2-10 銃を教鞭に持ち替えたアマゾネス達 ~慈育・慈恩の精神を学び舎へ~
近年、全国の中/高校で、英語圏出身の女性教員が多く見られる様になった。
彼女達に共通するのは、アニメ/コミックの熱心なファンで、日本への定住を希望し、生業として教職を選んだという事である。
英訳された日本アニメを使用した授業は生徒達の心をつかみ、英語力の向上につながっていると評判だ。
また、全員が退役軍人という点も彼女達の特徴である。不良生徒を実力行使で抑える事も容易な為、風紀指導の面でも重宝されている。
教育界の一部には、子供達の右傾化を懸念する声がある。だが英語教育の強化、慢性的な教員不足の解消、非行やいじめへの対応、また優良な移民導入のモデルとして、政府からの彼女達への期待は強い。
彼女達を教育界に供給しているのは、かつて地方のお嬢様大学として知られた慈恩女子大学である。慈育・慈恩が校是の同大は、いかにして海外の退役軍人を英語教員として送り出す中枢と化したのか……
僕の家は代々、私大の理事長を務めてきた。
大正時代に設立された高等女学校を前身とする、良妻賢母教育で知られた〝お嬢様学校〟で、慈恩女子大学という。
学部は外語学部英語学科のみの単科で、昭和の末までは〝実用よりも教養として英語を学ぶ〟という方針の短大だった。
花嫁修業の一環として娘を進学させたいが、東京や大阪といった大都市には送り出したくないと考える、中間層以上の父兄には好評で、地域限定とは言えブランド力もあった。
だがバブル崩壊をきっかけに、慈恩大は斜陽の道をたどる事となる。
男女雇用機会均等法の制定、長引く景気低迷、そして少子高齢化といった社会の変化で、〝お嬢様学校〟の魅力はすっかり色あせてしまったのだ。
時代に対応するべく、四大化と共に実学重視へとカリキュラム改革を行い、中学/高校英語の教職課程も設置した。
しかしながらジリジリと受験者は減り続け、平成から令和に変わる頃、理事長を務める父は、ついに閉学の決定を下した。
既に新入生募集は停止しており、来年の三月に最後の卒業生を送り出す事で、長い歴史に幕を下ろす事となる。
職員も多くが退職し、最低限の人員しか残っていない。身内である僕が、大学(男なので慈恩大には入れず、県立大の英文科である)を卒業したての身でありながら、理事に就任して整理業務を手伝っている状態だ。
高校教員の資格持ちなので、閉学後は父のツテで私立高校へ就職する予定だ。
*
閉学の決定に対し、当然にOG会は反発していた。彼女達は母校の危機を食い止めるべく理事会へ圧力をかけ続け、最終年度となってもあきらめていない。
自治体の議員や中小企業経営者といった、地方の名士の妻となっている人が大勢いるので、行政への影響力もかなり大きく、その対応には苦慮していた。
この日は、OG会代表が直に乗り込んで来た。彼女は上場企業の社長夫人という、典型的なセレブである。
「運営資金の事でしたら、全面的に協力させて頂きますから、何とか!」
OG会代表は、血走った目で金額未記入の小切手を差し出してきた。閉学を撤回し、次年度の学生募集を行うなら今月中がギリギリなので、彼女も必死である。
だが、カネさえあれば何とかなるという局面は、もはや過ぎていた。
「こういう事は申し上げたくないのですが。お宅のお嬢様、他の大学に進学されましたよね?」
「慈恩大を勧めはしたのですけど。あの子は理系志望でしたので……」
僕の指摘に、OG会代表は口を濁した。
慈恩大はこれまで、代々のOGが自分の娘や親類に入学を勧める事で、学生を確保していた面が大きい。
進路が多様化し、また親の言いなりではなく本人の意向を尊重する風潮が強くなれば、古くさい〝お嬢様学校〟が選ばれなくなるのは自然だろう。
「そういう事です。資金面がどうにかなっても、肝心の学生が集まらなくては、大学の存続は難しいのですよ」
指摘が刺さったのか、OG会代表は肩を落として引き揚げて行った。
どうにかお引き取り頂いた物の、OG会による閉学の妨害活動は全く頭が痛い問題だった。閉学後の跡地利用には複数の企業が名乗りを挙げていたが、彼女達が夫のコネクションを使い、撤回させてしまったのだ。
大学敷地は我が家の私有地なので、売却も貸与も出来ないままに閉学すれば、莫大な固定資産税の負担がふりかかる。
OG会に閉学を納得させる打開策は、全く見えなかった。
*
帰宅の途につき、車の中でふと思い出したのは、一二年前、我が家にホームステイしていた〝マラ姉〟の事だった。
当時、中学一年だった僕は、殴る蹴るの暴行や金品の恐喝といった悪質ないじめにあい、不登校・ひきこもりの状態が続いていた。
だが両親は、徐々に経営が悪化していく慈恩大の立て直しに手一杯で、僕のケアに手がまわらない。そこで話し相手にと、知人を介してホームステイの受け入れを決めたのである。
やって来たのはマラ・ディックという名の、ハイスクールを卒業したばかりのカナダ人女性だ。僕は〝マラ姉〟と呼んでいた。
ヲタクを自称する彼女は、独学で日本語を習得しており、新聞も普通に読めていた。未訳の日本アニメやコミックを楽しみたいが為の執念だったと言うが、語学の才能も高かったのだろう。
