対策
目の前で積み重なっていく皿の量に、アリシアはここが魔天楼への対策を練る場であることを忘れ、宗一の食べっぷりに感心していた。
ほとんど食事を必要としない魔族からすれば宗一の食欲は驚異の一言であり、昨日の食事量を知っているだけに驚きはより大きい。
(人間というのはこんなに食べる生き物なのでしょうか?)
人間の生態について詳しく知らないアリシアがそう考えるのは仕方ないことである。宗一の食事量は一般的な人間と比べても多いのだが、それを知る由もない。
「ごちそーさん。あー……ちょっと食い過ぎたかも」
ようやくナイフとフォークを手放した宗一は大きく息をついて背もたれに寄りかかる。
同席している魔族は怒りや呆れを通り越して言葉を発する気力もないようだった。
「満足していただけたようですね」
「おお、この世界の食事は美味いな」
屈託ない笑顔を見せる宗一にアリシアは戸惑う。これまでの印象で宗一がそんな表情をできる人間だとは思っていなかった。
毒気が抜かれた、といっても良い。
(油断してはいけないわ)
給仕が食器を下げる間に、アリシアは緊張感を張りつめ直す。
「それで魔天楼から遣わされる反王家派への対策についてですが……」
「そうそう、その“魔天楼”って何なんだ?」
宗一の疑問に、そうですね、と間を取ってからアリシアは答えた。
「簡単に言ってしまえばフィガード王国の政治を支えている行政機関です」
「………」
宗一は言葉を失ってアリシアの顔をまじまじと見つめる。その意味が分からずアリシアは首を傾げた。
「あの、どうかなさいましたか?」
「いや……ここは国で、法律があって、それに従って国民が暮らしてるんだよな?」
「勿論そうですが……」
「魔王の恐怖と人間への憎悪で魔物を大暴れさせる秩序なき混沌とした世界じゃないんだよな?」
「それは昨日ソウイチ自身がその目で確認しただろう」
「ああ、お前と一緒にな。そして見た限り俺には読めなかったが魔族達には一様に識字能力が備わっていた。つまり教育水準も定まってるはずだし、人間――言い換えれば他国と戦争するくらいなんだから外交や物流なんかもあるわけだろ?」
「詳しくは存じませんが学術機関の運営や他国との交流が行われているのは確かです」
「じゃあ聞くけど、魔天楼ってこの国の政治や行政にどれくらいに関わってる?」
「ほぼ全てではないでしょうか。王宮側から提案すればそれを実現するための政策を細かく決めていただきますし、逆にこういった法が必要だと王宮側に助言していただくこともありますので。
現在の法や政策は魔天楼を通して施行されたものしか存在しません。魔天楼を無くしてフィガード王国の繁栄は望めないでしょう」
「……じゃあなんだ、この国の政治に最も影響力があるのは王宮じゃなくてその魔天楼って機関なわけだな?」
「ええ、そもそも王宮は基本的に行政には携わりませんし……」
「嘘だろ!?」
動じることなど無いような態度を続けてきた宗一が狼狽える姿に、アリシアのみならずカイル達も困惑の色を示す。
しばしの間、額に手をやって考え込む宗一を、アリシアは見つめることしかできなかった。
◇
「考えてたよりまともじゃないかもな、この国……」
あまりの事態にショックを受けた宗一は、それでもなんとか現実を受け止めて気持ちを立て直そうとする。
「ソウイチ……ご気分が優れないのですか?」
が、それを阻んだのは純粋そうな瞳を向けるアリシアと、宗一の態度が理解できていない様子の魔族一同だった。
きっと彼女達にとっては今のあり方が疑問を抱かないほど当たり前のことなのだろう。それは宗一にとって異常な光景だった。
(コイツら現状に対する危機感が無いの?……いや、人間との戦争に目が向いてるから気付けないし、魔天楼が教育機関にも深く関わってるなら洗脳じみた教育が施されてる可能性もあるのか。
でも反王家派が存在するってことは王家派なり中立派なりの別派が存在するはずだよな。にも関わらず反王家派がいち早く魔神に接触を図ってきて、かつ王家派が動かないのは何でだ?反王家派を制することができないほど勢力が弱いのか、あるいは……)
