ストレス発散
感情制限
苦手なものをコントロールすることで得られるものは、ストレスと卑屈な頭である。
「自分勝手に好きなように生きるってなんだよ」
毎日のように頭に浮かぶ自由とは、
不自由が当たり前なのにそれに対してあなたは感情を隠しすぎだとか、感情を押し殺して生きていることに嫌な気分は付きまとう。
自分の問題点はいつも通り。他人から言われるほどに嫌な気分だ。
前ほどに激昂したり、一憂の念に支配されることはない。ただ嫌なこと。
それだけであってそれ以外の何者でもない自分の存在価値ってなんだろう。
自分自身が憂鬱になったとき、吐き出すことでどうにかしてきた。前は良かった今は良くなかった。
大人になるってなんだ。
自分が最近、大人の分類に区分けされた。それは自分にとって良いことか、否。境目の時期はどちらとも扱いされることが多い。
都合だけだ。体良く処理された自分は子供大人?
感情のコントロールもまだ上手くいかない。いつもニコニコしていたい。
大人の振りが上手くなってきた。
考えない方が幸せではないことを知った。
いつも聞く。考えたくないだとか、嫌なことばかり考えてしまうだとか。いつも通りなのにどこか不安に感じて、嫌な思い出を蒸し返したりだとか。
個々人様々な要因があれど、自分自身の問題でしかないことがわかった。よく、私は考えすぎだとか深読みしすぎだとかよく言われることが多いが、それでも良かったと今になって思う。私の不安症や問題は親戚も同じように問題を持っていた。それに対して私は受け入れるしかないと考えた。受け入れたり、視点を変えて、物事を判断できるようになったかも。
当たり前のことか。
私の祖母は、よく挨拶できれば生きていけると言っていた。人間は自分の経験則でしか話せない。それは誰もが同じで、自分が不満に感じていることや、自分と関連している問題。そこに、声を上げていくことも時に大切だ。
私は、私の経験則で生きている。
その中で、何かしらに対して、文句を言うことはしたくなくなった。人のせいにしていると言う感じがするからだ。私の中で、人のせいにしないのは同時に自分に溜め込んでいくことを意味している。私は疲れた。
鬱々としている時にしか嫌気が溢れてこないからか、自分でも分からないことが多くある。自分の成長を感じたりすることと同時にストレスを膨らませているのだ。
良いことも悪いことも表裏一体なのだろうなと思う。
それでも私は、自分が好きだ。