小さな畑は我が家の食物庫
夏の朝、東のおばあさんは庭の小さな畑に出て行きます。赤くなった大玉トマトが二つありました。一つは自分のかごに入れ、『サンドイッチを作ろうか』。もう一つはお隣の庭に奥さんの姿を見たので「おはよう」と挨拶し、彼女にあげました。おばあさんは畑を歩きながら、つまみ食いのように枝のミニトマトを捥いで口に入れます。ミニトマトはたくさん取れました、毎朝おばあさんはリンゴとトマトのミックス生ジュースを飲みます。きゅうりは食べごろに育ったのが3本ありました。取り残しはないかな、おばあさんは目を皿のようにしてきゅうりの茂みを探します、きゅうりはかくれんぼが上手です。こうしてよーく見ても、おばあさんは時々見逃すことがあります。きゅうりは一晩のうちにも目に見えて大きくなりますから、取り残されたきゅうりは大きなお化けきゅうりになってしまいます。ピーマンとししとうもなっています、おばあさんは取り時のものをいくつかもぎました。ナスはもう少し大きくなってからにしよう。赤いハツカダイコンを取ろう。輪切りにスライスしてきゅうりと一緒にサラダにすると彩りがいい。そしてインゲン豆はおばあさんの好物です、天ぷらにするもいい(晩は冷たいお蕎麦と天ぷらにしようか。大葉もにんじんも、ししとうもある)、茹でて生姜醤油やマヨネーズ、ドレッシングで食べるのもいい、ソテーもいい、簡単美味しく食べらます。トマトもインゲン豆も、きゅうりもピーマンも夏の畑では毎日収穫できます。アスパラ、オクラ、セロリにパセリ、しそににら、他にも色々あります、おばあさんの夏の畑は賑やかです、お野菜たちがひしめき合っています。四季なりのイチゴやワイルドストロベリー、ブラックベリー、ベリー類も取れます。ハーブも取れます。なんて楽しい畑でしょう。朝顔やひまわり、ホウセンカなど夏の花も混植されていて、小さな庭はなんて楽しいんでしょう。早起きの蜂たちは庭をブンブンと飛び回り賑やかです。ずんぐりむっくりのマルハナバチが朝顔の花に頭をつ込んでいる姿は、蜂蜜壺に鼻先を突っ込むくまのプーさんを連想させる微笑ましさ。カサカサッと音がするのはトカゲたち、草葉の陰を素早く逃げて行きます、細長い尻尾がチョロリと見えました。たくさんの種類の小さな生き物たちが活動するおばあさんの庭は賑やかです、小さな音音に満ちています。人間が生活音を立てるのと同じように彼らは音を立てているし、庭を歩くと彼らのざわめきやささやきが聞こえてくるのです。野菜や花などの植物たちもささやき合ったりざわめいたりしているのです。
「人間様のお通りだ」
彼らはそう言っておばあさんに道を開けたり、さっと姿を隠したり、ピタリと口を閉じたり、ヒソヒソと品定めしたりしているのでしょうか。
庭を一回りするとおばあさんのカゴはスーパーの買い物カゴのように色々な食材が入っていました。赤や緑や紫、黄色もある、夏野菜たちは彩り豊かです。目にも麗しい、収穫物をおばあさんは満足そうに眺めます。おばあさんは庭の畑を「我が家の食物庫」と呼んでいます。台所の戸口を開け庭に出ればすぐに食材が手に入ります、それは台所の冷蔵庫のドアを開けるのと同じ容易さです。サンダルばきに部屋着でさっと庭に出て欲しいものを欲しい分取ってくる。着替えて靴を履き、車を出して買い物に行く、そんな面倒はありません。買い忘れをしたり余計なものを買ったりそんなこともありません。財布を持つこともありません。スーパーの営業時間を気にすることもありません。パンデミックで外出禁止令が出ても困りません。食糧危機も怖くありません。食料を備蓄する大きな蔵も要りません。小さな畑が食物庫です。