短編:ご依頼どおりに。[Heqins]
=4,323字=
今回はNark・rowen侯爵の夫人、Fikrie・rowenを殺す。二月前から手伝いとして潜入しているのだけど、侯爵のいない今晩の内に遂行しよう。潜入にはもう一ヶ月猶予があるが潮時だ。
燃やしてしまった依頼文の内容を再度想起する。
=====
[Hek#324k(殺害)][期限:0523]
[依頼主:Thihv][対象:Fikrie・rowen]
[条件:親族不在。明白な他殺。]
=====
結果至上主義の”派遣会社”は「秘匿」「単独」「対象外不殺」を遵守するなら手段は問わない。
「お嬢様、今日はどうなさいますか。」
一人で遊ぶ侯爵の娘に夕餉を尋ねる。
「なんでもいい、べつに。いつもどおりで。」
「では、そのように致します。」
誰かと共に食べないのなら好物を選べるが、選ばないのがこのお嬢様だ。一礼して部屋を出、本日最後の料理を作るため厨房へ向かう。
この屋敷には3つの厨房がある。中央に大きな厨房が1つ、その隣に補助が1つ、そして離れに一つ。お嬢様専属なので冷蔵庫の中も熟知している。
……うん、昨日から考えていたものを作ろう。我儘に付き合わずに済むのは楽でいい。
□□□
「夕食をお持ちしました。」
「うん。」
「用があればお呼び下さい。」
部屋から通じる隣室でいつも通り待機をせねばならない。が、今日は本館へ赴く必要がある。正規ルートではお嬢様に顔を合わせる事になる。よって気付かれず抜け出すなら窓である。
「お嬢様、少し席を外します。よろしいですか。」
「いいよ、すきにしたら?」
「本館の方にいますので、それにすぐ帰ってきます。」
「わかった。
……そうだ、ついでにいっておいて。『4がつ14か』っておかあさんに。」
「判りました。」
リスクは無暗に負うものではない。
長い廊下をしずしず歩く。
本館は、夕方になれば住み込みの7名だけだ。夫人の食前は、メイド1名が夫人に侍り、1名が料理手伝い、他2名ならこの時間は執事と掃除中だろう。厨房2名はまさに料理中。気を付けるべきは掃除係だけ、話しかけられると邪魔になる。
掃除の順序は知っているので鉢合わせはしないだろうが、不具合に対応できるよう注意しましょう。
夫人は夕食の前、というより帰宅して直ぐは、自室で本を読むのが常だ。部屋に誰も入れず、静かに本を読む。彼女にとっては休憩だが、私にとっては格好の習慣である。
夫人の自室近くに潜んでいると、夫人が来る。普段通り、側近のメイド1人を扉に待機させ、部屋に消える。
4分待機ののち廊下を歩いて部屋へ行く。
「どうしましたかHens、お嬢様に何か?」
「少し気分が優れないようです。」
「では誰か一人行かせましょう。」
「いいえ、それはお嬢様が好まれないでしょう。」
「そうですか。……それでは何故こちらへ?」
「お嬢様が伝言をと。」
「珍しいですね。」
「お誕生日ですから。」
「……ああ。そう、理解しました。」
「では失礼します。」
夫人のドアを二回ノックする。
「どうぞ、お入りなさい。」
返事を聞いてからドアは開ける。
「……あら、Hensじゃない。どうしたの?」
「失礼します。」
ガラス窓の月明かりで本を読んでいた夫人が椅子を回転させこちらを向く。本棚に囲まれた暗い部屋で、彼女の髪だけが明るく輝く。
「お嬢様から伝言です。」
「……『4月14日』かしら。」
「はい。」
「そうね……、『23日』と伝えてくれるかしら。私は今年も帰ってこれなかったけれど、その日なら空けられたから。Balent伯父さんのところで遊びましょう、って。」
本に栞を挟む様は悠然として、普段の多忙さは影を潜める。
「はい。『23日』ですね。」
「ところでHens。お茶を淹れてくれない?」
「いつもので宜しいですか?」
「Malleeね、いいわ。」
付属のティーセットで愛用されている茶葉を使う。貴族では温度を一定に保つための保温器を使う所が多いが、私としては都度沸かす方が美味しいと思うから使わない。少量なら沸かすのも手間ではない。
ちなみに、Malleeには鎮静作用があり、見舞い品として好まれている。
「ねぇHens、ここには慣れたかしら。」
「ええ、もう二月ですから。」
「急にVielaが亡くなって、Plunの専属だったから、よかったわ。あの子、口数か少ないでしょう?」
「そうですね。」
都合上Plunお嬢様の専属になったが、離れから活動するのは面倒が多い。行動には理由が必要だからだ。代わりに自由時間は取れるものの、動きにくい。
「貴女は正直ね。まぁ私がそう頼んだのだけど。」
「期待に添えているのなら嬉しく思います。」
対流の終わったお茶をカップに注いで小さな丸机に渡す。彼女はそれをつまんで口に添える。
「ありがとう、いい香りだわ。」
「いつも通りを所望でしたので。」
「普通はそういかないのだけど。でも頼まれた通りにするのが貴女ですものね。いつも通りの味だわ。」
「はい。」
月明かりの彼女は優雅である。
「貴女にはもう一つ頼みがあるの。14番の棚の、Plunに渡しておいて。さっきの伝言と一緒に。」
「手渡しされては。」
「仕事に手が付かなくなるわ。」
「……判りました。」
壁に備わる30マスの棚から14番を引き出すと、綺麗に包装された小包が入っていた。
