交換条件
「他の魔族に顔見せ?」
一通りの挨拶を終えたところで、アリシアからこの他にも魔族達に対する顔見せの場を設ける必要があると告げられた。
面倒なことだと思うと同時に、「他の魔族」という表現が宗一には引っ掛かる。
「ちょっと聞いておきたいんだけど」
「なんでしょうか?」
「もしかして魔族ってのも一枚岩じゃないの?」
「……お恥ずかしながら」
俯いてそう漏らすアリシアの顔にはほのかに悔しさが滲んでいた。
魔王として魔族の統率を取れずにいることを悔やんでいるのか、と宗一は思い至る。
「まあ逆を言えばここにいる連中は信用できるってことね」
「ええ、それは間違いなく」
宗一の言葉でアリシアの表現が明るくなる。
それだけでアリシアが家臣をどれだけ大切に想っているか窺い知れた。
家臣達も柔和な顔でアリシアの言葉を受け止めている。どうやら本当に固い信頼で結ばれているらしい。
ある意味微笑ましい空気を意外に感じながら宗一は疑問を口にする。
「ということは他の魔族に俺が人間だって知られたら都合悪いんじゃないの?」
「はい。ですのでソウイチには魔神として振る舞ってもらいます」
「構わないけど魔神らしさってのがどんな感じなのか分からないぞ」
「それは……」
アリシアが言い淀む。家臣の顔色もどことなくよろしくない。
「……まさか誰も分かんないの?」
「お察しの通り、魔神を見たことのある者はここにおりません。膨大な魔力を有しているのは確かですが……」
「それだと俺詰んでない?魔力なんて持ってないんだけど」
気配だけで魔力0の人間だと一発で見破られたのはついさっきのことだ。恐らく魔族という種は察知能力に優れているのだろう。
宗一の演技力以前に魔力の有無で正体が割れる危険性が極めて高い。
「そこはこちらでなんとか致します」
「具体的には?」
「ソウイチに魔力付与の効果があるマジックアイテムを装備してもらいます」
(……本当にファンタジーな世界だな)
異世界、魔法、マジックアイテムと次々に飛び出してくる、元の世界では馴染みのなかった物にどう反応すればいいのか悩む。幸いなことに言葉の意味やニュアンスが理解できるが。
「どうかなさいましたか?」
「いいや、何でもない。マジックアイテムは只の人間にも効果があるのか?」
「はい。といっても魔法の素養が無い者が魔法を使えるようにはなりませんが」
「要するに“只の人間”から“魔力を持っているだけ”の人間になると」
「そのような認識で概ね間違いないありません」
「しかしそんなもので魔神を名乗って違和感がないくらいの魔力を身に付けられるのか?」
「上級の魔族は魔力を隠すことに長けています。それは主に魔力の最大値を見せない為の工作なのですが、貴方には常にそうやって魔力を抑え込んでいるという前提を持って行動して頂きます」
宗一はなるほど、とひとまずの納得を示す。なかなか厳しい内容に追求したいこともあるが、それはこの場でなくても構わない。
それよりもまずは聞いておきたいことがあった。
「魔神の役を務める交換条件……ってわけでもないが、いくつか聞き入れてもらいたいことがある」
アリシアを始め魔族達の空気が再び緊張する。
それでも「まずはその殺気をぶつけるの止めてくれないか」などという冗談が思わず口をつきそうになる程に、宗一の余裕は変わらない。
その余裕がアリシア達の警戒心を煽る一因になっているのは宗一も当然ながら分かっているものの、だからといって組み易しという印象を与えてしまうのもまずい。
替えがきかない存在というのは、逆を言えば相手がこちらを利用しようと画策してくる危険を多分に孕んでいるのだ。
「そんな恐い顔しなくても無茶な要求なんてしないって。俺にガイドをつけてほしいんだよ」
「ガイド、ですか?」
「ああ、案内人兼世話人がほしい。この世界の常識、国や戦争の歴史、一般的な価値観、魔法や言語に関する基礎、ここでの法律やルール……とにかく魔神として生活を送るうえで必要な知識とボロが出ないようにフォローしてくれる人材だ。
人間に対する嫌悪感の少ない、もしくはそれをしっかり押し殺せる奴が望ましいな」