大きな蔵にどれだけ蓄えても食物は腐ってしまいますが、小さな畑は毎日新鮮な食物を産してくれます。子沢山の家庭が物価高に悩むこともありません。子供たちに栄養のある食事をたっぷりと作ってやることができます。小さな畑は家族にそんな安心を保証してくれるのです。戦争の時代に高価な着物をわずかな米や野菜と交換してもらおうと農家の家々を回り歩いた人々の話を聞いたことはあるでしょう。食べ物は一番大事なのです。戦争の時代食べるものがなく栄養失調で亡くなった小さな子供たちの話は聞いたことがあるでしょう。おばあさんは自分の家族を守るために、小さくても我が家の食物庫を準備することにしたのです。とても小さな畑ですので、一つの種類の作物ばかりをたくさん作ることはできません(それは西のおじいさんに任せておきましょう)。多品目を少量ずつ、それが我が家の食物庫です、いろんな野菜が少しずつ入っているまさに冷蔵庫みたいなんです。違いは空っぽにならない、いつも何か収穫物があるってことです。食べてもなくなることがない、次々に作物が育ってくるってことです。庭の畑があれば、野菜室のある大きな冷蔵庫に食物をストックしておく必要がないのです。大きな野菜が入らなかったり、葉物野菜が潰れてしまったり、忘れられ萎びれた野菜が奥や底の方に眠っていたり、大きな冷蔵庫を管理するのもおばあさんにとってのストレスだったのです。
実は畑を始めてすぐに、壊れた大きな冷蔵庫を野菜室のないコンパクトな冷蔵庫に買い替えました、冷凍室が大きかったのでよかったですが。畑を始めた3年目の夏、けれどおばあさんは気づきました。きゅうりの苗を2本植えただけですが、盛りには毎日3本も4本もキュウリが取れます。食べきれません。ぬか漬けにしたり、浅漬けにしたり、きゅうりのキューちゃん風の漬物を作ったり、赤じそと柴漬けにしたり、漬物だけでも何種類もできます。豊富な食材で保存食を作る、漬物の外にも、調味料やドレッシング、ジャムやジュース等。ジャムやドレッシングも長期保存したい、ジュースも冷やしたい、そうなるとやっぱり「大きな冷蔵庫が欲しい・必要」と気づきました。余分な野菜は冷凍保存で季節外れにも食べられますし、色々な保存食を保管できるだろう。畑を始めたおばあさんは畑仕事以上に、作って食べることが忙しくなりました。「食べろ、食べろ」とどんどん出来る畑の野菜たちに急かされているようです。ドレシングだって青じそ、赤じそ、オニオン、ガーリックやバジル、ニラ醤油、何種類も出来ます。梅干を漬ける以外に使いようがないと思っていた赤じそも、ドレッシングやジュースにすると目も覚めるような美しい赤い色、見るだけで幸せな気分になれます。赤じそのドレッシングでかぶや大根を漬ければこれまたきれいな桜色の酢漬け。ゆかり炒飯を作ったり(ゆかり炒飯にも赤じそドレシングをサッとひと回し加えれば風味が増します)、ひじきやしらすとゆかりふりかけを作ったり、色や香りを楽しむ料理が出来ます。
畑作りを始めたおばあさんの生活は、途端に色彩や香りに溢れた豊かなものになりました。野菜は食べるだけのものじゃない、朝取りの夏野菜がカゴに盛られていれば、それだけで彩り溢れるインテリア。台所の床に大きなカボチャがゴロンと置かれていれば、それだけでオブジェ感。赤唐辛子やハーブを吊るしてドライフラワー、小豆を透明の瓶に入れれば赤いビーズのよう、おばあさんはそんなふうに畑の作物たちをディスプレイしました。台所や部屋にそうして食べ物が溢れている、なんて豊かで幸せなんでしょう。子供の頃祖母(東のおばあさんのおばあさん)がそうして仏壇の前にお盆のお供えをしていたことを思い出しました。