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2-09 そのラブレターは偽りの愛を生む

成績は中の上。容姿にも特徴はない。強いて言えば古くて貧乏な家柄だけが有名で、成り行き上第二王子と婚約を結ばされていたアンナは今日、長年の望みだった婚約解消を実行した。浮かれ気分で帰る途中、彼女を呼び止めたのは魔術師稀代の新星と謳われる同級生のランス・ウォルター。アンナが生涯秘すると決めた、片想いの相手だった。

『人に絶対見られてはならないラブレター』をランスに読まれてしまったアンナは、抵抗虚しくランスから猛アタックを受けることになる。憧れの人から囁かれる愛の言葉に、幸せを噛み締めるも……アンナは心底後悔していた。

あのラブレターには「書いた人物に対して好意が向くようになる」という特殊魔法がかかっていた。それをランスは知らないのだ。

期待してはならない。これは手紙のせいなのだから。

全てを諦めた彼女と全てを手に入れたい彼のすれ違いラブストーリー。

 その日のアンナ・スカーレットは、だだっ広い校舎の廊下をスキップして跳ね回りたいほど浮かれていた。

 もちろん、高いヒールのある靴を履いている分際で、そんなはしたないことはできないししない。ただでさえ今は注目の的なのだ。突き刺さるような視線を浴びているこの状況で、それをやったら気が触れている。


 しませんよ、しませんとも。けれども。


 アンナは込み上げてくる笑いを喉の奥で噛み殺した。


『婚約破棄、されたんですって』

『まあ、ついに愛想を尽かされたのね』

『あの可愛げのなさでは、仕方のないことだわ』

『セオドール殿下がお可哀想だったもの』


 そのような囁き声が聞こえてきても、彼女は立ち止まらない。真実を告げたところで、都合のいいところだけ切り取られるに決まっている。訂正するだけ馬鹿馬鹿しいというものだ。


 婚約者──否、つい先刻「元婚約者」となったセオドール・ベリルという男は、よく言えば優男、悪く言えば優柔不断を絵に描いたような人だった。

 人当たりの良さそうな顔立ち。ふわふわとしたハニーブロンドの髪。同じく金色がかって見える明るい瞳も、彼の柔和そうな外見に拍車をかけている。

 このベリル皇国の第二王子という立場でありながら、狡猾さも野心も持ち合わせず、ただひたすらに穏やかな人物。

 これで性格のひとつでもねじ曲がっていたのなら、アンナも心置きなく彼を憎めるのだが。

 残念ながら外見通りの優しさと、そのくせ諦めが悪く一途で頑固な面もあり……有り体に言えば、アンナにとって面倒なことこの上ない婚約者であった。


 アンナが通っているここ、ラズベリル学園は、成人した十五歳以上の優秀な魔法使いたちが、日々切磋琢磨して国家資格「魔術師」を目指す養成学校である。

 市井にも門戸は開かれているが、実態はほぼ「名門魔術師の子息令嬢が学ぶ学園」だ。次世代にも優秀な魔術師を、と望まれる子息たちは、学園入学と同時に婚約者を決め、十八歳の卒業とともに結婚する者が大半を占める。

 慣習に漏れず、アンナは家格の釣り合いその他諸々の関係で、入学とともにセオドールと婚約を結ばされた。

 だがアンナは、婚約を交わした三日後には、それを白紙にするための方法を模索しはじめた。理由は単純である。セオドールのその目に映っているのが、自分ではないと分かってしまったからだ。

 そしてその視線の先の人物もまた、セオドールのことを密かに見つめていると気がついてしまったからだった。


 アンナの脳裏に、神秘と謳われる黒髪を持つ少女のことが蘇る。

 アンナはあの日決意した。二人のことは、きっと私が幸せにしてみせる、と。


 長い廊下を歩き切って外へ出ると、色とりどりの花が咲き乱れる庭園がアンナを出迎えた。周囲の視線から解放されて、ほっと一息つく。花の香りを胸いっぱいに吸い込んだ。

 部屋に帰ったらもう一度、明日からの計画を練り直そう。

 アンナは帰路への一歩を踏み出した。

 のだが。


「あれ、アンナ嬢。もう帰ってしまうの?」


 突然背後から聞こえてきた青年の声に、アンナはぴたりと固まった。

 顔を見なくても誰か分かってしまう。実はその事が、アンナの良心をずっと苦しめている。


 ああ、でも一応、自分は誰かの『婚約者』ではなくなったから。

 想うだけなら、許されてもいいのだろうか。

 靴音が迫ってくる。思考がまとまらないうちに、青年がアンナの前に回り込む。


「きみが自習もせずに帰ろうとするなんて、珍しいじゃないか」

「……ウォルター、さま」


 ブルーグレーの瞳がアンナを射抜いた。目鼻立ちの整ったきれいな顔は微笑みをたたえているが、明らかに目が笑っていない。


 声をかけてきたのは、アンナの同級生、ランス・ウォルターである。王家・神官の次に地位の高い「四大魔術師」と呼ばれる家柄の嫡男だ。

 プラチナブロンドの美しい髪色は、高い魔力の現れだ。彼はその生まれと外見通り、高度な魔術をいくつも扱うことができる。名実ともにエリートで、学園中の羨望の眼差しを一身に受ける存在である。

