくれているのはスナックのホステスさんで、とても綺麗なお姉さんだ。源氏名をユリさんというらしい。
「田舎はね、若い男の子と飲む機会なんてほとんどないのよ。オジサン達みんな嬉しそうだったでしょ? 若い子に説教したり自慢話できるのが嬉しくて仕方ないの」
「聞かされるほうは、たまったもんじゃないんだけど…」
「そうね、でもそうやって聞きに回ってくれる人がいると、お酒の席ってスムーズに回るのよ。正直ワタシは助かっちゃった」
ユリさんは、ペロリと舌を出しながら冷たいおしぼりを出してくれる。ワザとらしい化粧と衣装が水商売らしさを出してはいるが、こういう可愛らしい少女のような仕草が本来の彼女なのだろう。落ち着いた雰囲気は明らかに年上なのだが、素の彼女は僕とそんなに変わらない歳なのかもしれない。
「念の為聞いておくけど、未成年じゃないわよね?」
「ええ、去年大学を卒業しました。そんなに子供っぽく見えますか?」
「そうね、童顔っていうの? 顔の感じが可愛らしいんだもの。それと女慣れしてないような、ウブな感じって伝わるかな?」
「童貞っぽいっていうんでしょ。よくいわれますよ。でも僕、童貞じゃありませんからね」
「ンフフ、そうなんだ。ワタシこういう勘は鋭いほうだって思ってたんだけど、外れちゃったかぁ~」
「大外れじゃないです。半分は正解なんですよ。僕、彼女がいたことはないんで…」
「あら、そうなの? じゃあ、もしかして…」
ユリさんは、ワザとらしく引いてみせる。僕のことを風俗童貞と勘違いしたのかもしれないな。
「僕の名誉のためにいっておきますけど、風俗とかじゃないですからね」
「あら、ごめんなさい。じゃあどんな初体験をしたのかな? 気になっちゃうわ」
「僕の初めての話をしても誰も信じてくれないんだけど…」
「そうなの? でもワタシは聞きたいわ」
ユリさんは片付けが終わったようで、ハンドタオルで手を拭きながら僕の隣に腰をおろす。お化粧と香水の香りがふんわりと香ってドキリとさせられた。そして小首をかしげて僕の童貞喪失の話を促す。胸元の空いたドレスで豊かな胸元を寄せるように身を乗り出すものだから、僕は目のやり場に困って視線が泳いでいた。
「それじゃあ話しますよ。僕が小学生の時にこの村で起こった夏休みの話を」
「へえ、舞台はココなんだ。ウフフ、ちょっと楽しみ」
こうして僕は十年以上前の思い出の話をすることとなったのである。
ーーーーー***ーーーーー
その夏は避暑も兼ねて、家族でおばあちゃんの家に遊びに来ていた。その間、僕は従兄弟二人と渓流のキャンプ場で過ごすことが多かったと思う。ゲームをしなければ、川で遊ぶことしかやることもなかったからだ。
その日は従兄弟達と更に上流に上っていた。そこから浮き輪にのって降りてくるのが地元に住む従兄弟達の遊びなのである。その地元遊びに何度か付き合っているうちに、僕の冒険心に火がついたのだろう、肌寒く感じるくらいまで川を上っていた。渓流の中休みといってもいいような場所を見つけた僕は、浮き輪を枕に大きな岩の上で日向ぼっこをして体を温めると、いつの間にかうたた寝をしてしまう。
人の気配を感じて目を覚ますと、川の方にゆっくり泳ぐ人影が目に止まった。最初は従兄弟達が上ってきたのかと思ったが、川を泳ぐ人影はしなやかでとても美しい泳ぎの女性のようだ。よく見るとその女性は何も身につけずに泳いでいて、僕はどうしようもない背徳感とともに目を離すことができなくなってしまう。楽しそうにゆったりと泳ぐ姿は、人魚姫が現れたのじゃないかと思ってしまうくらいだ。
突然人魚姫と視線がぶつかると、彼女がゆっくりと平泳ぎでこちらに近づいてくる。どうやら僕の存在に気づいていたらしく、ニコリと笑顔さえ浮かべていた。
「ねえキミ、ワタシと一緒に泳ごうよ。ここって流れが緩くて陽も当たるから気持ちいいの」
「あ、あの、ボク覗く気はなくって」
「いいよ、そんなこと気にしてないから。でも…そうねえ、キミも全部脱いでおいでよ。そうすればお互い様でしょ?」
「え、でも…」
「もしかしてキミ、泳げない?」
「そんなことはないよっ」
「じゃあむっつりスケベなの? ワタシの裸を見ておいて自分は見せたくないっておかしくない?」
「………うん、そうだね。おかしいと思う」
