最終話:愛の解剖学
テレビデビューから一ヶ月。タケシさんの「ハーフゾンビ芸人」というキャラクターは爆発的な人気を博していた。皮肉なことに、彼の本当の姿を見せれば見せるほど、人々は「よくできた演技」と喝采を送った。
しかし、私の研究ノートの数値は残酷だった。
「体温33.2度、脈拍30、壊死進行率67%」
「ミサキちゃん、俺、もうダメかな?」
夜中に目を覚ましたタケシさんが弱々しく尋ねた。最近、彼は眠れなくなっていた。ゾンビは本来、眠らない。
「まだよ!私が絶対に諦めないから!」
私は必死に叫んだ。この1ヶ月、学校も放棄して研究に没頭していた。でも、まだ決定的な治療法は見つからない。
そんなある日、タケシさんのテレビ収録に同行した帰り道。突然、彼が硬直した。
「タケシさん?」
彼の目が赤く変わり、うなり声を上げ始めた。完全なゾンビ化の兆候。そして、近くにいた女性に襲いかかろうとした。
「ダメ!」
私は急いでバッグから特製の血清注射器を取り出し、彼の首筋に突き刺した。タケシさんは一瞬で我に返った。
「俺…何を…」
「大丈夫、間に合いました」
私たちは無言で家に帰った。もう時間がないことは明らかだった。
その夜、タケシさんは私に言った。
「ミサキちゃん、俺の最後の舞台を見てくれないか?明日、全国ネットの生放送なんだ」
私は涙をこらえて頷いた。それが彼の最後の願いなら。
翌日、スタジオは超満員。タケシさんのコントは過去最高に面白かった。会場は笑いに包まれた。
そして最後に彼は言った。
「実は、私は本当にハーフゾンビなんです」
会場は大爆笑。でも、彼の目は真剣だった。
「信じられないでしょう?でも、この世界には科学では説明できないことがある。そして、愛は死さえも超えられる」
客席で見ていた私は涙が止まらなかった。あの「ゾンビの花嫁」の台詞。彼は私の大好きな映画を見ていたのだ。
舞台を降りたタケシさんは、私のところに駆け寄った。
「ミサキちゃん、聞いてほしいことがある。俺、君に恋をした。死にかけのゾンビが、生きることの意味を教えてくれた女の子に」
私は震える声で答えた。
「私も…死体にしか興味がなかった私が、あなたに出会って初めて、生きた人を好きになりました」
その時、タケシさんの体が震え始めた。最終段階だ。
「タケシさん!血清を!」
慌てて注射器を取り出したが、彼は首を振った。
「もういいんだ。俺、悔いはない。君に出会えたから」
絶望的な状況で、私の頭に閃きが走った。27冊目のノート、16ページ。古代の伝説。「真実の愛の力によるゾンビの浄化」。馬鹿げた仮説だと思っていたけど…。
「タケシさん、信じてください!」
私は震える手で、最後の実験をした。恐る恐る、彼にキスをしたのだ。
奇跡が起きた。彼の体から青白さが消え始め、心臓の鼓動が強まった。
「ミサキ…俺、暖かい…」
"死んでも愛は終わらない"は、映画だけの話じゃなかった。
検査の結果、タケシさんの体からゾンビウイルスは完全に消えていた。科学では説明できない"愛の抗体"が生成されたとしか考えられない。
「これで、私の研究は完成です」
最後のノートには、こう記した。
「結論:ゾンビ化の最も効果的な治療法は、真実の愛である」
学会では笑われるだろう。でも、それでいい。
「ミサキちゃん、俺たちの物語、まだ始まったばかりだよね?」
タケシさんは満面の笑みで言った。
私の名前はミサキ。高校2年生。元ゾンビ研究家。そして今、愛という最大の謎を研究中の、ごく普通の女の子。
死と生の境界を越えた私たちの物語は、ここからが本番なのだ。