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世界を渡る者  作者: ELF
迷宮の森
18/24

世界の意志


ミサは瀕死のイドを抱え、デュランの保護の下、壁の隅に縮こまっていた。


血のような尖った槍が雨のようにヒュアの背中を覆い、真紅の小山を形成していた。


その槍から漂う強大な気配はミサの心を凍りつかせ、ヒュアが心配でないわけがなかったが、彼女はなぜか家族が無事であることを信じていた。


彼女の期待に応えるかのように、視界を遮る真紅の小山が崩れ落ち、ヒュアは無傷のまま立っていた。そして、ミサはその空地にもう一人の姿が現れたことに気づいた。ヒュアの手を武器で防いだトローナである。


さらに、イーサンの姿をしたデクリンコが腹を押さえて、少し離れたところに倒れていた。


——


トローナはヒュアが消えた場所に漂う濃厚な白い霧を見つめていた。霧が濃すぎて、その向こうにいる護衛のメンバーさえ見えなかった。


混乱する思考の中、彼女は周囲の自分と同様に混乱している部下たちを見て、何かをしなければならないと感じていた。少なくとも、皆を落ち着かせるために。


「ここで警戒に当たってくれ、私が中を調べる。」


「でも、隊長……」


「これは命令だ。」


散らばった護衛隊がどれだけ生き残っているか分からない。今の状況は目の前の霧のように不明瞭だ。せめて、この五人の護衛を生かしておかなければならない。


自分が冒険するのは十分だ。


何と言っても、私は幹部の一人だ。部下を死なせるわけにはいかない。他の連中に知られたら、きっと激しく嘲笑されるだろう。そんな未来はトローナにとって見たくもないものだ。


護衛たちの心配する視線の中で、トローナは彼らを安心させる微笑みを見せ、右足で白い霧の中心に踏み込んだ。


瞬時に視界は白で覆われ、周囲が静寂に包まれた。自分の呼吸音さえ聞こえなくなるほどだった。


軽い浮遊感の後、左足を前に進めると、白の洪水が潮のように引いていき、目の前に広がったのは巨大な石室と血のような尖った槍でできた丘だった。


そして、壁際に身を寄せる二つの銀白の影。


自分が探していた魔王は、血の丘の一方にいて、同じく血色の長槍を掲げていた。


喜びを感じながらも、トローナはその丘から現れたヒュアと、ミサに抱えられ重傷で気を失った護衛のイドを目にした。


考える暇もなく、ヒュアは既に魔王の攻撃を防いでいたが、トローナにはそれが見えなかった。


続いて、ヒュアはものすごい速度で魔王に手を伸ばし、その手には一般人の頭をパンのように一瞬で砕けるほどの力が込められていた。


魔王の周囲には使い捨ての防御術式が施されていたが、この一撃を食らえば死ななくても無傷では済まないだろう。


だが、トローナがその場面を目にしても、彼女の位置からでは、どうやっても魔王が傷を負う前に防ぐことはできなかった。


焦るトローナは、突然、自分の視界に映るものすべてがゆっくりと、ほとんど停止しているように見えるのを感じた。そして、次の瞬間、鈍器で後頭部を殴られた感覚が走り、耳鳴りが響く中、彼女は自分の体の中にもう一つの意識が入り込み、自分の意識が体外へと押し出され、ただ見守るしかない状態に追い込まれた。


彼女は自分の体が信じられない速度で武器を引き抜き、一足飛びに数十メートルを超え、魔王を蹴り飛ばしてヒュアの手を防いだ。そして、力任せにその力を地面に叩きつけ、地面全体に亀裂が走った。


「お前は干渉しすぎだ。」


自分の口から完全に異なる声が発せられ、無数の声が組み合わさってトローナの知っている言葉となり、彼女の耳に囁きかけた。それは存在そのものを超越した恐怖だった。


次の瞬間、彼女の意識は火が吹き消されるように真っ暗になった。


——


「そのくだらない小細工をしまえ、周りの者を巻き込むな。」


ミサも、デュランも、デクリンコも、トローナが声を発した瞬間に理由もなく心がざわついた。その声は混乱し、威厳があり、尖っていて、聞く者を不快にし、苛立たせ、狂わせるものであった。まるで脳に鉄管を突き刺して激しく叩きつけられるように、彼らの精神を容赦なく打ち砕いていた。


