心を誘う者
レイチェルがソウイチ・タカムラに対してまず最初に抱いた印象は“不気味”だった。
魔族に包囲され、それを見回した上で笑みを浮かべたのだ。まともな思考回路をしているとは思えなかった。
次いで“危険”だと判断した。リアの衝撃弾を回避した動きは常人のそれとは比べるべくもない。
種の違いによって身体能力に差がある魔族には遠く及ばないが、それでも迎撃できる体勢を整えておく必要があった。
そして今、あまりに“無礼”な言動にレイチェルの我慢も限界に達しようとしていた。
「言っちゃ悪いが正気を疑うな。勝手に呼び出しておいて命がけで戦えってか?ふざけるのも大概にしな」
「貴様っ!」
「っ!止めて、レイチェル!」
自身が頂く王であり親友のアリシアを侮辱する言葉にレイチェルの目の前が赤く染まる。
叩き伏せてやろうと踏み出したが、それはアリシア本人に遮られた。
「なぜお止めになるのですか……!」
「彼を見極めたいの。勇者との戦争で彼が私達魔族の標となるかどうかを」
「あの者は人間なのですよ?」
「ええ、それも普通の人間ではありません。なにせ異世界からの来訪者ですから」
「人間の言うことなど虚言に決まっています」
「確かにそうかもしれないわ。けれどもし異世界の人間だとしたら彼が私達の敵と決まってはいないでしょう?」
「……分かりません。なぜそこまで」
「信じている、というわけではないの。でも魔族種の未来を守るためには彼の協力が不可欠なのは貴女も理解しているでしょう?」
「…………」
確かにアリシアの言う通りだ。
『召喚の儀』は魔王の魔力を捧げる――つまり、最早アリシアは魔力をほとんど失っているのだ。
魔力の残滓が尽きればアリシアは魔力を持たぬ魔王となり、それは羽を失った鳥と同義。
だからこそ『召喚の儀』は一代に一度限り。
別にソウイチの能力そのものが必要なわけではない。『召喚の儀』で喚び出されたという事実が必要なのである。
「魔族の……貴女達の命を護るためなら使えるものは全て使い、出来ることはなんでもやると決めたの。分かって頂戴」
「くっ……魔王様の御心のままに」
「ありがとう、レイチェル」
自分と歳の変わらぬ親友の覚悟に胸が痛む。魔族の王が人間に協力を請うなどどれ程の屈辱だというのか。
(きっと誇りを踏みにじられるような思いをなさっている……だというのにあの男は!)
アリシアの心を容赦なく切り刻むソウイチを睨み付ける。視線に質量があればソウイチの体には穴が開いたことだろう。
しかしソウイチは依然として飄々とアリシアとレイチェルのやり取りを観察していた。
己が控える場まで踵を返して毒づく。
「あの男、気に食わん」
「気に食う人間など元から存在せんだろ」
「そんなでたらめな言葉は存在しないし、そういうことを言っているのではない」
「わたしもあの人間きらい……だいきらいです」
右隣からオリバーが茶々を、左隣からはリアが賛同の意を唱える。リアはソウイチの態度に加え、自分の魔法が避けられたことを腹に据えかねているようであった。
「リアがそこまで言うのは珍しいね……まあ気持ちは分かるけど」
「アリシアちゃんが止めなきゃあたしが首をねじ切ってあげたんだけどね」
「お前達、魔王様の御前だぞ。無駄口は控えろ」
リアの双子の兄であるリンと、胸元が開いた扇情的な衣裳のベアトリスが会話に加わってきた所をカイルがたしなめる。
各々が好き勝手にしているように見えるが、ソウイチが何か不審な動きを見せれば直ぐ様取り抑えられるように警戒は怠っていない。
しかしソウイチはそれを知ってか知らずかこの場に控える魔族全員の神経を逆撫でる言葉を口にする。
「ん?ああ、気にするな。帰せってのは冗談だから」
その一言にレイチェル達の体が強張る。そうでもしなければ自分を抑え込めなかったからだ。
あの人間は今なんと言った?冗談?
