はじまり
ミーンミンミンミーン…。
うるさいくらいに鳴いている蝉が、暑さを演出している。窓から見上げると、木々の切れ間から漏れてくる午後の日差しが目に痛い。開けっ放しの窓から入ってくるのは蝉の鳴き声ばかりで、風はそよとも入っては来ない。むしむしと熱気の支配する教室では皆、死んだようにぐたっとなっていた。顔を上げて黒板を見ているものなど数えるほどで、この部屋の中に充満している熱気が、生徒たちの熱意の現れでないのは確実だ。
暑い。とにかく暑い。
今年の夏は近年にないほどの猛暑だということで、連日の気温は三十度を超えていた。
(こんな事なら夏期講習なんかやめとくんだった…)
半ば朦朧とした頭で、黒板の前で初老の先生が何かを講義しているのをぼんやりと聞きながら、藤代匠はそう思った。高校三年の夏休みだから何かしなければ、と言う甚だいい加減な理由から、学校で行われている夏期講習に申し込んだのだが、こんな事ならまだ家で勉強していた方がましだったのでは、と思えてくる。
匠は今が何の授業だかもよく分からなくなっていた。焦点の定まらない目が黒板の方へ向けられてはいたが、それだけだった。左手が半ば機械的に下敷きで扇いではいるが、ただ熱風をかき回しているだけにすぎなくなっている。
顎を伝わる汗が、ぽとりとノートに落ちる。
匠は辺りを見回した。
親友の小川弘樹はさっきからずっと船を漕いでいる。匠の右隣の席に目を向けると、渡瀬瑞貴も机に突っ伏して堂々と眠っていた。肩から背中にかけて広がっている長い髪が、なんだかとても暑そうに見える。瑞貴は、匠の数少ない女友達で、匠とは高校一年の時からの付き合いだった。
見回してみても、教室にいる他の女の子たちは何とか起きているか少なくとももう少し控えめに居眠りをしている。
(…もう少し遠慮とかいうものがねぇのかよ…)
匠はため息をつき、背もたれに寄りかかる。気休め程度だったが、ほんの少しだけ冷たい背もたれが、気持ちよかった。
キーンコーンカーンコーン
チャイムが鳴る。と、それがまるで最後の審判の天使のラッパであるかのように、それまで机に突っ伏して死人と化していた生徒たちがむくりと一斉に起き出し、立ち上がる。
今日の授業はこれが最後だった。
どうも。作者の山本です。読んでいただいてありがとうございます。
この小説はまだ携帯電話がそれほど普及する前に書かれました。想い人の家に電話するのに家人が出たらどう言おうか思い悩むシーンなど、ケータイ世代にはピンと来ない事も多々あるとは思いますが、まぁそんな時代もあったんだと当時の苦労をしのんでください(笑)。