ヒュアの冷静な口調がトローナの謎めいた声を押し返し、数人の弱々しい精神を抑え込んだ。それでも、頭がくらくらするのは避けられなかった。


もしトローナがもう少し話していたら、彼らは間違いなく自分の脳がぐちゃぐちゃにされると信じて疑わなかっただろう。


トローナ――「世界の意志」は武器を下ろし、同じく手を止めて立っているヒュアをじっと見つめた。


「代行者、私がお前の侵入を黙認したからと言って、勝手な振る舞いが許されるわけではない。」


「私は使命を果たしているだけだ、お前も分かっているはずだ。」


「お前の干渉は既に必要な範囲を超えている。」


「世界の意志」が発する声は通常に戻り、人々の精神を蝕む効果はなくなったが、依然として複数の声が同時に鳴り響いていて、適応するのは容易ではなかった。


「私たちと世界の意志との約束に基づいて、私たちはできる限り世界の意志と同じ干渉程度を保つ。私はその約束を破っていないと自負している。」


この広大な閉ざされた空間で、ヒュアの平坦な口調はむしろ鋭く響き渡り、「世界の意志」は一瞬、反論をしなかった。


「むしろお前が、世界内部の知的生命体の運命に介入し、人工的に事象の分岐を広げているのではないか。それは、我々の最初の目的に反していないか?」


デクリンコは桦が「トローナ」を非難するのを聞いて、自分の行いを反省しているかのように感じた。しかし、二人の会話のレベルは自分の行動とは全く異なっており、二人の対話の雰囲気は、神である自分でさえも割り込むことが難しかった。


「『すべてを創造した主』に最も完璧な物語を捧げることに、介入することの何が問題なのか?」


ああ、そういうタイプなのか。これじゃ困ったな。本来なら道徳的な高みから指摘するつもりだったのに、今や谷底に落ちてしまった。


「世界の意志」の言葉を聞き、桦は頭を掻きながら困惑し、一瞬言葉に詰まった。心の中で不満を呟いた。


「世界の意志」は桦をじっと見つめ、妥協したかのように、機械的にため息をついた。感情のない声で理由を語り出した。


「代行者、通常であれば見て見ぬふりをするかもしれないが、今は違う。」


「つまり、今は特別な状況ってこと?」


桦は「世界の意志」の返答を聞いて、少し困惑した様子だった。


「そうだ。この世界は五つの界通歴、つまりここでいう1300年後に他の世界と衝突する。」


――


「何だって?!世界が滅びるのか!?」


私は驚愕のあまり、「生命の女神の心臓」に置いていた手を再び放してしまった。


黄金の鎧が三撃で倒され、「戦争の神」が現れ、さらに無害そうな桦がその「戦争の神」を頭から押さえつけて打ち倒す様子を目の当たりにして……


私はもう思考を放棄しつつあった。


この戦力のインフレ、さすがにやりすぎじゃないか!?この世界の数値はどうやって設定されてるんだ?


それを置いておいて、今度は世界の存亡がかかる話が出てきたなんて、展開が無茶苦茶すぎるだろ?


このままだと怒られるぞ!