「……それだけの教養を持つ者となるとそれなりの役職に就いているので、選定に時間がかかりますが」
「一人に限れとは言わんさ。それぞれの分野の専門家や造詣の深い奴を代わる代わる付けてくれればいい。それなら一人当たりの負担も減るし周囲もカバーしやすいだろう」
「それはそうですが……」
煮えきらないアリシアの態度に、宗一は大きな溜め息をついた。
アリシアに向けた視線がやや強まったのは、魔王という立場でありながらあまり腹芸が得意ではなさそうなアリシアへのせめてもの情けからなのだが、それを理解できた魔族は皆無だった。
「はっきり言ってこの提案を断るのは暗君のすることだ」
「……なぜでしょうか」
「自陣に引き込まざるをえない敵である人間に余計な情報を与えたくないという心情は分かるが、俺に教師役をつければ俺に入る情報をそっちがある程度管理できるんだぞ。
そして警戒はしないといけないが極力機嫌を損ねたくない人間に対して大っぴらに監視をつけることができるんだ。どうしてそれを断る?断固とした理由でもあるのか?」
アリシアから返ってくる言葉はない。宗一に言われたことを反芻しているのだろう、アリシアは目を瞑って考えをまとめようとする。
しばらくして開かれた口からは、「分かりました」という簡素な返事だけがこぼれ出た。
(上に立つ奴が流されやすいのはいただけないな……まあとりあえず情報源はゲットできたからいいか)
という宗一の思惑を察知できた者もまた、この場に居なかった。
◇
ベアトリス・ノーチェはソウイチ・タカムラに嫌悪とも警戒とも別種の関心を向けていた。
端的に言い表すのならば、それは“興味”。
ベアトリスも人間に対しては並々ならぬ敵対心を抱いてはいるが、それはあくまで種族に対してである。
そもそも人間と接するのは戦場以外にあり得なかった。個として認識する人間と相対したのは初めての経験であり、思いの外殺意は沸いてこない。
到底穏健派とは言えないが、「危害を加えてこない限り手は出さない」というのがベアトリスの人間に対するスタンスだった。
その性格上いつでも組伏せられる人間一人が相手であれば、敵対心を抱かないのは当然ともいえた。
ベアトリスが宗一に興味を持つきっかけになったのは、度重なる挑発を重ねたあげくそれによって殺気を向けてくる魔族を観察していることに気付いたからだった。
人間らしからぬ独特な雰囲気を放つソウイチに最初こそ殺気を向けたが、アリシアとの会話を重ねる中でベアトリス、そしてカイルだけがソウイチへの警戒心を若干ではあるが緩めていた。
その要因はソウイチの間合いの取り方にある。リアの初撃以降、ソウイチは常にアリシアと一定の距離を計っていた。
“ソウイチがアリシアに攻撃を仕掛けても魔族が割り込める”程度の距離を。
宗一の本当の速度や攻撃手段が不明なので警戒は維持しているが、ふざけたような口調とは裏腹に見せる行動には全て理由があり、そこにアリシアを害そうという気配は窺えない。
(面白いのね、人間って。しかもソウイチはそれなりに強そうだし……)
リアの衝撃弾を回避した動き、魔族や殺気に怯まない胆力、こちらの力量を見抜いた間合いの取り方。
勇者でもない人間ということを考慮すれば、どれもベアトリスにとって高く評価できるものだった。
そして何よりも興味を引いたのが宗一の考え方である。
警戒されているのを理解していながら、そのうえで自分に監視をつけろと言うのだ。恐らく額面通りの意味ではないのだろうが、その奥には間違いなく真意が潜んでいるのだろう。
その口から飛び出す言葉はすべからく的確で合理的なものであり、思わず納得してしまうほどである。
ベアトリスは知る由もないことではあるのだが、高村宗一は人間の中でも毛色の違った存在である。正でも負でもない、フラットな感情の興味をベアトリスが持っても不思議ではなかった。
(近くにいれば少しは分かるのかしら?“一般的な価値観”ならあたしでも教えられると思うのだけれど……アリシアちゃんに頼んでみようかな)
世話役に立候補しようか思案しつつ、ベアトリスは人知れず宗一に熱い視線を向けていた。