幾つかの仮説を頭の中で組み立てて、そこから正当と最善を導くために宗一はアリシア達から必要な情報を引き出そうとする。
「魔天楼内の大まかな派閥ってどうなってんだ?」
「主だった勢力は王家派と反王家派、それから始祖信仰派に別れています」
「始祖信仰ね……また聞き慣れない上に不穏な単語が出てきたな」
「始祖というのはフィガード王国初代にして至高と謳われるバルザック王のことなのですが……彼等に関してはカイルが一番詳しいのではないですか?」
「そうなの?」
「我がトリスタン家は建国当時から王宮貴族としてジェレミアス家に仕える剣。当然、バルザック王の元でもその力を振るったと教えられてきた。そしてバルザック王がいかに優れ、唯一の王であるともな」
「つまりそのバルザック王を未だに唯一の王様だと崇めているのが始祖信仰派か」
「そういうことだ。トリスタン家を含め始祖信仰派には王宮貴族が多い」
「ふーん、カイルは?」
「トリスタン家は未来永劫ジェレミアス王家の剣となる。我が仕えるのはアリシア・ジェレミアス様だけだ。過去は先代達に、未来は子孫達に任せれば良い」
カイルは微塵の瞬巡もなくそう言い切った。アリシアが信頼を寄せるのも納得できるというものだ。
「しかし恥ずべきことに未だに始祖信仰派は少なくない。なぜあやつ等はアリシア様の素晴らしさに気付かないのか……理解に苦しむ」
苦々しげにレイチェルが吐き捨てた。
アリシアに対して高い忠誠心を持つレイチェルだからこそ、過去の栄光を支持する王宮貴族が気に入らないのだろう。
「そういう奴らがいることは分かった。で、本題に入るがこれから来る反王家派の目的に検討は付いてるのか?」
「恐らく魔神――ソウイチと接触して力量を測ることかと。組み易しと判断されれば王家の信頼を崩す好機として責め立てられるでしょう」
「『今の王家が召喚した魔神では人間との戦争に勝てない』ってか?」
「仰る通りです」
平静を装ってはいたがアリシアの言葉にははっきりと悔しさが滲んでいた。カイル達も浮かばれない顔を見せている。
状況を鑑みれば当然だ。絶対的な力を持つ魔神を召喚したはずが、現れたのは魔力すら持たない人間。
今こうして毅然と問題に立ち向かってはいても、内心では気丈に振る舞っているだけなのかもしれない。
「ってことは狙いは魔族一同が介する顔合わせの場か」
「そこでソウイチに何か仕掛けてくると?」
「それなりに危害を加えようとしてくるかもな。攻撃を受ければ勇者には勝てない弱者、周囲の奴らに守られれば理由はどうあれ『守ってもらわれなければいけない』程の弱者だって触れ回ればいいわけだし」
「それではどうしようもないではないかっ!」
レイチェルがドンッ!っと円卓を叩く。机が凹んだ辺り流石は魔族と言えよう。
「そうカリカリしなさんな。幾つか対抗策はある。その為にクリアしなきゃならん条件もあるけど」
「その条件というのは?」
「まずは魔天楼が民衆の評判をどれくらい気にするかって所だ。そもそも民衆には自国の内政情報ってどれくらい伝わるもんなの?」
「魔天楼に民衆の支持はほとんど影響致しませんし内情もほとんど露出されません。王宮とは真逆と言えます」
「そりゃまたあちらに都合のいい……」
「王宮はフィガード王国の象徴ですし、始祖信仰にもある通り信仰の対象でもありますから……」
「……ほっほーう」
その言葉に宗一はいやらしい笑顔を浮かべる。
恐怖を煽る類いのものではなく、まるで悪戯を思い付いた子どものような笑みを。
「なあ、リンとリア」
「………」
「勝手に人の名前を呼ばないで下さい。不愉快すぎて魔法をぶっぱなしてしまいそうですよ」
「それは後々まで取っておけ。それよりもサイレントの魔法について詳しく教えてくないか?」
「学んだところであなたは魔法なんて使えませんよ?そんなことも分からないほど馬鹿なんですか?」
「ばーか」
「子どもに嫌われすぎたろ……というか俺が使うんじゃない、“俺に使わせる”んだ」
「……はあ?」
「……?ばーか」
「意味も分かんないのに罵倒すんのはやめてくんねぇ?」
幼い兄妹の冷たい視線にちょっとだけダメージを受ける宗一だった。