口を潤した彼女はまた、本の栞を手に取る。
「もういいわ、ありがとう。寂しがってるといけないから、もう帰りなさい。
……ああそうだ、明日からの旅行、私は付いていけないけれどPlunを宜しくね。」
「はい。では、失礼します。」
一礼の後にドアを開け、閉める前にもう一礼する。
「では侍従長、失礼します。」
「はい、軽いとはいえ、体調には気を付けてくださいね。」
「いつも通り、お世話を致します。」
帰りの廊下でも、誰かとすれ違う事は無かった。
「お嬢様、只今帰りました。」
「おかえり、しょっき、かたづけておいて。」
「畏まりました。」
机に並んだ食器をトレーに乗せて厨房に運んでおく。洗うのはお嬢様が寝てからでいいでしょう。それよりも傍に使える方が優先事項だ。今晩はもう離れから出ることも無いだろう。
□□□
翌朝、支度を整えてお嬢様の所へ出向く。ノックへ返事がないのでいつも通り寝ているのでしょう。
「お嬢様、起きて下さい。今日は伯父さまの所へ行く日ですよ。」
「――ん、ぅ……。」
「目は閉じたままでいいですから、立って下さい、身支度しますので。」
「ぅん――。」
もろ手を挙げてベッドから落ちてきたお嬢様の両脇を持ち上げて、立たせてから服を脱がしていく。
本当なら自分で着替える事を覚えさせてもいいのだろうが、貴族にそのような習慣は要らないらしい。
「この前選んだ服で良いですか。」
「……うん。」
「ではちゃんと立っていて下さいね。」
瞼が下りていても脚は確りしているので着替えは簡単に終わる。
「では、裏門に馬車が来ていますので行きましょう。朝食はサンドイッチを作りましたので、馬車の中で食べましょうか。」
「うん、そうする。」
目を擦るお嬢様の手を引いて離れを出る。大きな屋敷には大抵表門と裏門がある。使われ方の例は来客用と普段用であるが、ここでは離れ用の裏門である。大荷物の時は動線が短く重宝する。
門を出た後は確り錠を掛ける。
「足元、気を付けてください。」
「だいじょうぶ。」
エスコートをせずとも蹴躓かず馬車に乗った。私も共に乗り込む。
「では、馭者の方、お願いします。」
もう帰る事は無いであろうNark・rowen侯爵の屋敷から、馬車は石畳をガタガタと遠ざかってゆく。
□□□
=====
[Hivth・di-rowen子爵夫人宛]
侯爵の妻、Fikrie・rowen夫人が4月19日夕刻、遺体で発見された事は既知のことと存じます。書斎から出てこられない夫人を訝しんだ侍従長が発見者です。
死因と思われる毒が愛用のティーセットから検出されており、遺書が無い事や夫人の日程を鑑みるに、自殺の線は薄いかと思われます。しかし屋敷関係者各位を調べたものの、毒物の所持や怪しい行動は確認されていません。侵入の形跡も見付かっておりません。
またPlun・rowen嬢が4月15日から公の方へ出立しており、屋敷の主人たる人物が不在となっていた為に捜査は難航しております。
私の所見では、Fikrie夫人ならば自殺するにしても侯爵の在宅時を選ぶのではないか、と。迷惑を好まない人でしたので。
ただ、「本案件は自殺と処理、捜査は終了する。」とArmelの捜査本部からご高説が来ています。しかし公ならば本部も取引に応じるかと。
[Vieplir・Dames送付(4/21)]
=====
配達役から受け取った封印付きの手紙を畳み、使用人服のポケットに仕舞う。
「……これは証拠になり得ますね。」
お嬢様の為になる手紙だ。私は頼まれた通りに依頼をこなす。Hivthの情報源、Vieplir・Damesが網に掛かってくれたので、もう一つの依頼[#325n]も完遂されるでしょう。彼は計画を知らされていなかったようですけど。
用意しておいた手紙を侯爵の鳩に託し、私が応接室に戻ると、お嬢様は安楽椅子の伯父さまに寄っていた。
「おじさま、いっしょにあそぼう?」
「おお、そうか、何がいい?」
「こちらは如何でしょうか。」
「何だいこれは。」
「もってきてたんだ、Hens、きがきく。」
「お好きなご様子でしたので。」
白黒の円盤を使う卓上遊戯は彼女のお気に入りで、私も何度か相手をさせて頂いた。丁度3年ほど前に夫人から貰ったらしい。
今、お嬢様は誕生日プレゼントの赤い帽子を被っている。子爵宅への道すがら渡したら、肌身離さないのだ。汚れを叱られるのは私なのだけど、洗えないので困っている。
……あ、毛玉が。
「お嬢様、一度、帽子を洗いたいのですが。」
「だめ。」
お嬢様は離すもんかと頭を押さえてしまうのだ。
=====
[Hek#325n(諜報)][期限:0602]
[依頼主:Kirfie][対象:Hivth・di-rowen]
[条件:内通者の特定。]
=====
登場人物
Hek/Hens:主人公[Heqins]の偽名
Thihv:#324kの依頼主:偽名
Kirfie:#325nの依頼主:偽名
Nark・rowen:侯爵
Fikrie・rowen:侯爵夫人
Plun・rowen:侯爵娘
Balent・di-rowen:子爵:Plunの伯父
Hivth・di-rowen:子爵夫人
Vieplir・Dames:手紙の送付主:Hivthの情報源
Viela:Plun担当前任のメイド
侍従長(名前不明):Fikrieに侍る筆頭