「実はそんなに深刻な話じゃないよ。この世界の内部にはほとんど影響ない。」


私は退屈そうな桦に目を向け、先ほどの言葉の意味を尋ねた。


「こういう話って説明が面倒なんだよね。」


「手短にお願いします。」


桦は一気に跳び上がり、私の身体が入った透明な棺に腰掛け、足を組みながら、物語を語るかのように構えた。


彼には少し私の気持ちを考えて欲しいものだ。


「君は僕たちが言っている世界って何だと思う?」


「この惑星?」


世界の衝突と言えば、まず思い浮かぶのは元の世界のエンタメ作品。惑星が衝突して世界が滅びる、そんな話だ。


「まさか宇宙とか、そういうスケールの話じゃないだろ?」


私はそんな大事件が起きるなんて想像もできず、どう考えてもそんな規模の話じゃないだろうと疑った。


「だいたい合ってるよ。60点ってところだね。」


「前者か後者か?」


「後者だ。」


「えっ、本当に宇宙規模の話なのか?!」


本当に、もう考えるのが嫌になってきた。話のスケールが大きすぎて、ついていけない。


桦は私の呆然とした顔を見つめ、何かを考えているようだった。


「よし、じゃあ世界の誕生の歴史をざっくり話してあげるよ。」


桦は指を鳴らし、透明な棺の上で背筋を伸ばして座り、これまでの軽薄な様子は消え、敬意と憧れを抱いた神妙な表情をしていた。


そんな彼を見て、私は腕を組みながら話を聞くことにした。


「古の虚無の中、存在の意味すら存在しない虚無があった。虚無はただの虚無であり、希望を育む種もなく、絶望が芽生える苗床もなかった。その果てしない虚無の中に、『あの方』が現れるまで……」


桦の無機質な声が狭い石室の中に響き渡る。彼の語り口は穏やかで、まるで日常会話のようだが、どこか無視できない深刻さが含まれていた。


彼の話はあまりにも壮大で、私にはあまり実感がわかない。しかし彼が言う「その方」について、私は特に余計な考えは抱かずとも、彼の語る口調からその方への敬愛、崇拝、憧れ、情熱、狂気を感じ取ることができた。


「……『その方』は永遠に停滞する虚無を、未来を育むことができる『世界峡間』に変え、その中に『原初世界群』を創造した。それがすべての物語の始まりだった。


その後、『原初世界群』は絶えず分化し、分化した世界はさらに分化を続けている。今でもその過程は続いている。この状況の中で、世界は『世界峡間』内で動き回るため、重なることが避けられない。それが今回の問題なんだ。」


桦は私のお願い通り、数分で話をまとめてくれた。詳しくはないが、要点だけをざっと説明したに過ぎない。


「世界が誕生した後、その根源から徐々に意識が芽生えるんだ。君が見ているように、‘彼ら’には形がない。対話するには物体に依り憑くか、もしくは‘彼ら’が世界の根源の力を使って自分に適した形を創り出すしかないんだ。」


 話の終わりが近づいたのか、桦の口調は再び軽くなり、‘あの方’の話題から離れると途端に重要度が下がったように感じた。しかし、私はまだ真剣に聞いていなければならない。今なら、話に割り込んでも大丈夫かな?


 「でも、それと世界の衝突に何の関係があるの?」


 「前にも言っただろ、世界の衝突は内部の世界に大きな影響を与えるわけじゃないって。」


 私の様子を見ていた桦は、その反応を気に入ったのか、楽しげに膝を指で軽く叩いた。


 桦は顎に手をやりながら続けた。


 「世界の分化と統合は‘世界峡間’の基本的な法則なんだが、問題は世界に意志が生まれてしまったことだ。世界が衝突して統合されたら、二つの世界の意志はどうなると思う?」


 どうなるか……答えは限られているよな?


 「世界の意志が融合するか、または打ち消されるんじゃないか?」


 「その通り、融合するんだ。」


 桦は少し間を置いて、どう説明しようか考えているようだった。その一瞬、彼が私を納得させるために何かを作り話しているように見えた。


 これは仕方ない、最初から彼が与えてきた印象がそうさせたんだ!


 「もし一方の世界にまだ意志が形成されていなければ、もう一方の意志を持つ世界に吸収される。もし両方に意志があれば、それらは融合する。ただし、重要なのはこれは単なる上書きではなく、二つが混ざり合って新しい意志が生まれるということだ。」


 え?


 それなら、この世界の‘世界の意志’はなぜ世界の衝突をそんなに恐れているんだ?


