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中島さん

 暑い・・・・・・

 放課後、カーテンの隙間からが差し込む美術室で、油絵特有あぶらえとくゆうの――粘土のような匂いに囲まれ、筆を振るう。

 まだ6月だというのに、28度を指す温度計を眺めてげんなりした。梅雨の合間の晴れ間だと思っていたが、湿度しつどは下がらず温度おんどだけが上がる地獄のサウナだった。

 こんな日に美術部に出入りするのはこの時代に自室にエアコンもない自分と、美術部の花、中島美雪ナカジマミユキ先輩だけだ。7月にならなければエアコンをつけてはいけないという公立高校らしいルールをうとむことはあれど、感謝することは今日が初めてかもしれない。

 中島さんはなめらかな長髪を後ろで縛り、ジャージ姿でデッサンにいそしんでいる。目の前には中学の美術部でも見たクルクル頭の石こう像。一度美術の先生に聞いたことがあるが、ミケランジェロ作、メディチの霊廟れいちょうに飾られた像らしい。なんでアレ、美術部共通であるんだろうなと思いつつ、LEDライトで無理やり陰影をつけられた石膏像はいつもどおり左側を眺めている。

 中島さんのキャンパスには黒と白のみで輪郭が書きあがっていた。聞いた話では、高校1年にして高校生美術賞に入賞したというが、説得力のあるきれいな線を重ねていた。


 ずっと眺めているわけにはいかないので、自分の絵に目を引き戻す。点描を行っているキャンパスを凝視し、大きな一本の樹を思い浮かべる。下書きに色彩を与えるため、細い筆を用いて点を打ち続ける。まばらに配置された青、赤、黄。樹木とは関係ない3色が、思い描いた大きな樹になるように配置を続ける。油絵は乾くのに時間がかかるため、毎日行える部活と相性が良かった。

 カラフルな点と点の重なりあい。近くで見るとカオスな集団が、遠目で見ると大きな絵になるように、完成形との差を亀の歩みで縮めていく。


 美術部には中島さんがキャンパスを木炭で擦る音と、自分のジャージのこすれる音しかしない。


「ユウキ君、だよね?」

「ひゃいっ?!」


 中島さんはこちらを振り返っていた。口からでた情けない声をなんとか肺に吸い込めないかと考えたが、確実に後の祭りなのでここから取り繕うしかない。


渡辺優希ワタベユウキです!」

「驚かせるつもりはなかったんだけど、普段無口だもんね、私」


 中島さんは落ち着いた調子でゆっくりと話した。実際無口なのだ。美術部でほかの女子と関わるところはほとんどない。絵の前が私の立ち位置。会話をするのはキャンパスだけ。そんな言葉が似合う・・・・・・というか背中に張り付いているのだ。だからこそ、一切警戒していなかった肉声は僕を驚かせるに足ることになってほしいなぁ。


「は、はい」

「ユウキ君、どう?美術部は」

「今日はめっちゃ暑いです」

「そうじゃなくて、ね?」


 つまり普段じゃないから言える事があればという意味ですかハイ。


「男が自分だけなのがちょっと形見狭いです」


 中島さんは驚いたように一瞬目を見開いた。


「男子って二人入ってなかったっけ?」

「ヒロトですか。アイツは初日以外来てないですね」


 渡辺博人ワタベヒロト。僕がユウキと下の名前で呼ばれているのは渡辺ワタベが二人いるからだ。同じ苗字ということで意気投合し、いわゆるオタク趣味が合うのでバカ話に花を咲かせるぐらいの仲だが、「美術部に入れば勝手に絵が描けるようになるんじゃないのか!?」と真顔で言うバカなので、いきなり来なくなったのもわからなくもない。ワタベ性はワタナベよりも名前順が後になるので、「名前順で一番最後になれなかったのは初めて」だそうだ。ちなみに僕は一番後ろを譲ったことはない。


「そうなの。気づかなかった」


 あの素っ頓狂を忘れるのは不可能だろうし、たぶん最初の自己紹介しか覚えてないんだろうなぁと思いつつ、話題を切り替える。


「デッサン上手ですね」

「ありがとう。ユウキ君もすごい絵を描いてるね」

「『これ』ですか。油絵は描いたことがあったので、ちょっと趣向を変えてみようかと思って」

「点描は絵画ってくくりだと珍しくはないけど、こういう部活だとやる人ってあまりいないからね」

「そうですよね。自分もちょっと後悔し始めてます」


 はははと笑い、なんかこの人絶妙に間がわかんないなぁと感じる。


 中島さんは立ち上がり、こちらのキャンパスをのぞきに来た。なぜかピンク色のレンズがはまった眼鏡をかけて。


「その眼鏡かわいいですね」


 中島さんは「あっ」と声を漏らし、言い忘れてたと前置きした。

「この眼鏡、色弱用なの」

「色弱ってなんですか?」

「色がわからない、先天性異常」


 え? 地雷? もしかして今地雷踏み抜いた? 死んだ?


「私は赤色盲っていうのらしいの。赤が認識できないんだって」

「な、なるほど。だからメガネ」

「けど、おかしいよね。私も赤色を知ってる。血が赤い。薔薇は赤い。なのに、認識できないって変な感じ。この眼鏡は私が『見えてない』って教えてくれるけど、色眼鏡だから私の知ってる色じゃないの」

「た、大変ですね」


 おそらく、地雷を踏みぬいたのではなく中島さんはミサイルだったのだ。そんな予兆はあったけれど、近づく者に容赦なくぶつかるミサイルなのだ。

 中島さんはポケットから手帳サイズの本を開いた。そして、僕の絵とその本を見比べた。


「やっぱり、ユウキ君の絵はきれいだと思う。私に言われても信用できないかもだけど」


 正直うれしすぎて、顔がにやけてしまった。


「ありがとうございます」


「そうだユウキ君、今度付き合ってよ」

「はい...って! えっ!?」


めちゃくちゃに暑いはずの美術室で、背筋に寒気に似た緊張が走った。


「迷惑?」

「迷惑じゃないです行きたいです」

「女同士でも頼みづらいことってあるの。この眼鏡の話とか。そもそも私、嫌われてるし」


理解とともに興奮と暑さと不思議が戻ってきた。

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