それぞれのはやさで
眠ってしまったまま全然起きる気配のない千夏は、仕方なく匠がおぶって帰ることになった。
「…しっかしいい度胸してるよな、おぶっても目を覚まさないなんて…」
匠がぶつぶつと呟く。
「それだけ信頼してるんでしょ、兄貴の事を」
瑞貴が笑いながらそう言って匠の腕をぽんと叩いた。
「どうだか。…でも、助かったよ、上手くまとめてくれて。俺一人じゃどうにもならなかった」
そう言ってから、匠はちょっと考えるように口ごもり、それからまた続ける。
「…でもさ、さっきの博文って奴…」
「単に意気地がないだけに思える?」
匠が言おうとしていた先を、瑞貴が先に言った。
「…ああ」
「…そうかもね。でも、そう言ったら収まんなかったでしょ?」
「…そうだな」
瑞貴の答えに、匠はふっと笑った。
「ま、どちらにせよ、取り敢えず手を出さなかった相手に感謝、だな。まだ中学生なんだから」
匠は歩きながら後ろを振り返り、千夏の寝顔を見る。少し、色っぽくなったかな、と匠は思った。
子供だ子供だと思っていたのに、いつの間にか大人になりつつあるのだ。おぶっている背中に、柔らかい膨らみも感じられる。
「…な、何だよ」
振り返って千夏を見つめていた匠を、瑞貴が見ていたのだ。ほんのちょっと、やましいことを考えてしまっていた匠は、見透かされたかと焦った。
「べぇつぅにぃー」
笑いながら、瑞貴はそうとぼけた。
(…さっきの博文って子、匠に少し似てる、なんて言ったら怒りそうだものね)
「あ、何だよ、その言い方」
匠がしつこく食い下がる。
「ちょっとね。それだけ突っ走れる千夏ちゃんが、少しうらやましいかなって」
瑞貴はそう答えた。
「…そうかねぇ。ただ、周りに流されただけじゃねぇ? こうするのが、普通だっていうやつに、さ」
そう言いながら匠は、それが自分の事でもあることに気が付き、ふっと自嘲気味に笑っう。
(…人のことは言えないか)
気が付くと瑞貴がちょっと驚いたような表情でこちらを見ていたが、やがてそれが微笑みに変わる。
「何だよ」
「ん? いや、やっぱ匠だなって思ったの」
「?」
キョトンとする匠。
「…何でも。…そうね、恋をする早さって人それぞれだと思うけど、やっぱ、ちょっと先走りしすぎ、かな」
瑞貴は千夏の背中を見つめながら、呟くように言った。
「人それぞれ、ねぇ」
「あ、今、馬鹿にしたでしょ」
複雑な表情で瑞貴の言葉を繰り返した匠に、瑞貴が詰め寄る。
「え? いや、べぇつぅにぃー」
さっきの仕返しとばかり、匠はいかにも意味ありげにとぼけてみせる。
「なによー。言わないと、学校で、「無理矢理キスされた」って言いふらすぞ」
「な、何でたらめ言ってんだよ!」
「嘘じゃないもん。間接キスしたじゃない?さっき。意識してなかったとは言わせないわよぉ。一瞬、飲み口を見てから飲んだの、知ってるんだから」
「あ、あれは…」
ばれていたのか、という驚きで、後は何も言えなくなってしまう。
「どーしよう。私、もうお嫁にいけないわーって、泣いてやるから」
「わ、分かったって」
その場で立ち止まって顔に両手を当て、泣き真似をする瑞貴に負け、匠は言うことにした。
「…瑞貴は、お前はどんな早さなのかなって…そう思ったんだよ」
恥ずかしかったので俯いて言った匠が瑞貴の顔を見ると、瑞貴は暫くきょとんとした顔で匠を見ていたが、それから吹き出した。
「な、何だよ! 何も笑うこと…」
お腹を抱えて笑え瑞貴を、ばつの悪い思いで見つめる匠。
「あ、ご、ごめーん…だ、だってさ…ふふ…しょ、少女趣味だなって…」
「さ、最初に言ったのは瑞貴だろ…」
少し怒った匠は、千夏をおぶったまますたすたと先に歩き出す。
「あ、わ、悪かったって…ふふ…ば…ね、ねえ!」
必死に笑いをこらえようとしながら、瑞貴は匠を追いかける。
だが、その笑いは暫く収まりそうにもなかった。
終