 もし桦の言う通り、世界の運動と衝突が‘世界峡間’の基本的な法則なら、‘世界の意志’が世界内部でどれだけ準備をしても、避けられない衝突を阻止することはできないはずだ。


 「焦るなよ、一つずつ説明するから。」


 私の疑念を察した桦は、軽く咳払いをした。


 「咳咳、これが今回の問題を解く鍵だ。しっかり聞いておけ。


 「先ほどからずっと融合について強調しているのはこのためだ。世界が衝突すれば、根源が統合され、世界の意志の融合がそれを反映する。さらに、世界内部の自然法則も変化する。例えば時間の流れ方や、魔法の有無、生命の起源などだ。異なる世界ではそれぞれ異なっているが、それらはすべて世界の根源に記録されている。統合後の新しい世界では、それらの法則に基づいて変更が行われる——すでに存在しているものは適切に変わり、もともと存在しないものは加えられる。


 「この世界の例を挙げるなら、四千年前にも一度世界の融合が起きた。幸運なことに、もう一つの世界にはまだ意志が形成されていなかった。その世界がこの世界にもたらした最も目に見える変化は、獣人という種族の追加だ。他にも基本的な法則の変化があったが、面倒なので詳しくは言わない。」


 桦は‘世界’という言葉を何度も繰り返し、私の頭は混乱し始めていた。しかし、彼の最後の一言には驚かされた。


 なんだって!?


 リリールは追加されたDLCなのか!?


 他の話は難しすぎて理解できなかったが、この部分だけは私の仲間に関わることだった。


 外に出たら、この話をみんなに伝えよう。リリールは間違いなく驚いて、尻尾を跳ね上げるだろう。


 いや、そもそもリリールがこの話を理解できるかどうかは微妙だ。ベットに説明してもらおう。


 「これらの変化の原因は世界の根源だ。世界が誕生したときからの記録が融合し、世界内部から見れば何も変わっていない。なぜなら、世界内部にとっては、それらのものが最初からずっと変わらないものだったからだ。


 「世界の意志も同様だ。二人の人格が融合するように、彼らの記憶は最も合理的な形で統合され、混ざり合った記憶を持つ新しい人格が生まれる。ただし、実際はこれよりも複雑だ。この新しい人格は一方が完全に主導し、もう一方はその主導する意識の一部の性格として表れることになる。では、誰が主導する意識になるかが、重要な鍵となるんだ。」


 桦は両腕を広げ、豊かな身振り手振りを交え、様々な擬音語を大げさに口にした。話し終えた後、彼は眉を上げて私を見た。


 「つまり、もし私とリリールの人格が融合したら、私が主導意識になって、今のままの私に食いしん坊な性格が加わるということか?」


 桦は眉をひそめて顎を掻きながら、無言で私を見つめた。その視線には呆れた様子が浮かんでいたが、しばらくしてから小さくうなずいた。


「うん……そう理解してもいいが、君たちの過去の経験も十分合理的に記憶に現れるだろう。君は君だが、君でなくもある。」


 もう混乱してしまった。早く本題に入ってくれ。


 「それで、その『鍵』とは一体何なんだ?」


 結局これは「世界の意志」たちが自らの存在を保とうとするゲームであり、ゲームである以上、勝敗がつく。桦の前の言葉によれば、引き分けはあり得ず、一方が存在すれば、もう一方は必ず消滅する。


 桦は少し考えた後、自らの存在を賭けたこの舞台での賭けの内容を口にした。


 「『底蕴』だ。」



---


 「これはさすがに突然すぎる。」


 「代行者、そろそろ気付くべきだ。」


 「勘違いするな、世界の軌跡は意識して見なければ感じられない。」


 桦は手を振り、「世界の意志」に仕方なさそうに返答した。


 「構わない、理由は述べた。さあ、代行者、お前の意志を示せ。」


 「托萝娜」は依然として無表情のまま、機械のように口だけを動かし、複数の声が桦を促した。


 桦には二つの選択肢しかなかった。ここで手を引き、完全に傍観するか、あるいは干渉を続けるか。そうすれば「世界の意志」もまた「祂」の行動を示すだろう。


 桦の答え次第で、「托萝娜」――「世界の意志」が敵か味方かが決まる。


 桦は壁際に隠れているミサを一瞥し、ついでにデュランと瀕死の依德を見やり、さらにいつの間にか立ち上がっていたデクリンコにも目を向けた。彼はまだイーサンの顔をしている。


