踊る愚者
ジェレミア城の中庭に位置している煉瓦造りの大講堂は外観こそ教会に似た印象を抱かせるが、大きさは一般的な教会を遥かに上回る。
その収容人数は2000人あまり。
そんな施設を中庭に建造しておきながら決して手狭さを感じさせない辺り、ジェレミア城そのものがいかに巨大かよく分かる。
しかし王宮貴族の相次ぐ離反によって人口密度は激減しているため、かつて栄華を誇っていたその巨大さが今はもの哀しさを醸し出すのに一役買っていた。
とはいえ今日ばかりはそんな光景は無縁とばかりに魔族の姿で溢れかえっている。
召喚された魔神の顔見せ――より正確に言えばお披露目が大講堂で行われるからだ。
「ようやくだな」
次々と大講堂内に収まる魔族の集団を見やって壮年の男、ジム・レイアートは込み上げる歓喜を抑えてただそれだけを口にした。
今日、まがいなりにも現王権を握ってきたジェレミアス家は落日を迎える。
そして次期王権はジムが当主を務めるレイアート家が握ることになるのだ。
「ええ。衰退の一途を辿るジェレミアスには荷が過ぎる。レイアート様こそ王権に相応しいお方にございます」
宗一がこの場にいれば「『媚を売る』って言葉の手本だ!」くらいは言うだろう。
それほどまでに媚びへつらうトラスの姿は完全にジムの腰巾着だ。
「トラスよ、手筈は整っているか?」
「抜かりなく。相手はたかが人間、万が一もございません」
「ならばよい。此度の功績、私の胸に留めておこう」
「ありがたきお言葉にございます」
トラスがジェレミアス家に忍ばせていた間者からの報告によれば召喚された魔神は人間だという。
ジェレミアス家はなんとか魔神として装わせようとしているが、その工作と顔見せに向けた謀はトラスを通して全てジムに筒抜けとなっていた。
人間はなかなか面白い策を用意しているようだが、その弱点について既に本人が口にしている。
ならばトラスが言うように万が一の失敗もないだろう。
「間もなく私はこの国の王となるのだ。国への貢献に見合った褒美を取らせるのは当然のことよ」
ジムは沸き上がる笑みを殺して大講堂に足を踏み入れた。
◇
現在、顔見せは粛々と進行している。
アリシアが壇上で魔族達に大見得を切っているのを宗一は舞台袖で見守っていた。
宗一……というか魔神に対する賛辞は大言壮語もいいところだ。
恐らくアリシアの言葉を信じている者は皆無だろう。
そもそも本当に魔神が召喚できたのかさえ疑問視されるレベルなのだから。
だがこれはパフォーマンスの一環に過ぎない。
公式の場での発言は記録され良くも悪くも先々まで残る。
これから魔神が事を成せば今回の大言壮語にも箔が付く。
不相応な力しかなくても、それを事実に見せ掛けることは可能だ。
どうせひとつ失敗すれば諸共なのだからこれくらい振り切っても構わない。
やがてアリシアの口上も終わり、満を持して宗一の出番がやって来る。
宗一が壇上に姿を現すと先ほどまで静けさを保っていた魔族達がざわめき出す。
それはそうだろう。
見た目はどこにでもいるような若者なのだ。
こんな者に戦争の先行きを任せられるのか、彼らが不安に思うのは当然である。
「黙れ」
マイクなどの便利な音響機器は存在しないが、アリシアがリアにかけてもらったような拡声魔法なるものはある。
しかし宗一はそれに頼ることなく、大講堂に押し寄せた1000を越える魔族に対し地声で話しかける。
そこに目一杯の殺気を込めて。
決して大きな、恫喝するような声色ではない。
だがその一言で大講堂は息を飲むのも躊躇われるほどの静寂に包まれた。
「それでいい。私の名はソウイチ・タカムラ。私のことについてはアリシア様が殆ど語られた。故に私は己の目的のみを語ろう。
それは勇者の殲滅、そしてジェレミアス家とそこに連なる魔族達の繁栄だけだ。如何なる手段を用いても私は勇者を倒しアリシア様が求める勝利をもたらそう。
だからこそアリシア様の覇道を阻む者がいればその種族に関係なく消し炭にしてやる。各々方よ、それだけは肝に命じておくことだ」
◇
大講堂に集結した魔族の半数以上がソウイチという魔神に呑まれていた。
(いや、アレは魔神でもなければ魔族ですらない)
壇上で弁を振るっているのは脆弱で矮小で無力な人間だ。
ジムはそれを知っている。
だというのに呑まれた、気圧された。
闘えば間違いなく圧倒できるはずなのにその光景を思い描くことが困難だ。
(私が弱気になってどうする!アイツが死ねばジェレミアス家は終わるのだ!今、この場で!)
それは的確な判断とは言えなかった。
トラスに奇襲を行えと指示を出す。
積年の野望を果たす為、ソウイチに感じた不気味さを払拭する為、ジムは急いた。
トラスが放った刺客は3人。
全員がサイレントによって姿と気配を消し、暗殺の手腕に長けた者達だ。
ソウイチの回避手段は確かに驚異と呼べるものだ。
だが回避方法の性質上どうしても受動的になるしかない。
そこで複数による多面からの攻撃を同時に仕掛ければ反応しきれない。
周囲に張った膜によって攻撃を察知するならば、察知したとしても対応できない数と間隔で複数の方向から攻め立ていい。
これはアリシア達にソウイチ本人が口にした攻略法。
魔法を撃てない状況下では最善の攻略法。
トラスも、ジムも、そう確信していた。
ソウイチが3人の刺客をいとも簡単に各個撃破する光景を目にするまでは。
それは前触れもない唐突な動きだった。
前方に踏み出したソウイチが右足を蹴り上げる。
すると何もない空間から何者かが現れて、そのまま仰向けに倒れた。
さらに懐から取り出した2本のナイフを無造作に投げ付ける。
「ぐあっ」
「ぎゃあ!」
ナイフは空中で動きを止め、その終着点からはそれぞれ悲鳴が上がる。
残りの刺客もサイレントの魔法が解け姿を晒すことになった。
「どれほどの強者が魔力を殺して潜んでいたかと思えばただの雑魚か」
つまらなそうにソウイチは吐き捨てる。
その瞳から奇襲を仕掛けてきた者達への興味は既に消え失せていた。
「興が削がれた。カイル、リン、捕えろ」
手傷を負い姿を現した刺客にその2人から逃げ切る力はない。
すぐさま捕縛され暗殺劇は波乱ひとつ起こすことも叶わず幕を閉じた。
「ば、バカな……」
呆然と立ち尽くすしかないトラス。
混乱の極みに陥った彼は気が付かない。
始めから自分がソウイチの掌で踊らされていたことを。
そして彼は知らない。
これから自分がさらなる絶望の淵に叩き落とされることを。