本番当日
異世界に召喚されてから最初の7日間、宗一は精力的に動き回った。
戦争に関するあらゆる情報を一手に担う戦略室の主任だという魔族の男から現在の戦況を聞き出したり、人前に立つための振る舞いや言葉遣いの講習を受けさせられたり、ディボット兄妹に引き続き魔法を、ベアトリスからは現在の社会情勢について教えてもらったり、鍛練中のカイルをむりやり連れ出して町を散策したり、嬉々としてゴリラへの道を歩むオリバーをからかったり、素直を通り越して言いなりなサシャを涙目にさせたりしながら、時間は目まぐるしく過ぎていく。
そして今日、いよいよ最初の勝負となる日を迎えた。
魔天楼を始めとした王家派以外の魔族達への顔見せ当日。
宗一はこれからジェレミアス家の存亡を賭けた大博打に挑む。
……が、当の本人からは緊張感の欠片も感じられない。
「なあカイル、サイレントで着替えを覗いたことってあるか?」
「何いきなりトチ狂ったことをほざいているんだ貴様……」
あまりにいつも通りな様子の宗一に、カイルは思わずこめかみを押さえる。
ここの所の悩みの種であるその男は正装に身を包み、ひどく真面目な顔で、あまりに低俗な発言を垂れ流している。
「だって姿も音も消せるんだぜ?健全な男なら誰しも考えるに違いない。だよなリン」
「いきなり僕に矛先を向けないでくれませんか」
「そいうやお前が使ってる遠視の魔法も盗撮にはもってこいだな」
「……黙らないと顎をぶち砕きますよ」
「サシャ、こいつらの反応が冷やかすぎる。一言物申せ」
「ぅええっ!?あああ、あの……」
文字通りのキラーパスを送られたサシャは見事に狼狽える。
未だに本物の魔神だと信じている宗一に背いても、また王宮貴族であるカイルやリンに苦言を呈してもサシャの命は風前の灯なのだ。
宗一はからかっているだけだが、サシャは冗談抜きでそう思っている。
「それくらいにしてあげて、ソウイチ。彼女が可哀想だわ」
そこへ鈴を転がすような声と共に黒を基調としたドレスを纏ったアリシアがレイチェル、リア、ベアトリスの3人を従えて表れた。
アリシアの白い肌と銀に輝く髪とのコントラストは鮮烈で、まさに絵に描いた美少女である。
その場を救われたサシャは呆然とした様子で「女神様……」と漏らしているが、彼女にとっては二重の意味でまさしく女神に見えたのだろう。
「おお、今日はまた一段と綺麗だな」
「もっと違った状況であればその言葉もより魅力的に響くのですけれどね」
「ほっほっほっ。こんな時にアリシア様を口説こうとは、タカムラ殿は肝が座っておりますな」
宗一達のやり取りを見守っていた白髪混じりの男性が、その表情と同様に朗らかな声をあげて笑う。
戦略室主任、ロメロ・シュトーレン。
人間に例えればおおよそ60代前半に見受けられる細身の老人であり、この1週間で宗一が最も言葉を交わした相手でもある。
「まあ残念ながらこの通り振られちまったわけだが」
宗一は大仰に肩をすくめておどけてみせる。
対してロメロもわざと過ぎるほど真摯な態度で応えた。
「なに、今日を乗りきればまだこれから機会はありましょう」
「そりゃなおさら失敗はできねぇな」
「……どうして妙に馴れ馴れしいのだ?」
軽口を交わし合う2人を見てレイチェルが訝しむような口振りで尋ねる。
なぜかと問われれば今日までの間にお互いがお互いを認め合うだけのモノを示したからに他ならない。
ロメロは柔軟な思考と自らでは及びもつかない広く鋭い視野を持つ宗一を評価しているし、宗一も戦術や謀に深い造詣を誇るロメロを頼もしい人材だと判断した。
だからこそ出し抜かれないよう警戒心もより高くなっているのだが、それでも現時点では良好な関係を築いている。