 桦は何を考えているのか分からない。


 「はあ、こんな厄介事に巻き込まれるとは。」


 最後に桦は前方の「托萝娜」に視線を戻し、仕方なさそうに頭を掻いたが、その口元には自信の笑みが浮かんでいた。


 「俺は干渉を続ける。」


 「それは、私と敵対すると考えてよいか。」


 「托萝娜」の周りの空間が揺れ、交差し、歪み始め、崩壊の兆しが見えた。


 本来、少し和らいだ雰囲気が再び緊張したものになった。


 それに対して桦は……


 「いやいや、そんなに慌てないで、最後まで聞いてくれ。」


 すぐに降参した。


 彼が指を鳴らすと、「世界の意志」が引き起こした空間の異常は一瞬で消えた。


 「世界の意志、俺に手を引かせたいなら条件がある。」


 「お前が私に条件を提示できるとは思えないが。」


 「もちろんできるさ。もう一度よく考えろ。」


 桦がこれほど自信を持っているのは、「世界の意志」が彼の力を必要としていることを知っているからだ。


 「祂」が自ら認めたように、遠くない未来、世界は衝突し、「祂」は最初の目的を口にした――「全ての創造主」に最も完璧な物語を捧げるためだ。こうなると、「祂」は自らの存在を捨てることは決してない。


 「祂」は、自分の手で計画した物語だけが「那一位」に捧げるにふさわしいと考えている。


 だからこそ、桦はこの事態を厄介に感じていた。


 全ての「世界の意志」が「祂」のように自らの存在に固執しているわけではなく、大多数の「世界の意志」は消極的だ。「祂」たちは世界内の自然な発展を見守り、よほどのことがなければ権力を行使して世界の運命に干渉することはない。


 さらにひどい場合、文明が世界の根源に触れると、強制的に世界を再起動させ、内部を虚無にして何もせず見ているだけということもある。


 本当に「世界峡間」が広すぎて、いろんな「世界の意志」がいるものだ。


 桦は自分の生まれた世界のことわざを思い出し、心の中で頷いた。


 「世界の意志」は桦の自信に満ちた笑みと、先ほどの短い交戦を見て、すでにある程度の考えを持っていた。いや、最初から「祂」はそのつもりだった。


 ――桦を引き込む。


 短い交戦の中で、「祂」は桦が自分の助けになると確信した。


 自分の管理するこの世界には、無数の人間文明が存在し、「祂」はこれらの文明が生まれて以来、ずっと見守ってきた。長い年月の中で、「祂」は人間の行動パターンを理解した。


 だから、桦がこの世界に入った瞬間から、彼は「祂」に目をつけられていた。「祂」は桦の運命を見ることはできなかったが、経験が「祂」に教えてくれる。この不速の客がどんな人間なのか。そして「祂」は桦の周囲の人々の運命を変えて、臨機応変に対応する。


 「取引成立だ。」


 「俺の条件を聞かなくていいのか?」


 「構わない、それが危害を加えるものでないことは分かっている。」


 「そうかそうか、俺も罠にはまったか。それじゃあ、お前の底を探ってみよう。」


 桦は手を振り、再び指を鳴らした。


 その瞬間、環境は静まり返った。かすかな音すら消え、空気中の塵、遺跡群の魔物、大地の草木、そして星々の動きまでが全て止まった。この世界のすべてが、桦が指を鳴らしたその瞬間に凍り付いた。


