僕のイエ
ハルトのイエは一つの生物だ。
ぱっと見はその辺りにある普通の一軒家と変わりない形をしているが、本当は生物なのだ。
昔からそうだったわけではない。
いつの間にか、徐々に、気がつけばそうだった、というふうにイエは生物になっていた。
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朝、硬い金属のドアを押し開くと、イエはヤツメウナギの口のように棘だらけのドア枠を緩ませ、どろりと涎を垂らす。
ハルトは猛獣を躾るように強い態度でその口に玄関扉を強引に押し込み、容赦なく鍵を閉めた。
手で服についた涎を払うと登校班に合流し、小学校まで通う。
それがハルトのなんということでもない日常だった。
姉のヒナタはこのところ体の調子が悪く保健室で過ごしていることが多い。
イエの消化液はヒトを内側から蝕むのだ。
子供のうちは体表そして内臓の表面から抵抗物質が分泌されている。
体の内と外の表面をシュガーコートのように満遍なく抵抗物質で覆い、強力なバリアを作ってイエの消化液から身を守っているのだ。
しかし生殖腺の成長に従って抵抗物質の分泌は徐々に衰える。
コートは内側から剥げ、いずれ外側へ至る。
ヒナタは時々胃液のような黄色く酸っぱい液を吐く。
おそらく既に三割ほど内臓が溶かされているのだろう。
自覚症状が現れるのはその頃だ。
消化が進むのと比例してイエはその対象に対して強く出るようになる。
ヒナタはもう自力で玄関扉を開け閉めすることはできない。
イエは弱った個体を見抜き牙を剥く。
消化できる物質を外へ逃がすまいとするように。
ヒナタは近いうちに中学校から
「こう調子が悪いのに無理して登校してはいけない、休んではどうか」
と促されることになる。
イエは声色を変え学校からの電話に応答する。
センセイ スミマセン。オッシャル トオリニ イタシマス
それがヒナタのヒトとして最後の日となるだろう。
先日父親が排気口から排出された。
黒い直径20センチほどの毬藻となった彼は、アスファルトを転がり下校時の小学生のおもちゃになった。
ボール代わりに蹴飛ばされ、泥だんごが弾けるように粉々になった彼は、靴底でアスファルトに擦り付けられ凹凸に入り込んでいる。
ハルトはそれを父親とは知らず運動靴で踏みつけて登校する。
ハルトは父親を知らない。
いつの間にか、徐々に、気がつけば父親は消えていたからだ。
外側を溶かされた大人はイエに飲み込まれて家具となっている。
内側でじっくりと溶かされイエの体内で栄養となる。
何年も何年もかけて消化される。
ハルトのイエからはその日、本棚が一つ消え、本が床に散乱していた。
「お母さんあのね、今日学校でさ……」
ハルトはイエで母親にたくさん話をする。
イエは母親の形に似せた突起を作り母親の声色を真似、返事をする。
消化液を固めて作った料理を並べて微笑む。
タクサン タベルノヨ。オマエニハ ハヤク オオキクナッテ モラワナクチャ。
ハルトは今年五年生になる。