恥ずかしさよりも好奇心が勝っていた僕は、すぐに海パンを脱いで川に飛び込んだ。この瞬間の行動は、我ながら即断即決だったと思う。だからなのか、僕が急に飛び込んできて彼女はビックリしているようだ。
「んふふ、どう? 気持ちいいでしょ?」
「うん、きもちいい」
「ねえ、ワタシの手を握って泳げる? 一緒に泳ごう」
彼女と泳ぐのはとても楽しかった。追いかけたり、深く潜ったり、プカリと浮いてみたりと、何をしても楽しく感じる。あっという間に夢のような時間が過ぎていくと、僕はいつの間にか自分の体力の限界を超えてしまったようだ。突然引っ張られるように足が攣り、溺れてしまったのである。
彼女の手を掴むこともできず、大量の水が口からも鼻からも押し寄せる。苦しくてジタバタすることしかできない僕を、彼女は後ろから抱きしめて川の浅瀬まで引き上げてくれた。その力が力強くて、やっぱり彼女は人外の人魚姫なんだと思ってしまう。
「ゲホッゲホッウェェ~ッ! ゴホッゴホッ ハァハァハァはぁ~、死ぬかと思った」
「大丈夫? 足攣っちゃったんだよね? コッチの足かな、伸ばすよ」
彼女に攣った足を伸ばしてもらい、僕はその間に息を整える。恥ずかしいことこの上ない格好だけど、そんなことはいっていられない。今は息を整えるので精一杯だ。
「ありがとう、もう大丈夫だと思う」
「ごめんね。楽しかったから、いつのまにかキミに無理させてたのかもしれないね」
彼女はとても整った顔立ちだけど、少し寂しそうな表情をしていて僕は目を逸らせなくなっていた。もしかしたら、彼女は嫌なことがあって気晴らしでここで泳いでいたのかもしれないと、子供心に思ってしまう。彼女が僕の手を取って隣に腰掛けると、もたれ掛かるように体を預けて、寂しそうに笑った。
「少しの間だけど、一緒に遊べて楽しかったよ。ごめんね、無理させちゃったね…」
肌と肌が直に触れ合い、彼女の甘い香りを間近に感じて僕は赤面を自覚した。水の中だと抱きついても沸き起こらなかった感情に、ムクムクと肉体が支配されていく。僕はそのことを誤魔化すように彼女に問いかけた。
「あ、あの、お、お姉さんは人魚なの?」
「えっ? えぇッ! ワタシが人魚って…あるよ足。アハハ、面白いねキミ。アハハハ……気を使わせちゃったか………ありがと」
唐突に彼女の顔が近づいて、柔らかな唇が重なり合う。初めての感触に僕はボーっと頭の中までふやけてしまった。
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「こんな話、信じられないでしょ?」
二人しか残っていないスナックに、妙な空気感だけが残っていた。
「……信じるよ、だって、その人魚ワタシだもの。でも…、あの男の子は瞳が青かった気がするんだけど」
話の途中から、彼女があの時の人魚姫ではないかと薄々感じてはいた。それでも正面切って肯定されるとドキリとしてしまう。あの時の夢のような出来事が現実なんだと、改めて思い知らされたから。
「今はカラコン入れてるんです。母方の祖父の瞳が青かったんで、遺伝したんでしょうね。母の目は黒いのに」
「……そっか、大きくなっちゃったね」
「そりゃあ、十年以上経ってますから、もう大人ですよ」
「ンフフ、じゃあどれくらい大人になったか確かめてあげる。あの時の続きをしましょ」
僕は話の途中から、こうなることを期待していたんだ。
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二日酔いだろうか、僕はうっすら痛む頭を掻きながら知らないベットに腰をかける。昨夜のことに思い耽る余裕もなく、強烈な尿意を感じていた。
「はぁ、まずはトイレを借りないとな」
ゴミ箱に昨夜の形跡を発見しつつ、ドアの向こうに人の気配を感じてそのままドアを開けた。
「オハヨー。お母さん! お兄ちゃん起きたよ~」
「あら、起きたのね、おはよう。今、朝食を準備してるから少し待っていて」
「………お…おはようございます」
僕は呆然とするしかなかった。昨日ベッドを共にした彼女のことではない。リビングで食パンにマーガリンを塗る女の子が、僕と同じ青い瞳だったからでもない。ただただ、あの時の人魚姫を思い起こさせる美少女に、心を奪われて呆然とするしかなかったのだ。
こうして僕の、止めようのない絶望的に倒錯した、最悪の恋が始まる。