わらの船に色とりどりの夏野菜を盛って、ナスに爪楊枝で足や首をつけて作ったかわいらしい馬を乗せたりして、祖母はせかせかと嬉しそうに盆の支度を整えていた。ほおずきの鮮やかなオレンジ色は殊に印象的でした。味は苦く食べられたものではありませんが、その色や形はチャーミングで心引かれました。瑞々しく色鮮やかで爽やかさすら感じさせる日本の装飾でした。自然を愛でる日本人の感性が現れています。キラキラと煌びやかなクリスマスツリーの装飾は子供時代の東のおばあさんの心を虜にしましたが、今となってはそれはどぎつい着色料入りのキャンデーみたいに陳腐に思えました。ゴテゴテと飾り立てた様は趣味のないものに思えました。
「あのきれいな色のキャンディーには毒が入っているよ。あのきれいな青色のソーダのゼリーは虫ゼリーだよ」
なるほどホームセンターの昆虫売り場にあった甲虫に食べさせるゼリーと同じ色だった、子供たちは好んでそんな色のゼリーを食べていたが。おばあさんの作った赤しそジュースは、あの青色ソーダと同じほど発色よくクリアーで、うっとりするほど美しかった。『これは天然の着色料だな』、天然の植物からこんな鮮やかな発色が得られるなんて思っていなかった。おばあさんは使い途がないと思っていた赤じそを大いに見直した。赤じそジュースは酢の代わりにレモン汁を入れたからか、フルーティーなアセロラのような味がした。
「これは天然のアセロラジュースだね」
市販のアセロラジュースだってアセロラ味の砂糖水だ。ペットボトルの飲料は味や匂いは違えどどれも砂糖水だった。おばあさんは自分の子供たちにそんな砂糖水や青い虫ゼリーを食べさせていたことを後悔した。孫たちにはこの自作のアセロラジュースを飲ませてあげたいな。赤い宝石のようなゼリーも作れるだろう。ゼリーの上に庭のブラックベリーを載せたらかわいいだろうか。ゼリーの中に閉じ込めるのもよさそうだ、透き通った赤いゼリーの中に濃い紫色のブラックベリーはかわいらしいこと間違いない。着色料や香料を一切使わず、そんなもので子供たちの舌を騙したりせず、全て天然のもの、それも農薬も使わずに我が家の庭で栽培されたものを使って作る本物を味あわせたい。本物を知った彼らはまずい(不味い・拙い)ものに騙されることはないだろう。おばあさんの庭にはレモンの木もありました。桃の木も、まだ大きな実がたくさんというわけにはいきませんが、小さくても甘い実がいくつか生りました。熟し足りなかったり傷んだりの桃はジャムにしました。畑も果樹園もおばあさんの子孫を思う心でした。
畑仕事を始め、色彩や香りを頂く生活を始めた東のおばあさんは、小さな畑を持っていた自分のおばあさんたちのことを思いました。家に仏壇はないけれど、お香を炊いてみようと思いました。『私のおばあさんたちの家に染みついていた匂いだ』と、心を沈静させる懐かしい香を嗅ぎました。香水や柔軟剤で嗅ぐ甘ったるい白檀の香りは殊に人の皮脂と混じるのか、おばあさんの苦手なものでした、人混みの中で嗅ぎたくない匂いでした。が、おばあさんが香を焚いたとき白檀は心静める清浄な香り、芳しいものでした。私の生活の中にまた一つ潤いとゆとりがもたらされた、おばあさんは香を炊くことを習慣にしたいと思いました。
御先祖や先に行った人々に想いを馳せ、子孫を思う、畑仕事は東のおばあさんのそんな心を育んだのでした。潤いある豊かな生活の基は、東のおばあさんのおばあさんたちの小さな畑だったのです。東のおばあさんは『何がなくても子孫に渡したいのはそんな生活なのだ、我が家に小さな畑・食物の尽きない倉のあるそんな生活なのだ』と呟きました。