マラ姉は留学ではなく、ワーキングホリデーの滞在資格だった。ワーキングホリデーとは、協定を結んだ国同士が若者限定で、生活費を稼ぎながらの長期滞在を認める制度である。
彼女から色々と日本アニメの英語吹替版を見せられた事がきっかけとなり、僕の英語力は飛躍的に向上した。
家業の関係上、元々、ある程度の英語力はあったが、高校教科書の範囲だ。ネイティヴと生活を共にし、娯楽を通じての言語習得は、かなり効果が高かった。
マラ姉は日本にずっと滞在してフリーター生活を続けかった様だが、ワーキングホリデーの期限は一年で、かつ一度きりだ。空港で、名残惜しそうに去って行く彼女の後ろ姿が、今も忘れられない。
マラ姉の帰国後も僕は不登校のままだったが、高校へは行かずに高認を取り、また英検一級を取得した事で、大学にはAO入試で進学する事が出来た。
僕がどうにか社会復帰出来たのは、いじめ被害で憔悴しきっていた精神を解きほぐしてくれた彼女のおかげだ。
だが、マラ姉とは長らく音信不通となっていた。
彼女は帰国後すぐに、軍へ志願。下士官養成課程を経て、自ら望んでアフガンに赴任していった。
アフガンを支配していたイスラム原理主義勢力は、米軍主体の多国籍軍によって政権を追われていたが、地方ではまだ勢力を保ち、ずっと内戦状態が続いていた。
カナダも米国と歩調を合わせ軍を派遣しており、マラ姉はその一員に加わったのである。
現地へ赴く直前、迷惑がかかるかも知れないから、当面連絡は出来ないという電話があったのが、彼女の声を聞いた最後だ。
出征軍人の関係者がイスラム過激派の報復テロ対象になる可能性もあるというので、万一にも僕達一家を巻き込みたくないという事だった。
伝聞では、マラ姉は一時帰国すら殆どせず、現地で戦い続けていた様だ。
だが去る九月、アフガン政府軍を支援していた多国籍軍は完全に撤退。程なく政府軍は瓦解し、アフガン全土はかつての様にイスラム原理主義者の支配下におちてしまった。
世俗主義を庇護する為に西側諸国が流し続けた血は、ついに報われる事がなかったのである。
ともあれ、カナダ軍も撤収している以上、マラ姉も帰国している筈だ。
だが、僕が知っている彼女の携帯番号は、既に使われていない。父によると、ご両親も先年、相次いで病没したそうなので、そちらを介して連絡を取る事も出来ない状態だった。
「マラ姉、無事なんだろうか……」
思い出を脳裏に浮かべつつハンドルを握っていると、スマホのメッセージ着信音が鳴ったので、手近なコンビニの駐車場に入って画面を見た。相手は母だったが、その内容に僕は驚いた。
マラ姉が駅にいるので、迎えに行って欲しいというのである。
急いで駅のロータリーに乗り付けると、そこには懐かしい顔が待っていた。
銀髪のショートカット。スレンダーな体型で、一七〇センチ程と白人女性としては普通だが、日本人の同性と比べると高めの身長。
戦闘服に背嚢、そして部隊章の入ったベレー帽にサングラスという姿で、知らない人が見たらサバゲー帰りとでも思いそうなスタイルだが、彼女は本物の軍人だ。
腕が太くなった様に見えるのは、長年の軍務で鍛えられた結果だろう。
「久しぶり。背、伸びたな」
一二年前は頭一つ半程の身長差があったが、何とか同じ位まで追いつけた様で嬉しかった。
*
家に向かう車中で、マラ姉は日本に来るまでの近況を語った。
本国帰還後、マラ姉は虚無感を感じ続けた末に退役。除隊したその足で空港へ向かい、懐かしき日本を再訪したのだという。
「私、大学行ってないから、慈恩大に入りたかったんだけどな。閉学とは当てが外れたよ」
「うちは日本人に英語を教える外語学部だから、マラ姉が入っても意味ないと思うよ?」
「でも慈恩大って確か、教師の資格が取れただろ?」
「ああ、なるほど」
英語圏出身者が日本に定住するつもりなら、英語教員という選択は悪くない。無資格でも補助指導員にはなれるが、正規の教員資格を取れば、確実に教育現場で重宝されるだろう。
「日本の英語教員資格が取れるのを売りにして、マラ姉の他にも定住目的の留学生が集められるなら、閉学を撤回してもいいとは思うけど…… 募集、どうした物かなあ」
慈恩大はこれまで留学生を受け入れた事がないので、海外から留学生を募集するノウハウもなかった。
「これでも顔は広いから、そういう事なら任せとけ。もちろん、必要な入試を課していい」
「でも、今の日本って欧米より給料安いよ?」
教員として就職し定住するにしても、現在の日本の給与水準では、発展途上国ならともかく、先進国から見れば全く見劣りするだろう。その点は大丈夫なのか。
「その分、物価も安いだろ。それにアニメファンなら、日本に住みたがってる奴が結構いるからな」
「そっか。アニメ好きなら!」
マラ姉はガチのヲタクだったので、そういう同好の士にも顔が広いのだろうと、その時の僕は素直に納得した。
結論から言えば、彼女が声をかけて集めた入学希望者は、確かにヲタク揃いで日本アニメが大好きだった。だが、それだけではなかったのだ。
彼女達の全員が退役兵で、その大半がアフガン帰りの実戦経験者だとは、思いもよらなかったのである。