3話
祭りの準備は午前中から始まり、昼をまたぎ、日が陰り始めた頃に片付いた。
普段はどことなく薄汚れた印象のあるヒタハミ神社も落ち葉一つなく、それでいて注連縄や篝火をたく準備がなされ、荘厳な雰囲気がした。そして、幣殿には供物を供えるための三宝が準備されている。
ヒタハミ神社は決して大きな神社ではないが、幣殿ばかりは立派に作られている。幣殿とはその名の通り、神に幣帛、つまりは供物を奉献するための場所だ。
御神酒を飲ませた供物を拝殿の前へ連れていき、そこで解体する。その後、首と心臓を幣殿にお供えし、残りの肉は家々に配って回るというのが一連の流れである。
「……」
「どげした、タケ。緊張しとるんか」
「そらそうじゃろ。村長と違って、俺は初めてなんじゃ」
供物を解体し、配って回る人間は成人した男性のみだ。村長やモトヤのオヤジは何度も経験し慣れているだろうが、今年成人したばかりの俺はそうでない。
事前に聞いておいた手順を何度も確認しながら、脳内でシミュレーションを重ねる。けれどもやはり上手くいかず、焦りばかりが募っていく。
「よっしゃ、じゃあ、首落としはタケにやらせるか」
「お、おい、マジかよ、オヤジ」
ビールの入ったコップを片手にモトヤが告げる。
首落としはその名の通り、供物にとどめを刺すための最も重要な行為だ。ヒタハミ様への供物である首、その断面が汚いのは悪しとされ、不作や不幸が訪れるといわれてる。
「勿論、マジ。今後のためにも首の落とし方は知っとかなあかん」
「……村長」
助けを求め、村長に視線を向ける。
「ん、モトヤの言う通りじゃ。お前は次の世代を引っ張ってく男。はよ一人前になってもらわにゃならんと」
「んだな。なに、俺もお前くらいの時に首落としをしたんじゃ。出来んということはないて」
責任重大だ。しかし、避けては通れない道だということは分かっている。この村で生きる人間には必要不可欠で、最も大事な催事であるのだ。
「……ん、やってみる」
「それでこそだ! 心臓出すのは助言してやるけえの」
「頼みます、村長」
「上手いこと落としたら、いい店に連れてったるわ」
モトヤのいう店がどんなものかは何となく想像がつき、苦笑する。
大丈夫だ。きっとうまくいく。根拠はないが、不安を塗りつぶすように何度も何度も自身に言い聞かせる。
こつりと足音がした。すりガラスの向こうに黒い影があった。
静かに引き戸が開かれ、不安の色を乗せた赤茶の瞳が現れる。そして、ふっと安心したように弧を描いた。
「ああ、こちらでよろしかったのですね……」
「おお、妃咲さん。上がってくださいな……おおい、母ちゃん!」
村長が声をかけると奥から、真っ白な髪を雑にまとめた村長の妻が姿を現す。
供物である妃咲美那の着替えと化粧が彼女の役目である。
「はいはい、じゃあ美那ちゃんは向こうでお着換えやねえ」
「早速なんですね、楽しみです。あ、これ作ってきたので皆さんでどうぞ」
手渡されたプラケースにはモミジガサの天ぷらとお浸しが入っていた。
「こいつはありがたい、いただこう」
昼間から働き通しで朝から何も口にしていない。けれども、緊張のせいか食物が喉を通りそうにない。
「タケ、軽く口にしとき」
そんなことはお見通しと言わんばかりに、村長が率先して天ぷらを口に運ぶ。
「気の利く良い娘さんじゃ……おお、美味え」
遠慮なしにタッパーから食物を口にする二人をしり目に、水で喉を潤す。しかし、飲んでも飲んでも唇がぱさぱさに乾いて仕方がない。
縁側から外を眺める。
日は沈み始め、肌寒くなってくる。
それに加え、湿度をはらんだ風が吹き始めていた。
これは一雨来るだろう。大雨にならないことを祈りつつ、もう一度祭りのシミュレーションをするのだった。