付き人
9/13修正・再投稿
異世界に来て初めての朝は弱々しいノックの音と共に訪れた。
「そ、ソウイチ様。お目覚めになられていますでしょうか……?」
ノックと同様に弱々しい声が届く。
仮に寝ていたらそんな声量じゃ起きないだろうな、と考えつつ返事を返す。
「誰だ?」
「わ、わたくしはソウイチ様の付き人をさせていただく下級魔族のサシャと申します」
(付き人、ねぇ……)
確かに世話役も欲しいとは言ったが、昨日の態度を見る限り選定にはもっと時間がかかると踏んでいた。ここまで素早く決めてくるとは少々予想外である。
特に人選に口を出せなかったのが痛い。が、それは宗一の落ち度だ。
「それで、どうかしたのか?」
「アリシア様がお呼びですのでお迎えに上がりましたっ!」
最初の弱々しい口振りはなんだったのだろうかと疑問に思うほど元気一杯な返答だ。或いは“魔神”という肩書きに萎縮し、恐怖しているせいかもしれないが。
「ああ、そう。じゃあ着替えるからそこで……いや、やっぱり入ってきて」
「ふぇっ!?そそそそんな、ソウイチ様のお部屋にわたくしごときが恐れ多い!」
「取って食ったりしないから。むしろここで言うこと聞かない方が反抗の意思ありと……」
「失礼致しますっ!」
豪快な音を立ててサシャと名乗った少女が宗一の自室に飛び込んでくる。余程宗一――魔神に目を付けられるのを恐れているようだった。
年の頃は宗一がいた元の世界に照らし合わせると中学生くらいだろう。宗一と同じ黒髪に悪魔的尻尾を生やした少女は目尻に涙を溜めていた。
「そこから魔王の前に出るのに適したの選んでくれ」
涙なんて微塵も気に留めず、宗一は部屋に備え付けられていたワードローブを指差す。
昨晩僅かに確認したのだが、民族的なものから如何にもラスボスがその身に纏いそうなマントなど、宗一には縁も所縁もない装いが目白押しだったので自分で選別するのは諦めた次第である。こちらの世界、それも魔王の城で生きているサシャに聞いた方が外れの少ない物を選別してくれるだろうという心算だった。
いきなりの命に戸惑いつつ、サシャは宗一の顔色を窺いながら言われた通りに衣装を見繕っていく。
怯えながらも必死に洋服を漁るサシャを見て、考えていた以上に魔神という存在が一魔族にとってどれ程大きなものか認識を新たにする。
(皆が皆サシャみたいじゃないだろうけどこれが一般的な魔神に対する価値観なら少しくらい無茶はききそうだな。その分、やっかみなんかも多そうだけど)
それは力のある者、人の上に立つ者の宿命だ。
たとえハッタリでも強大な力を持てば、歯向かう存在もまた強大になっていく。
軍拡競争が止まらないわけだ、と飛躍した結論を出して宗一はその思考を打ち切った。
「こ、これでいかがでしょうか!?」
「それでいいや。着替えるからちょっと扉の前で待ってて」
「畏まりましたっ!」
お辞儀もそこそこにサシャは覚束ない足取りで退出していく。この数分が相当堪えたようだ。
宗一も若干ながら罪悪感を覚えないでもない。
「さっさと着替えるか」
サシャが用意していってくれたのは黒を基調にしたシックな一式と革靴だった。元の世界でもさして珍しくない装いだろう。
ただし、ジャケットに宝石をはじめとしたゴテゴテしい装飾が施されていなければ。宗一の感性では絶対に選べない衣装である。
もしや魔神って印象だけで選んだのか?という考えが頭を過った。が、まあそれでもいいだろう。
宗一は魔神を演じなければならないのだから、それらしく見えるなら望むところだ。
「待たせたな」
「いいえ、滅相もございません!」
手早く着込んで部屋を出ればサシャが大仰な仕草で出迎える。
「それでどこに行けばいい?」
「アリシア様は広間の方でお待ちになられております」
「広間ね。飯はその後か」
サシャに付いて歩みを進める。
体内時間的には午前七時頃。この世界の時間周期は不明だが、元の世界と大差はないようだ。
「お食事をなさるんですか?」
「するさ。お前はしないのか?」
「全くしないわけではありませんが……わたくしたち魔族は一度栄養を摂取すれば数ヶ月は食事を口にする必要はありませんので」
「一度にどれだけ食うんだよ」
「量や頻度は個体の差によりけりです。それに必ずしも食事で栄養を摂取するのではなく、魔石で直接魔力を吸収する魔族も多いですね」
「魔石、か」
「魔石をご存じないのですか?」
「いいや。だが俺の住んでいた所では魔石の数が僅かでな。俺の魔力を補うには全然足りなかった」
魔石などご存じないので口からでまかせも良いところだが、こう言っておいた方が後々食事面で突っ込まれたときに対処しやすい。なぜなら人間は毎日食べないとお腹が減る生き物なのだ。
それにしても食事が必要ないとは驚くべき種族の違いと言えた。
「さ、さすがは魔神たるソウイチ様……拳ほどの大きさでも竜種の魔力を十年は補える魔石がいくつあっても足りないとは……」
(えっ、魔石ってそんなすげーの?というかここにはドラゴンもいるわけ?)
サシャのひきつった表情から、宗一は自分がとんでもない規格外振りを吹聴してしまったことを知る。
竜種。竜。ドラゴン。
その姿を目にしたことはもちろんないが、まず間違いなく恐ろしいほど強いのだろうという予想は誰でもできる。
そんな奴等を歯牙にもかけぬほどの魔力を有しているとのたまった減らず口の持ち主は魔力ゼロなのだから笑い話にもならない。
「あ、そうだ。聞きたいことがあるんだよ」
「は、はい!何でございましょう!?」
「サシャから見て、俺の魔力ってどう?」
「あの……どう、とは?」
「竜種を凌駕するような魔力を持ってるように見えるか?ってこと」
「え゛っ……それはそのぉ……あ、溢れ迸るほどにぃ……」
「言っておくが俺は嘘をつく奴を見るとくびり殺したくなる」
「わたくしとあまり違いない魔力量だと思いましたっ!命だけはお助けください!」
再び涙目になったサシャが直立不動でそう答える。
下級魔族というくらいだからサシャの魔力は大したものではないだろう。それと大差ない状態で魔神を演じ通せというのだから酷な話である。
だがそれを逆境とすら捉えぬほどの修羅場を生き抜いてきたのが高村宗一という男だ。
「なるほど……俺もまだ未熟だな。『抑え込んだ魔力を下級魔族に感じ取られるなんて』」
宗一は極めて不遜に、しかして嘆くように言い放つ。
「上級の魔族であるほど魔力を隠せる」とはアリシアの言葉だ。
では竜種をも軽く凌駕する規格外の魔力を下級魔族程度まで抑え込むことを可能にする力とはいったいどれだけのものなのか。
そこは向こうに勝手に解釈してもらうしかないが、サシャの真っ青になった顔色が宗一の脚色された実力を物語っていた。
その反応に満足して、宗一は広間へと向かうのだった。




