邂逅と衝撃2
凝った魔法とか戦闘描写はありません。
アリシアはただ呆然として目の前の光景を眺めていた。
『失敗した』
その事実がアリシアの頭の中を急速に埋め尽くしていく。
元より成功率が低いことは承知していた。
それでも魔神とまではいかないが、せめて神格クラスの魔獣なら自分でも召喚できるのではないか――そんな希望にすがっていた。
しかし現実はそんなアリシアの想いを容易く打ち砕く。
(どうして……人間が……)
召喚に応じて魔方陣の中に顕現したのは、アリシア達を召喚の儀にまで追い込んだ張本人である人間だった。
これは失敗などという範囲には収まらない。あろうことか魔族の大敵である人間を召喚してしまうなど魔族への裏切りだと糾弾されても反論できないだろう。
やがて光が収まるとそこには一人の男が立っていた。どう見ても、どう気配を探っても、なんの変哲もない人間である。
特徴を挙げるとすればアリシアの絶望をそのまま塗りたくったような黒い髪と目、そしてあまりにも場違いな不敵な笑み。
アリシアの背中に冷たい汗が伝う。
(終わり……なのかしら)
これでは激化の一途を辿る人間との戦争に負ける。彼女を慕い、忠誠を捧げてくれた仲間達の命も護れない。
最悪、反逆者として同じ魔族に殺されることも考えられる。
アリシアは体から力が抜けていくのを感じる。倒れてしまわないように震える足で踏ん張るのが精一杯だった。
膝が折れるのを耐えられたのは、きっと魔族の王としての誇りがあったからだろう。
「……、…………」
思考が停止状態に陥ったアリシアの意識を人間の男が引き上げる。
話しかけられるとは思っていなかったので、体がビクリと反応した。
本来なら勇者や英雄と言われる人種を除いて人間は魔族を恐れる。ましてや自分から話しかけたりはしない。
しかし眼前の男には勇者特有の覇気もなければ魔力も感じられず、そういった人種には見えない。
アリシアの配下達もそれが分かっているからか警戒はしつつも事の推移を見守っている。
男は尚も話しかけ続けてくるが、良く良く聞いてみれば発しているのは言葉にもなっていない言葉だ。
始めは錯乱でもしているのかと思ったが男の口調はしっかりしたものであり、視線も定まっているし落ち着いた雰囲気すら放っている。
(この人間は一体……?)
悉く自身の常識に当てはまらない人間に疑問を感じていると、男は口を閉ざし数瞬の思索に耽る。
そして一歩、アリシアの方へ足を踏み出した。
それだけで分かった。
いや、明確になったと言った方が正しい。
――この人間には、戦闘の心得がある。
その一歩を踏み出したことで男を敵と認識した配下の一人、魔導師のリアが無詠唱で衝撃弾を放つ。
衝撃弾は初級の魔術ゆえに発動までの時間が短く、視認が不可能なうえ無詠唱により発動も見極められない。
威力としては牽制にしか使えない程度だが、それは強靭な肉体を持つ魔族や集団との戦闘においての場合であり勇者でもない人間一人を打倒するには問題ない魔法である……はずだった。
「えっ!?」
衝撃弾の爆音にアリシアの驚愕に染まった声が混ざる。
こともあろうにその人間は不可避であるはずの衝撃弾を何ら苦もなく回避してみせたのだ。
それにはアリシアだけでなく、衝撃弾を放った魔導師のリア、そして迎撃体制を整えていた周囲の魔族達も目を丸くする。
「そんな……人間に避けられるなんて……」
リアが漏らした呟きは、その場にいた魔族全員の心を代弁した言葉だった。
勇者を筆頭とする人間達との戦争を控える彼等にとって、ただの人間に魔法を避けられたその光景は悪夢に他ならなかった。
だからといって呆けてばかりもいられない。
衝撃弾を回避されたということは、あの人間は未だに健在なのだから。
「アリシア様、お怪我はありませんか!?」
「レイチェル……ええ、大丈夫よ」
駆け寄ってきたレイチェルに、アリシアは頷き返す。その間も二人の視線は男が身を潜めた階段の陰から外されることはない。
「アリシア様は下がっとって下さい。レイチェル、アリシア様をしっかりとお守りしろよ」
さらに後ろからオリバーが指の骨を鳴らしながら現れる。そう言うとすぐさま人間の方へ飛び掛かか――ろうとして、アリシアに制止された。
「待ちなさい!あの人間に手を出してはいけません!」
「アリシア様?」
アリシアの言葉に皆の動きが止まる。その間にアリシアはオリバーの前に立ちはだかると両の手を広げた。魔族が無防備な背中を人間に向けるなど自殺行為である。
ざわめく自分の臣下達を見つめ返してアリシアはハッキリと告げる。
「貴方達の王として命じます。あの人間に危害を加えることは許しません」
「しかしなアリシア様、あの輩は危険だ。これはワシだけでなく皆の総意だと思うが」
オリバーの言葉にレイチェルも含めた配下達が首を縦に動かす。
「それでもなりません。これは命令です」
“命令”という言葉を強調するアリシア。
彼女はこれまで、それこそ王に着任してからも命令らしい命令を発したことはなかった。それはアリシア自身が「仲間に命令を下す」という行為を嫌っているからだ。
臣下達もそれを知っているからこそ、この一言に動揺が走る。
「なぜですか!」
「レイチェル、彼は召喚の儀に応じた私達の救世主なのですよ」
「違います!あれはただの……」
「例えただの人間だとしても!それが彼を排する理にはなりません!」
魔族として、その王として、人間を庇うなど正気ではないだろう。
それでも人間を背にそう宣うアリシアの姿は、紛うことなく魔王としてあるべき姿だった。
「……異議があれば後でいくらでも受け付けましょう。リア、こちらへ」
今までに見せたことのない毅然とした振る舞いのアリシアに、臣下の中で最年少のリアは恐る恐る前に出る。
「『インテリジェンス』を彼にかけてください。効果範囲は言語だけで構いません」
インテリジェンス――知識付与の魔法。効果範囲によっていくつかの段階に分けられるが、言語は初級に分類される。
即時的な効果は大きいが、時間さえかければ誰でも一定の水準まで達することと、字が読めなくても会話が成り立ってしまうことで識字能力の阻害になることもあるのが初級として扱われている理由だ。
「私が合図したら彼にインテリジェンスを」
そう言うとアリシアが人間に身ぶり手振りで自分の意思を伝えようとする。アリシアの見立て通り人間には言葉が通じていないようだった。
それでもジェスチャーを繰り返すと、意外なことに人間は素直にそれに応じてその身を晒した。
指示に従うように徐々に間合いを詰めてくる。そしてインテリジェンスの射程に入った瞬間、アリシアがリアに合図を送る。
突如としてまばゆい光に包まれた人間は驚きを含んだ声を上げた。
「うおっ、また爆発か!?ユナボマーかよ!」
「ゆなぼまー?なんですか?それは」
「……日本語、喋れんじゃん」
アリシアと会話による意思疎通を果たした途端、何故か脱力したようにうな垂れる黒髪の青年。
その仕草の意味も発した言葉の意味も理解できないアリシアは首を傾げる。
かくして魔王とその救世主は邂逅を果たすのだった。