花火
ボーン。
ずしりとお腹に響く音とともに、藍色の夜空に色鮮やかな大輪の華が浮かんでは消える。
思い思いの場所で夜空を見上げる人々は、密やかにささやきあいながら儚くも美しい散華を見守っていた。
匠は身近で見る花火がこんなに綺麗なものだとは思っていなかった。匠の家からもこの花火は見えるため、家の窓から缶ビールでも片手に見るのが常だったのだ。
「すごいね。あたし、花火がこんなにお腹に響くものだなんて知らなかった…」
半ば花火の方に心を奪われているらしく、瑞貴が言葉少なにささやく。
「俺も」
匠も小さく呟いた。
しばらくの間、二人は言葉少なに次々とあがっては消える花火を見守っていた。匠の頭の中では、この花火大会に瑞貴を誘った目的もどこかに行ってしまっていた。
コツン。
匠の背中に、何かが当たる。
しかし、花火に見とれている匠は、気にせず花火を見続ける。
コツン。
もう一度。
(…?)
コツン。
そして、もう一度。
さすがにいぶかしく思った匠は瑞貴に気づかれないようにそっと振り返る。もしも、誰かの嫌がらせなどだった時に、なるべく瑞貴の気分を害したくなかったのだ。
(!?)
匠は、思わず声を上げそうになった。
後ろの、少し離れたところに、弘樹が座っていた。さっき見た女の子も、その隣で弘樹に寄りかかるようにして座っている。弘樹は軽く片手を上げ、ウインクすると、人差し指で瑞貴の方を指差す。それから、自分は側に座っている女の子の肩を抱いてみせる。
瑞貴の肩を抱け、と言っているのだ。
(!!)
匠は顔が火のついたように一気に火照りだしてしまう。心臓の鼓動が急に高鳴りだしていた。
(ど、どうしよう…そんな急に…)
さっきまでは何ともなかったのに、急にそばに座っている瑞貴のことを意識しだしてしまう。頭には血が上り、顔は火照りっぱなしだ。暗くなかったら、顔が真っ赤になっているのがばれてしまっていたことだろう。
そんな匠をからかうかのように、微風が瑞貴の方からふうわりと甘い香りを運んでくる。
(シャンプー?)
匠は瑞貴の横顔をちらりと盗み見る。
瑞貴は相変わらず花火を見つめていた。
その真摯な横顔を見つめていると、花火とは全く関係ないことを考えている自分になんだか罪悪感を覚えてしまう。
コツン。
もたもたしている匠に、弘樹がせかすように小石を投げる。
(…わ、分かったよ!)
観念した匠は恐る恐る左手を後ろから瑞貴の肩に伸ばしていく。ちょうど、そのまま行くと抱き寄せるような格好になるのだ。
(…か、肩を抱くくらいなら…いいよな…)
どうせなら冗談っぽくやってしまえばまだ誤魔化すこともできるだろうに、なぜかそこまでは頭が回らない。
そろり、そろり。
ゆっくりと伸ばしていく手が、ふるえている。
匠にはもう花火の音や周りのざわめきなどは聞こえていなかった。
ただ、うるさいくらいに耳に響いているのは自分の心臓の音だけだ。
そろり、そろり。
もう、匠の左手は瑞貴の肩のすぐ後ろまで来ていた。
あとは、その手を少し前に動かして、肩に手を置くだけだ。
(…頼む…)
祈るような気持ちで、匠は左手を瑞貴の肩に置いた。
「きゃっ!」
とたんに、瑞貴が小さく悲鳴を上げ、びくっと体をふるわせる。
「うわっ!」
その瑞貴の反応に驚いて、匠は手を引っ込めた。
「…な、何だ、匠かぁ。もう、脅かさないでよ」
匠の方を振り返って、瑞貴がむくれる。
「あ、い、いや、む、虫、虫が…いたから…」
あわてて誤魔化す匠。
「ふーん、虫、ねぇ。こんなに暗いのに、よく見えたこと。もしかして、いけない衝動に駆られたんじゃないでしょうね。浴衣姿の、色っぽい美人が隣に座ってるから」
瑞貴がそう言いながらじとっとした目で匠を見る。
「そ、そんなことあるか! 大体、誰が美人だって…」
思わず大声でそう言っていた自分に気がつき、はっとして辺りを見回した匠は周りの冷ややかな視線が自分に向けられていることに気がつき、恥ずかしさで耳まで赤くしながら小さく縮こまる。
「も、もう、冗談なんだから、そんなにムキになんないでよね、恥ずかしい」
「わ、悪ぃ…」
弘樹の方をちらりと見ると、弘樹は声を出さないように苦労しながらお腹を抱えて笑っていた。その隣に座っている女の子も、くすくすとこらえきれずに笑っている。
(あ、あの野郎、俺を最初から馬鹿にするつもりだったのか!?)
ふと、そんな考えが頭をよぎる。
(…く、くっそー、お、俺だって本気になれば…。よ、よーし…)
怒りが匠の闘争心に火をつけたのか、それともばつの悪さを紛らわそうとしてか、急にやる気を出した匠は密かに拳を握りしめ、夜空にそう誓う。
(…でも…)
だが、実際にどうしたらいいのかはさっぱり分からない。そこに考えが及ぶと、燃えさかっていた闘争心も急に水をかけられたように勢いを失ってしまうのだ。
(…どうしよう…)
『行く所まで行ってたっておかしかないぜ、普通』
匠が逡巡していると、ふと、弘樹の台詞が思い出された。
(…そ、そうだよな…普通なら…)
(…瑞貴だって多少は…気がある…はず…)
そう思いながらちらりと瑞貴の方を見ると、瑞貴は何事もなかったように花火の方を見ている。
(…かな…)
段々と自信が無くなって来るのを匠は感じた。
(…いや、いかん! こういうのは勢いだって弘樹が言ってたじゃないか! だから…)
そう、匠は消えかかった情熱を無理矢理燃え上がらせる。
(…告白…すれば…)
しかし、本当に大丈夫なのだろうか。そもそもに於いて、一体誰がどういう状況でその『普通』というのを決めるというのだろう。
(いや! それじゃただ逃げてるだけだ!)
迷いを振り切るように匠はぎゅっと目をつぶり、そう自分に言い聞かせた。