迷い
宗一が退出し、ベアトリスがそのあとを追って部屋を出ていく。
それを見送って残された4人は図らずも同時に大きく息を漏らした。
「2人ともお疲れ様」
アリシアがリンとリアに歩み寄ってそう声をかける。
2人はその言葉を恐縮そうに受け取った。
「それにしてもソウイチはずいぶん魔法に興味があるようね」
「はい。誰でも知っているような基本から僕達ではあまり気にしていないこと、さらに返答に窮するものまで根掘り葉掘り聞かれました」
宗一の態度を観察して、魔法について全く知識がないというのは事実だと納得できた。
だからこそなのか、魔導師が普段は気にも留めない所にも着眼点を持ってくる。
そういった部分の理解を改めて深め、それをその場で理論的に説明するというのは中々に骨が折れる行為だった。
「だがアイツは魔法を使えないだろう。なのに魔法を知ってどうするつもりなのだ?」
レイチェルが理解しがたいと首を捻る。魔族からすれば魔力を持たない人間が魔法について学ぶなど無意味にしか思えない。
そんな疑問にリアが応える。
「あの人間が言うには、『魔法が使えなくても知っていれば対策のしようがある』んだって……」
「対策?なんのだ?」
「……詳しくは分からない」
「そう……」
「ごめんなさい、アリシア様」
申し訳なさそうにリアが謝罪の句を述べる。その目にはうっすらと涙が浮かんでいるように見えた。
「そんな、気にしなくてもいいのよ?」
「でも……」
「ソウイチは私達とは考え方も価値観もまるで違う世界で育ったのだから彼の思惑なんてそうそう見抜けるものではないわ」
王たる私がそれでは駄目なのだけれどね、という自虐の言葉は飲み込んで苦笑を浮かべる。
「そうだぞ。相手は魔力を用いずに魔法障壁の真似事を平然と行うようなでたらめな人間だ。気に病むことはない」
レイチェルも追従してリアを励ますような言葉をかける。
しかしそれに反応を示したのはリアではなくリンだった。
「もしかしたら対策ってそれに関してかもしれません」
レイチェルが「魔法障壁の真似事」と評したもの。
それは魔天楼の反王家派が来訪した際、宗一が自身の策の有用性を証明するために披露した一種のカウンターである。
宗一によれば体の周囲に薄い膜を張るようなイメージを作り、その膜に響く大気の流れで仕掛けられた攻撃を察知して回避を行うというものだった。
そんな芸当を魔力を用いずに出来るものかと非難と嘲笑の的になったわけだが、宗一は実際にそれが可能であることを証明して見せた。
要するにサイレントで姿を隠したリンに自分を殺す気で攻撃させたのだ。
姿や音、そして気配さえ完全に遮断するサイレントは隠密・暗殺において抜群の威力を発揮する。
故に至近距離からのリンの一撃は必中である――筈だった。
だが宗一は気配も前触れもないその一撃を見事に回避。
以降リンによる攻撃は全てかわされ続けた。
「何度思い返してみても不愉か……非常識ですけど、ああいう防御手段があるわけですから魔法による攻撃の特徴を知っておくのも無意味ではないのかもしれません」
「なるほどな。だが……」
一拍置いてレイチェルは再びの疑問を口にする。
「アイツは戦場に出向くつもりでいるのか?」
レイチェルがそう考えるのも当然である。
宗一は後日行われる顔見せの場に置いて自身が奇襲に見舞われる可能性が高いと分かっていながら、その奇襲の矢面に立つと自らが決めている。
そのために『魔法障壁の真似事』を披露して周囲を納得させたわけなのだが、それを容認したのも奇襲はサイレントを用いた近距離からの暗器による攻撃がほとんどだからだ。
また魔天楼員が多く集まる場に置いて威力の高い魔法を使いにくい、という側面もある。
それらと宗一の回避能力を踏まえて顔見せ当日に向けた下準備が現在進められていた。
言うならば宗一が注意を払うのは物理的な攻撃だけということを意味する。
だがリンが指摘したように魔法を掻い潜る為の対策を練っているのだとしたら、それは宗一がこれから先戦場に立つことを想定していると捉えられる。
「本当にそんなことを考えているかは分かりませんけど……」
「仮にソウイチがそのつもりなのだとしたら、私はどうするのが正しいのでしょうね」
魔神であれば先人を切って人間を駆逐してくれることだろう。戦場に立たせろと言うならば実に頼りになる。
だが宗一は魔神の皮を被っただけの人間である。さらに魔神という重責を背負わせてしまったからには易々と命を散らさせるわけにはいかない。
多少戦闘の心得があろうとも宗一程度の力では戦争で命を落とすのは間違いないだろう。アリシアは彼がそれを理解できない人間だとも思えない。
それでも宗一は戦場で生き抜く手段を模索している。
本当ならばこんな戦争と無関係であるはずの彼が。
(だというのに私はその背を押すことも引き止めることも自分では判断できない)
魔神という肩書きである以上、勇者を討ち滅ぼさなければならない。
だがただの人間である宗一にそれを叶える力はなく、戦場に出れば命を落とすのは明白だ。
それでは困る。魔神が勇者に敗れるとなれば魔族側の士気は崩れ去り、戦況は一気に傾くだろう。
二律背反の思いにアリシアは苦悩する。
同時にその苦悩を味わいながら、それでも自らの足で先に歩んでいく宗一の姿が眩しく見えた。
それは憧れにも似た羨望と嫉妬をアリシアの心に呼び起こす。
(一度、ソウイチと二人だけで話をする時間があれば……)
なぜ彼はこれほどまで迷いなく進むことができるのか、アリシアはどうしてもそれが知りたかった。
しかし時間は待ってくれない。
アリシアが心に陰を宿したままその時はやってきた。