それを知らないレイチェルからすれば狐に摘まれたような気分だった。
「一言で言うならば『話の分かる相手』といったところでしょうな」
「いまいち納得いかないが……今はそんなことを気にしている場合ではないな」
レイチェルの言葉に今の今まで和やかだった空気が一蹴される。
こういった切り替えができる辺り、やはり各々が実力者なのだろうと宗一は改めて感じた。
「それでは最終確認を行います」
「ああ、だがその前に」
アリシアの切り出しに頷いてから、宗一は首だけを背後に向けて平坦な声で告げる。
「サシャ、下がってろ」
「っ!か、かしこまりました」
萎縮したせいだろう、宗一にとってはもはや見慣れたぎこちない動作で退出していく。
「さ、始めるか」
「事情は理解できますが、少し彼女に対して冷たくないかしら」
サシャは宗一が人間である事を知らされていない。
また、本来ならばこのような場に居合わせられる立場でもない以上退出させられるのは当然である。
それでももう少し言い方があるのでは、とアリシアは思ってしまう。
その優しさは個人としてなら間違いなく美徳であるのだが、一国の王としては口にするべき言葉ではないだろう。
「アイツは神経細いからな。俺の付き人である以上避けられないなら、国の重鎮やら殺気が満ちた空気に慣れるのは徐々にでいいんだよ」
宗一はわずかに語気を強めてレイチェルを睨む。
意味合いとしては「いきなりおっ始めるなバカ」といったところだ。
レイチェルは「し、仕方ないだろう……」と言いつつも視線を逸らす。
「ごめんなさい、ソウイチ。冷たいなんて浅慮な発言だったわ。貴方は優しいのね」
「アリシアがそう感じたんならそうかもな」
「……もしかして、照れているの?」
「ほう、貴様にもそういった感情があるのか」
「全くもって似つかわしくないがな」
「うふふ、でも貴重な顔が見れたわね」
「くっくく、照れてるって……お腹痛いっ」
「きもちわるい……」
「お前らは俺をなんだと思ってんだ」
この世界に来て、初めて宗一が弄られる側に回った。
リアだけは弄るなどではなく純粋な感想だったが。
「ぅおっほん!」
再び弛みかけた空気をロメロが咳払いで引き締めにかかる。
ピシャリと鞭を振るうタイミングの見極めはまさに年長者らしい。
「あまり時間に余裕はないですからな。やれることがある内は後悔せぬようやりきりましょう」
まったくの正論に魔族達全員が反省の色を浮かべて頷いた。
もちろん人間である宗一はその中に含まれてはおらず、神妙な顔はしつつ口元がにやけているのをロメロは見逃さなかった。
(さすが生きてきた年期が違うね)
(老体を体よく使うのは勘弁してもらいたいものですがな)
一瞬のうちに視線だけで交わされた会話。
だがロメロが気付くのにはそれだけで十分であった。
一度緊張した空気を意図的に弛緩させた宗一の狙い。
それは彼らが皆“気負い過ぎていた”からである。
いざ国の行方を左右する場に立つのだから気負わずにいるのは不可能だろう。
ましてや王を含めて現王権を担う人材達は軒並み若い。
つまりは経験が絶対的に足りていないのだ。
そういった状況下で己の精神を律するのは困難を極める。
適度な緊張を保つ。
言うのは簡単だがのし掛かる緊張が大きくなるほど、その言葉を実践できる者は少ない。
だから宗一は心ではなく空気の方を弛めたのだ。
押し潰されそうな不安とは対照的な軽い雰囲気を作って平静を保たせようとして。
(気負いを瞬時に察し自ら笑われ役を買って出る、か。その洞察力と判断力、とても20年も生きていない青二才の手腕とは思えぬ)
