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明るく綺麗な所だった。
真っ白な壁、真っ白な廊下、真っ白な電気。
汚れやシミがどこにもついていない。
はじめて来た地下室に僕は興奮していた。
僕の手を引いているNOCに笑ってみせた。
「すごく綺麗な場所だ」
僕の言葉にNOCはただ前を向いて歯を見せ笑っていた。
「それは良かった」
しばらく歩いていくと、銃を持った兵士が立つ檻の前でNOCは足を止めた。敬礼する兵士に何か話していたけど、声が小さくて聞き取れなかった。兵士は少し不思議そうに僕を見て、それから何処かへ歩いて行った。
「彼は口が軽いからね。お前との会話を逐一、皆に報告しかねない」
「僕達の事、聞かれちゃまずいの?」
「そんな事は無いけど。俺が話しにくいだけ」
ポケットからIDカードを取り出すと、NOCは檻にそれを当てた。すると檻がガシャンと動き出し、スルスルと天井へ上がっていった。檻の向こう側は真っ暗でとても不気味だった。少し汗臭い匂いがした。
「行くよ」
僕は歩き出せず、NOCの手を強く握った。
そんな僕をNOCは抱いた。スタスタと暗闇の中へ迷わず歩いていく。身体が固くなるのを感じた。
カチッ…
一筋の灯りがついた。
その下に誰か座っている。いや、座らされていた。
両手はそれぞれ鎖で左右に引っ張られ、両足も椅子の脚にグルグルと縛られている。白い服を着たその人は、首を垂らしていた。苦しそうな息遣いが聞こえる。
「実験中なんだ。名前はA-08」
ペットを紹介する様にNOCは言ったけど、僕はあまり聞いていなかった。だって、こんなの見た事がなかったから。
「あの人、どうしたの?とても苦しそうだ」
「高熱を出させてるんだよ。どの位まで耐えられるのかを知る為にね」
「どうやって?」
「菌を打つんだよ」
僕をゆっくり降ろすとNOCは黒衣のポケットから注射器を取り出し、座っているA-08に近づいた。それに気付いたA-08は顔を上げて、逃げようと身体をもがいた。ガシャッ…と鎖の鳴る大きな音にびっくりして、僕は少し後ろへ下がった。
「おいで。大丈夫だから」
「………」
「何してるの、孤独者。見たいから来たんでしょ」
「…うん」
「だったら、おいで。こいつはもう弱ってる。噛みつきやしないさ」
A-08の後ろ髪をNOCは荒く引っ張りあげた。
「うぐっ…」と呻く声が聞こえ、僕は耳をふさいだ。
「たのむ…もう、やめてくれ……」
NOCは答えない。
A-08が泣き始めた。
僕は耳を塞いだままそっと近づいた。
「おれは死ぬんだろ…だったら、安らかに死なせてくれ。もう苦しい思いはしたくない」
「心配しなくてもお前は今日死ぬ。最期は静かに逝かせてやる。これが、最後の注射だ」
もがくA-08の首にNOCはプスリと針を刺した。
その途端、A-08の体はブランと垂れ下がった。両腕に繋がれた鎖のおかげで床には倒れなかった。けど、もう起き上がりもしなかった。静かになった。
「はい、死んだ」
NOCはホッとした様に言った。
「やれやれ…」と呟きながら壁にもたれ座るNOCの隣に僕も座った。寒くないのに足が震えていた。
「怖かった?」
「ううん。全然」
「強がらなくていいよ。足が震えているじゃないか」
震える僕の足をNOCは楽しそうにさすった。
その手を僕はすぐに払いのけた。
「これが俺の仕事。だから連れて来たくなかったんだ。子供にはトラウマになる」
僕は何も答えられなかった。
本当に、とても怖かったんだ。
隣に目をやるとA-08が首を垂らして死んでいた。よく見ると腕には針を刺した跡がプツプツと付いていて、皮膚が紫色だ。
「あの人、腕の色が僕と違う」
「そうだよ、何十回と刺してきたからね。……こいつは何年使えたんだろう。もう1年はいた気がするな」
「...この人、どうなるの?焼かれるの?」
その時、NOCの首に提げてあるPHSが小さく震えた。その画面を見るとNOCは「よいしょ」と立ち上がった。
「はい。…はい、ええ……。いえ、昨日の朝に実験体への試験投与は済ませてあります。恐らく、何か別の要因が関係しているのではないかと…。今ですか?今は感染エリアに来てます。A-08への最後の試験が終わった所です。もうこのまま簡易報告書も作ってしまおうかと。ええ、死にました。はい。…わかりました。終わり次第、外傷エリアに直行します。はい」
ピッと電話を切るNOCは少し焦っていた。
何かあったのかな。
「もっと案内したいけど急用が出来た。また来よう」
「どうしたの?」
「外傷エリアの実験体が暴れだしたらしい。早く大人しくさせないと…」
「この人はどうするの?このままにしとくの?」
「いや、さっきの兵士に頼んで解剖室へ運んでもらうんだよ。そうだな…少しだけ1人で待てるかい?すぐに呼んでくるから」
「わかった」
「ごめんね」と言うとNOCは早歩きでドアから出ていった。
「…………」
A-08と2人きり。僕は足を抱えた。さっきまで生きていたとは思えない。何も聞こえない、静かだ……だと思っていたんだ。
「……たことある」
「…え?」
声がした。
ここに話せる人間は僕しかしない。
違う、いたんだ。まだ。僕の目の前に。鎖で繋がれたままの…死んだA-08が。
「お前を見た事があると言ったんだ」
「………死んでない。なんで?」
「失礼なことを言うガキだ。生きてる人間に向かってそんな質問をするな」
そう言うけど、その声は苦しそうだ。
ゴホゴホと咳ながら、A-08は頭をゆっくりあげた。
「あれ。お兄ちゃんだ」
車のエンジンみたいに濁った声だから、てっきりおじさんだと思っていたけど違った。
目が赤い。何日も眠ってないみたい。真っ白な顔色に沢山の汗が浮いている。そんなに暑くないのに。
「そんなに俺の顔が物珍しいか?」
ドキリとしている僕にA-08は初めて笑った。
それに返す様に僕も笑ってみせた。たぶん、目までは笑えていなかったと思う。
「僕、アイン」
名前を言った。
僕の顔をじっと見つめていたA-0――
「お兄ちゃんの名前は?」
ふと聞いてみた。
「A-08。アイツが付けた名だ」
「違うよ、ほんとの名前を聞いてるんだ。それはNOCが付けたものでしょ」
A-08は面倒臭そうに首を前に振った。
息もさっきより苦しくなってるみたい。
「NOC…。そうか、NoahとDoctorでNOCか。単純な名だっ...」
僕は咳込むA-08の後ろに回り、その背中をさすった。ゴツゴツとした背中で、とても固かった。
「なんであいつといるんだ?」
ぜぇぜぇと喉を鳴らしながらA-08は聞いてきた。
「わかんない」
「わかんない?...”狩り”で捕まったからじゃないのか」
さする手を止めないまま、僕は考えて考えて思い出そうとした。"狩り"...そう言われてみれば。
「そうかも...しれない。でも、覚えていないんだ。気付いたらNOCとここで暮らしてた」
「...…」
「僕よく分からないんだ。大人に聞いても何も答えてくれないし。その、狩りってのもよく知らない」
「だけど、昨日今日来たって訳じゃないだろ。子供でもあいつらが毎日どんな事をしてるのか見てきているだろう」
A-08の質問に僕はただ首を振り続けた。