魔族の王としての役目を全うしようと恐怖を圧し殺す、誰よりも優しいあの少女を傷付けてきながら冗談だと?
(アリシア様の覚悟を、誇りを汚しておきながら……!)
広間を覆う空気は不穏を通り越し一触即発の事態に陥っていないのが不思議なほど濃密な殺気が充満している。
この人間は絶対に許してはいけない。全てが終わった時、考えうる限りの苦痛と恐怖を与えて死の淵に叩き落としてやらなければ。
かつてこれ程までの怒りを抱いたことがあっただろうか。
レイチェルの心では到底許容しきれない大きさの感情がうねりを上げていた。まるで人間に対する憎悪を全て圧縮したような、身が細切れになりそうな、果てしない怒り。
だが――
ソウイチの言葉はそんな激情を容易く押し流していった。
「さっき説明を聞くに俺は勇者と戦うために喚ばれたんだろ?勇者がどれだけ強いか知らないが、少なくとも魔法も使えなきゃ魔族でも魔神でもない人間を召喚したって利点は少ない。
なら儀式をやり直すなり俺を殺すなりすればいいが一向にそうする気配はないし、アリシアに至っては俺を庇った。それも2度。渋々とはいえ忠誠心の塊みたいなあの赤髪――レイチェルだっけ?が引き下がったのも主の命令に順じただけじゃないよな。
ああいう手合いは主のためにならないと判断したら命令に背いても敵を排除するタイプだ。そんな奴が動かなかったのは俺に替えが効かないのを知っているからだろう。
とりあえずあんだけ挑発しても殺されないってことは気まぐれで生かしてるわけでもなさそうだ。そこに何かしらの理由があると考えるのが妥当だろう。そうなると理由も絞られる。
恐らくは召喚した者を殺すと何らかの不都合が生じるか『召喚の儀』が一度限り、もしくはアリシアにしか行えない場合だ。
いきなり攻撃されはしたけどあれは牽制程度で仮に直撃しても当たり所が悪くなければ死にはしない。つまり俺を危険視してたとしても命まで失うことは避けたかったんじゃねぇの?咄嗟の一撃だった割に威力はしっかり抑えられてたからな。
時間をかければまた『召喚の儀』ができる可能性もあるけど、こうして生かされている以上それもすぐには実行できないんじゃないか?条件面が不足してるとか、再召喚までの時間すら惜しいとか。
以上を踏まえて俺が現時点では代替不可の存在だと結論を出したわけだ。まあ最悪あの牽制で死ぬ可能性も捨てきれないからどこまで当てになる考えか分かんねーけどさ」
何でもないように語られているが、その内容はとても軽々と語られていいものではない。
(一体何なんだ、この人間は!?)
この場にいる魔族達の胸中はすでに恐慌状態であった。
なぜ人間が『召喚の儀』の最重要とも言える秘密を握っているのか。それは王家とそれに近しい魔族だけしか知り得ない情報のはずである。
魔王が魔力を失っていることが人間達に知られればつけ込まれる大きな隙となる。
先程まで赤く染まっていたレイチェルの顔が今はもう青ざめていた。
(私達の言動からこの短時間でここまで正確に見抜いたというのか?
あの態度も必要な情報を手にするために計算していたと?
王家と近しい臣下一族が数百年に渡って秘匿してきた秘中の秘をこうもあっさりと……!?)
仮に何か一つ読み違えていれば己の命など軽く消し飛ばされるかもしれない状況で、この人間は驚くほど冷静に、恐ろしいほど平静に相手の心を、動きを、手札を読みきったのである。
(やはり危険だ。排除を……いや、それはアリシア様への裏切りになる。まさかこれも計算の内か!?)
得体の知れない恐怖がレイチェルの体を這い回る。なぜこうまで周囲の人間の意を見抜くことができるのか。
これだけのことを平然と成す者が自分と同じく心を持つ存在には思えなかった。
もしかしたら――という考えがレイチェルの頭を過る。
もしかしたら、自分が抱いた怒りも、あの人間が私達に用意したに過ぎない感情なのかもしれない……と。
レイチェルは陰謀論とか本気で信じちゃうようなちょっとあれな感じの娘です。