そして何よりも恐ろしいのが、この中の誰より宗一が命を張って作戦の最重要部を担っているにも関わらず、これだけ冷静沈着に周囲を観察しているという事実だ。
彼が無責任でも考え無しでもないことをロメロは知っている。
故に恐ろしい。
人間や魔族などといった種族の垣根を越えた、高村宗一という存在の在り方が。
「んじゃ気を取り直してまずは配置から……」
平然と話を再開させた宗一に倣って、アリシア達は作戦の認識に誤差がないか擦り合わせを行っていく。
この場で宗一の異常性に気が付いているのはロメロだけだった。
「時間差で奇襲が行われた場合は殺しても構わんのだろう?」
「ああ。ただし1人目は殺すなよ?とにかく俺にまで奇襲を到達させてくれ」
「最低でも1人、可能なら2人以上を生け捕りに、だったかしら?」
「さらに付け加えるなら無傷が望ましいけど――」
アリシア達は高村宗一の在り方に慣れ……悪く言うならば毒され始めている。
宗一が常識的ではない存在なのは理解しているだろう。
だがそれが“どれほど異常なこと”であるかは真に理解できていない。
世界を知らないからこそ、世界には宗一のような存在もいるのだろうと納得してしまっている。
「相手が万が一魔法を行使してきた時は2人に任せた。想定外の魔法に関しては俺じゃ対応しきれない」
「アリシア様と同時に狙われた時は本当に援護しませんからね」
「構わないぜ。それから重ねて言っとくけど全員自分が狙われる可能性も考慮しとけよ」
「何度も聞いた。しつこい……」
生きるために自らの命をいとも容易く危機に晒す。
一見すれば矛盾しているが、それが最善手と見れば躊躇なく死地に飛び込む。
生きるために、救うために。
「レイチェルはとにかくアリシアに近付く奴らは問答無用でぶち殺せ」
「言われるまでもない。任せておけ」
「私は本当に守られているだけなのですね……」
「アリシアは王家の象徴だし、アリシアにしかできない事もある。適材適所っつーか直接闘いはしなくても出番あるしな」
「どういう意味でしょうか?」
「それはまた後で。今は顔見せを成功させることだけ考えてりゃいい」
生きたいという本能と、危険を理解できる理性。
そのふたつを同時に抱えながら、なお死地に踏み込むなどまともな精神では耐えられない。
死を覚悟してこその死地であり、生を諦めてこその死地なのである。
(しかし稀に、生きる覚悟をもって死地に到る者もおりますな。そしてその覚悟によって死地を切り拓いた者を世は総じて――)
『英雄』と讃えるのだ。
(果たして彼に宿っているのは我らを導く英雄としての器か、それとも魔族を終末へ追いやる狂気の闇か)
「こんなとこかな。あとはロメロの爺さんに任せた警ら部隊だけど……」
「ご心配召されるな。全ての経路に予定通り配備しております」
「それなら分かりやすいな。頼りにしてるぜ」
「耄碌してはおりますがしっかりと目を光らせておきましょう。たとえ“何物であっても”見過ごさぬように、ね」
それこそが自分に与えられた最後にして最大の役目なのだろうと、ロメロは強い意思を光らせた双眸で宗一を見返した。
《おまけ》
「そういえばオリバーの姿を見かけないがどこにいる?」
「ああ、刺客に備えて裏門のトコに突っ立ってるぞ」
「刺客だと?そんな者が……」
「いや、多分そんなのいねーけどな」
「……は?」
「だってアイツが大講堂に居たら邪魔すぎるだろ?」
「…………………まあ、な」
この日以降、カイルはオリバーにちょっぴり優しくなるのだった。
別にオリバーをオチに使いたかったわけじゃなく、単純に存在を忘却していただけです。
あの面子の中にオリバーがいないのは不自然なのでこんな形に落ち着きました。
オチ、着きました。
オチだけに。
オチだけに。