 桦は一歩を踏み出し、戦闘で荒れ果てた遺跡の地面がゆっくりと元の姿に戻っていく。破片は爆発した軌跡に沿って元の場所に戻っていった。


 彼の手にあったデクリンコに封じられた「生命女神の心」が微かな光を放ち、心臓の鼓動のように、弱々しい生命の息吹が再び強くなり、ゆっくりと広がっていった。


カバはミサの前で足を止め、彼女の不安げな顔を見つめ、少し申し訳なさそうに笑った。


「私の条件は……ミサたちをあなたが計画している運命から永遠に解放すること。」


「あなたの条件は広すぎる。」


カバはミサの横を通り過ぎ、生死不明のイドの前でかがみ込み、「生命女神の心」を彼の死の気配に包まれた穴だらけの胸に置いた。


「ミサ、ドゥラン、イド、トローナ、そしてイーサン坊や。」


イドの胸にある崩壊した黒い手のひらが、火で燃やされた紙片のように、圧倒的な生命の気配の暴力の中で消え去り、その後、目を覆うばかりの穴が血肉のうごめきの中で完全に埋まった。ただし、新しい皮膚の色は周囲よりも少し薄かった。


「彼らだけか?」


「彼らだけだ。」


「魔王は駄目だ。」


「なぜだ。」


「彼は鍵だ。」


カバは立ち上がり、自分についてきた「トローナ」をじっと見つめ、無意識に圧力をかけて彼女の心を変えさせようとした。


しかし、その感情のない瞳には何も見えず、桦はもう一度譲歩せざるを得なかった。目的を達成できるなら、それも仕方ないことだ。


彼も理解していた。結局「彼」に捧げるものは、自分が手ずから「編んだ」ものである方が、たぶん意義がある。


「では、彼の運命の織りは私が監督する。」


「いいだろう。ただし、直接手を出すことはできない。」


妥協点を見つけたようで、両者は同時に頷いた。


「では、あなたの考えを聞かせてくれ、代行者。」


カバは再び動き、今度は凶悪な目つきの「イーサン」へと歩み寄った。


その短い距離には、デクリンコの支配から外れて粉々になった血のように赤い破片が散らばっていた。それは血のように赤い槍と尖った破片だった。


「君は私を協力に引き込みたいのだろう。私は、この世界の『底力』がもう一つの世界と戦うには不足していると考えていいのか?」


「ただ、念のためだ。」


「根源が作る最も硬いものは、お前の口かもしれない。」


たった千年余りしか残っていないのに、「世界の意志」はまだ強がっている。カバは思わず目をつぶった。


「まぁ、そんなものだろう。」


いわゆる「底力」とは、ある世界が最初に誕生してから現在までに起きたすべての出来事の総和であり、たとえ世界が再起動しても、それはこの「底力」の一部にすぎない。


異なる出来事が蓄積する「底力」は異なり、世界の運命の流れを変えるほどの影響力を持つ出来事だけが、多くの「底力」を増やすことができる。


カバたちのような人々、一般的に「世界の意志」たちによって代行者と呼ばれる者たちによる世界への干渉もその一つに属する。彼らの干渉は、大げさなことをする必要はなく、彼らの存在そのものが世界にとって最大の出来事であり、その後、彼らが世界の中のどの個体の運命に干渉しても、その世界の「底力」を大幅に増加させることができる。


今のカバは、この世界で十二年の月日を過ごしており、ミサを含め、数百、数千人と出会ってきた。たとえそのほとんどの出会いが運命への干渉を構成しなくても、それでもこの世界の「底力」には大きな影響を与えている。それにもかかわらず、この世界の「底力」は他の世界に勝ることができない。それが、異なる世界同士の差であり、この世界の「意志」がこれほど慌てている理由でもある。


これほど大きな差がある状況で、なおかつ「世界の意志」本来の運命の枠組みから外れることなく、勝つためには大きな賭けをしなければならない。「世界の意志」もそのことを理解している。


カバは険しい表情をしたデクリンコの前で足を止めた。「世界の意志」も桦が何を問うかをすでに知っていた。


「その前に、まず君の計画を話してくれ。すべて私の考えで進めるのは気に入らないだろう?」


「彼をこの星の共通の敵にする必要がある。」


「なぜだ。」


「『底力』を積み上げるためには、世界の運命の流れを大幅に変えるしかない。彼はこの星の魔法文明を終わらせる鍵だ。」


魔法文明を終わらせる?