 アンナの持つありきたりな榛色の髪と瞳が恥ずかしくなる程度には、神々しい人。


「聞きたい事があったから待っていたんだよ? いつまで経っても現れないから、おかしいなと思ったら……まさかそのまま帰るつもりだったとは」

「ウォルター様にお話しするようなことなど、何も」

「あるよね、ひとつ。きみの婚約破棄について」


 ああ、もうこの人の耳にまで入っている。

 ぐっと一歩距離を詰められて、アンナは思わず後退りした。


「驚いたよ。きみとセオは仲が良さそうに見えた。婚約破棄に至るような事件も聞いていないし」

「破棄、ではなくて解消、ですの。両家合意の上ですわ」


 余計なことを言わないように、事実だけを述べよう。彼は誘導が上手い。うっかり口を滑らせてはいけない。


「相手は王族だ。しかも卒業を半年後に控えたこの時期に、わざわざ? 今婚約者がいない同級生なんて、そういないよ」

「未だ正式な婚約者を発表されていないウォルター様には言われたくありません」


 それもそうか、と彼は笑った。

 一枚の絵画になりそうなほど美しい佇まいに、アンナの心臓はどきりと跳ねる。


 違う、そうじゃない。胸の鼓動を強く否定する。

 彼は自分如きが、ときめいてはいけない相手なのだ。家柄が古いばかりで、ちょっと珍しい魔法が使えるだけの零細魔術師一家。その中でも地味で才のない自分が、憧れたりしてはいけない人なのだ。彼へ想いを寄せるために、婚約を解消したわけではない。

 揺らぎかけた気持ちを立て直し、アンナはランスを見つめ返した。


「これ以上は……家の事情にも差し障りますので、どうか」

「分かったよ。僕はセオよりきみの事が心配だっただけだからね」


 仮にも第二王子の幼馴染で学友である彼が、そんなことを冗談でも口走っていいものか分からないが、リップサービスと思っておこう。深く一礼をしてランスを振り切ろうとすると、「待って」と再び声をかけられた。


「まだ、何か……」

「そう警戒しないで欲しいな。あとひとつだけ、確認させてくれるかい?」


 それが嫌なのだが。嫌と言える雰囲気でもない。仕方なく向き直る。ランスはもったいぶった咳払いをひとつしてから続けた。


「きみは、親友である『神秘の黒髪』のエマ嬢に、優秀な魔術師だけが名乗ることを許される『ガーデン』姓を賜われるよう、僕ら四大魔術師の子息に手を回して後押しを頼んだ。そうだよね」

「……はい」

「まあ、後押しなんて微力だったとは思うけど。市井出身で苗字無しななしのエマ嬢が姓を賜われたのは、もちろん彼女の実力に拠るところが大きいと僕は思っている」


 まるで何かの魔術にかけられたかのように、アンナは彼の鋭い視線に刺されて身動きが取れなくなった。ランス・ウォルターの言葉は続いた。


「このままいけば、何もしなくたって彼女は卒業と同時にガーデン姓を名乗ることになっていたはずだ。それをなぜ部外者のきみが、わざわざ絡んで時期を早めさせた? なぜ彼女のガーデン姓が確定してから、きみは婚約破棄をした? 二つの間に関連があるんじゃないかな」


 大アリだ。大アリだが、それをわざわざ口に出すほど馬鹿ではない。


 ガーデンとは、国から与えられる魔術師最高の栄誉である。『ガーデン』を名乗ることができるのは同じ期間に一人のみ。誰かが使用している間、他の人物は名乗ることを許されない。罪を犯せば、取り上げられることさえある特別な姓である。


 エマは身寄りも後ろ盾もない、ただ希少な魔力と才能を買われてこの学園に入学してきた市井出身の『一般人』だった。故に、この国で魔術師としてことさら重要視されている家名を持っていなかった。

 セオドールは、エマがどんなに巷で聖女の如しと持て囃されていても、婚約者にエマをとは言えなかった。彼女が『苗字無し』だから。

 そしてエマも、その事実を弁えていた。彼女には実力があったが、ガーデン姓を名乗るつもりはまるでなかった。セオドールへの気持ちは、墓場まで持っていくつもりだったはずである。


 それくらいの障壁、自分たちでなんとかして欲しいと思ったこともあった。ただ、それができないのがこの二人の優しいところで、似通ったところでもある。アンナは痛いほどそれを知っていた。


「……質問がひとつ、どころではありませんわね。お答えしかねます」

「根本的にはひとつだよ」


 はぐらかそうと思ったが失敗した。アンナは唇を噛む。それでもどうにか切り抜けようとして、アンナは力を込めて目線を上げる。

 が、しかし。

 彼が胸ポケットから取り出した一通の手紙を見て、アンナは急に声にならない悲鳴を上げた。


「そ、れを、どうして……!」

「昨日、アンナが自習室に置き忘れていったものだよ。中も少し確認させてもらった。全部は見てな──」

「お読みになったというのですか!!」


 悲鳴では生ぬるい。もはや金切声だった。突如叫んだアンナを、ランスは驚いた顔で見つめている。

 アンナは手紙を引っ掴み、その場で思い切り二つに裂いた。ついで指をパチンと鳴らし、指先に灯った小さな炎でその手紙をくべる。

 紙はみるみる灰になった。


「アンナ?」

「手紙の事はお忘れください。そして今後一週間は、私の半径五メートル以内に絶対入らないでくださいませ。絶対ですわ!」


 はしたないのも構わず、アンナはスカートをたくし上げてできる限りのスピードでその場を立ち去った。

 あとに残されたランスは、呼び止めるのも忘れてポカン、とそこに立ち尽くしていた。

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