第7話
部屋の灯を落とし、机の奥から小さな黒い石を取り出す。
漆黒の魔導通信石。王都の地下深くにある、“彼ら”の元へ繋がる唯一の回線。
その石に魔力を流すと、柔らかな紫光が灯った。
心を整える。表情を消す。声色を抑える。
わたしは仮面の“もう一枚内側”に入る。
「白羽より、梟へ。応答を」
《応答確認。任務の進捗を報告せよ》
いつもの無機質な男の声。
呼吸を一つ、整えてから言葉を重ねる。
「標的との接触は継続。予定通り、信頼獲得段階に移行。
現在、王子殿下は私に対し好意的態度を維持。感情的接近も順調」
《問題は?》
「……ありません」
一瞬、幻糸通信の脈動が止まったように見えた。
嘘。いや、正確には――“真実を含まない報告”。
セディリオ王子と過ごす時間が心を揺らしていることなど、口が裂けても言えない。
それを“異常”と判断されたら、わたしは次の連絡を迎えることはない。
(演じて。完璧に)
自分に言い聞かせる。
唇に触れる指が、わずかに冷えていた。
《次段階は?》
「殿下の婚約者との関係は安定。分断は未着手。
今後、殿下の依存心を高めつつ、婚約解消に向けた心理誘導を開始予定」
《よろしい。“天使”の仮面を崩すな。王家の縁組を破壊せよ。
王を喪わせ、次の駒に繋げるための“裂け目”を作れ》
その言葉に、静かに頷く。
「了解。……白羽、報告終了」
通信石の光がふっと消える。
その瞬間、背中から汗が流れ落ちた。
わたしは机に手をつき、しばらくその場から動けなかった。
緊張がほどけた身体は、まるで糸が切れた操り人形のよう。
(……失敗しなかった。仮面は保てた)
でも、胸の奥が苦しい。
わたしは、王族を憎んでいる。
父を処刑し、母を路地に捨てさせ、家を、村を、故郷を焼いた――あの“血”を。
だから、ここにいる。
この手で、王子を破滅に導くために。
けれど――
(……どうして、あの人だけは、違って見えるの)
セディリオ王子は、優しかった。
わたしを見下さず、遠ざけず、偽りのない言葉を向けてくる。
王族の癖に、平民の傷を恐れるような眼をしていた。
指先が触れ合ったあの夜。
「君は強い」と言った声。
そのすべてが、仇敵にあるまじき“やさしさ”だった。
(わたしは、王族を滅ぼしたい)
(でも、あなたが傷つくのは……見たくない)
そんな矛盾が、わたしの中で膨れ上がっていく。
正義と復讐の狭間で、心が裂けそうになる。
わたしは天使じゃない。
悪女で、復讐者で、偽りの仮面をかぶったまま、生きている。
けれど。
(……せめて、“あの人”だけは)
知られたくない。
この想いも、過去も、すべて。
わたしの正義が、彼を殺す運命を選んだとしても――
この胸にだけは、ほんの少しの“本音”を隠していたい。
その夜、誰にも見せない涙が、頬をひとすじ流れ落ちた。