黒の瞳
「説明してもらえますか?貴方は何者なのかを」
(それは俺のセリフだけどな)
名をアリシアというらしい銀髪少女が玉座に座して尋ねてきた言葉に、宗一は心の中だけで毒づく。
直接口に出さないのは出した瞬間に奇妙な出で立ちの取り巻き連中に総攻撃を仕掛けられる気がしたからだ。
なによりここで反骨精神をひけらかすよりは素直に従って情報を探った方が賢明である。
地下らしき部屋から移された広間は、石造りなのに変わりはないが10メートル以上はある天井にきらびやかな装飾の施されたシャンデリアが吊るされていた。
しかしここも先ほどの部屋と同様に窓の類は存在せず外の景色を窺い知ることはできない。
これでもし陽が落ちていようものなら宗一は気づかぬうちに数時間昏倒させられていたか、もしくは日本と半日ほど時差のある場所に一瞬で連れ去られたということになる。
他にも考え出したらきりがない疑問の数々を無視して宗一は最低限の自己紹介を行うことにした。
「名前は高村宗一。あんたらに倣えばソウイチ・タカムラかな?年は十九、生まれは日本だ」
「聞き慣れない名ですね……ニホンとはどのような所なのですか?」
「極東にあるアジアの島国だよ。世界地図の右端に載ってる細長い……って日本語喋れるんだから知ってるだろ」
宗一もアメリカやヨーロッパ圏全土で日本という国がメジャーだとは思ってはいないが、これだけ流暢な日本語を話せるのだから知らぬ存ぜぬは考えにくい。
「…………」
「いや、そんな顔されてもね」
しかし予想に反してアリシアの反応は薄く、困惑と疑惑の混ざった表情で宗一を見据えている。
やがて大きく息を吐いてからアリシアは口を開いた。
「何やら勘違いをされているようですね」
「勘違いって?」
「私はニホンという国を知りませんし、私が話しているのはロマイル語という言語です」
「……」
今度は宗一が押し黙る番だった。
ロマイル――それが国の名前なのかこの地域の名称なねかは分からないが、宗一にとっては聞いたこともない単語である。
もしかすると世界にはロマイル語を扱う国があるかもしれない。
だが、それはロマイル語を知らないはずの宗一がこうしてアリシアと言葉を交わせることの説明にはならない。
見事な日本語を操っているアリシアが宗一を担いでいることも考えられるが、そうする理由は不明である。
(それに……)
アリシアと会話を交わしていて一つ気づいたことがある。
それは耳に聞こえる言葉とアリシアの口の動きが一致していないということだ。
滅茶苦茶な、少なくとも日本語ではない口の動きにも関わらず、アリシアはしっかりと日本語を話している。
これが意味するところはアリシアが事実を語っている可能性がそれなりに高いということだ。
「信じられませんか?」
「それを認めるためには、お互い確かめなきゃいけないことがあるな」
「……ええ、貴方の言う通りです」
そうしてアリシアから語られるこの世界の姿。
曰く、ここはロマイル大陸のフィガードという国である。
曰く、ロマイルには日本やアジアと言った国や地域は存在しない。
曰く、この世界には魔法がある。
曰く、その魔法を用いて宗一を召喚した。
曰く、それは勇者との戦争に勝利するためである。
曰く、なぜなら自分は魔族――魔王である、と。
宗一は取り乱すこともなく語られていく言葉を受け止めていた。さすがに魔法が存在することを前提として進められたときは口を挟みそうにはなったが、今はとにかく聞き役に徹する。
結果、アリシアの話は荒唐無稽も甚だしい、一笑に伏してしまうような内容であった。
しかしその反面、納得できる現象をこの短時間で宗一はいくつも経験している。
一瞬で物理的手段を用いずここに連れ去られたこと。
未知の言語を一瞬で習得させられたこと。
事実、それらの現象を起こせてしまう力が存在している。そこに正体不明の攻撃を含めてもいい。
(そうか……これは“現実”なのか)
最終的な決定こそ下していないが、それがほぼ確定事項なのだと宗一は認めた。
本当は最初から頭の片隅でその可能性は考慮していた。
だが、宗一の些かずれた最低限の常識をもってしとも「あり得ない」と判断せざるをえなかったのだ。
なにせここは“異世界”である。
(だって、そうだろ?まさかこんな……)
しかし、それは決して否定的な考えからくるものではなかった。
(こんな夢みたいに都合のいいことが起きるなんてさ)
異国――いや、異界の地で、宗一は歓喜の叫びを押さえ込むのに苦心するのだった。
◇
アリシアは自身の話を聞いても尚、落ち着き払った様子の青年に驚いていた。
そしてその驚愕は青年――ソウイチ・タカムラが暮らす世界の話を聞いてより深いものに変わっていく。
なんとソウイチの世界には魔法が無ければ魔族もいない、それらはすべて空想世界の産物に過ぎないと言うのだ。
それにはアリシアとソウイチを遠巻きに見守りながら話を聞いていたレイチェル達も衝撃を受けていたが、アリシアはそれで得心がいった。
(だから魔族を前にしても怯えなかったのですね)
ソウイチには「人間にとって魔族は恐れる者」という常識以前に、「魔族が存在する」ことが非常識だったのだ。ありもしない幻想などに怯えるわけがない。
だが同時に疑問も尽きない。
それはソウイチにとって非常事態であるにもかかわらず、彼が動じた振る舞いを全くと言っていいほど露わにしないことだ。
魔法も魔族も存在せず、戦争からも縁のない人間が突如こんな世界に呼び出されたというのに、こうも凪いだ海のような静けさを瞳に浮かべることができるものなのだろうか。
アリシアの話を冗談だと切り捨てた風でもなく、かといって事の重大さに気付いていないわけでもない。
ただ冷静に一つひとつの事態を飲み込んで消化しようとしている。
アリシアにはソウイチの内心が理解し難かった。
文字通り種族も住む世界も違うのだからおいそれと理解などできないのは十二分に承知している。
アリシアが分からないのはもっと根元的な部分。
決して無表情なわけではないのにソウイチからは何一つとして感情が読み取れない。
未知なる存在への恐怖も、見知らぬ世界に放り込まれた怒りも、故郷から遠く連れ去られた不安も。
種族の垣根を越えて心を有する生物であれば持つはずの感情の揺らぎが目の前の人間からは感じられなかった。
(一体どのような経験を積めば此程までの平静さを身に付けられるのでしょう)
自らが召喚した魔力を持たぬただの人間に、アリシアは言い知れぬ恐怖とわずかばかりの期待を抱いていた。
もしや自分は詰みかけの盤上をひっくり返す鬼札を引いたのではないか――と。