「星ひとつで魔法文明を終わらせても、『底力』の蓄積にはそれほど影響しないだろう?」


 この世界には無数の星があり、無数の文明が生まれている。ひとつの星の文明をひとつの個体と見なすならば、その存続や滅亡は、全体の運命に影響を及ぼすことはない。もしその星の運命が世界全体に強く結びついていない限り。


 だが、桦はこの星の運命と周囲の関わりがそれほど深いとは感じられなかった。


「違う。私はこの世界の魔法文明を終わらせる。この星は始まりにすぎない。」


 桦が何か言う前に、「世界の意志」はすでに説明を始めていた。


「『底力』の蓄積は基本的に『あの方』が物語に期待することだ。私は世界意志の権限を使い、根源を書き換えて、この世界から魔法を消すこともできる。しかし、それにはほとんど意味がない。そんなことをしても、普通の出来事と同じ程度の『底力』しか蓄積されない。


 『あの方』が見たいのは、物語の発展だ。だからこそ、世界内の運命を変える出来事こそが、大量の『底力』を積み上げることができるのだ。


 私は全ての文明に、魔法文明を終わらせる人物を生み出させるつもりだ。


 そして、魔法文明が永遠の闇に包まれる前に、最も鮮やかな夕暮れの中で、彼や彼らは選ばれた勇者に打ち倒される。勇者が個人であるか集団であるかは重要ではない。重要なのは、勇者がこの世界で長きにわたる魔法の支配を終わらせる断頭台となることだ。」


 桦は理解した。この星だけではなく、この世界の全ての文明が発展している星で同じようなことが起きているのだ。文明の発展はそれぞれ異なるかもしれないが、確かなことは、魔法は遅かれ早かれ完全に衰退するということだ。


「他の誰かをその悪役にできないのか?」


 誰でもいい。ただ、自分が知っている人は嫌だ。桦はそれが自分勝手なことだと理解していたが、知っている人が全ての憎しみを背負う姿を見ることはできなかった。


 「トローナ」は再び首を横に振り、桦はその様子を見てこの考えを完全に捨て、他の方法を考えるしかないと思った。


 今、イーサンを救いたいと思うなら、この世界に十分な「底力」を蓄積させる必要がある。桦は「世界の意志」の言うように、自分が代行者として持つ権能に頼るしかなかった。



---


「今の私にとって、一分一秒がどれほど貴重か、君も知っているだろう?」


「君はただせっかちなだけさ。少しは文明の中で彼らの生活を体験してみたらどうだい?少なくとも、時間に対する感覚が少しは変わるかもしれない。」


 全てが停止した静寂の世界で、桦は十四時間の間、姿を消していた。そして、今、彼の突然の出現を観測できたのは「世界の意志」だけだった。まるで、彼がその場にずっと存在していたかのように、何の違和感もなかった。


「せっかち?」


「猿だよ。私の故郷の世界にいる、とてもせっかちな動物さ。」


 桦の口から出た新奇な言葉に、「世界の意志」は少しばかりの好奇心を抱いた。


「その話はまた後でしよう。これを持ってきたんだが、これは絶対に待つ価値があったはずだ。」


 そう言って、桦は右手を差し出し、握りしめていた手をゆっくりと開いた。目の前に現れたのは、透き通るような紫色の結晶だった。内部は朦朧としており、光がちらちらと輝いていた。ぼんやりとした人影がその奥深くで眠っているようだった。


「これは!」


「そうだ、私の故郷の世界から君への祝福だ。」


 「世界の意志」は一目でそれが何であるかを認識した。桦が言う通り、それは世界からの祝福だった。同時に、それは世界を自由に行き来できる桦たちしか成し得ないことであった。


 これは、ひとつの世界が凝縮した「底力」の一部であり、代行者を通じて他の世界へと渡される特別な品だった。その贈り物を受け取る世界にとっては、極めて貴重なものに違いなかった。


「なぜ『祂』がここまでのことを?」


 「世界の意志」は驚愕していた。「底力」は世界にとって非常に重要なものであり、それを多く持つ世界は「『あの方』の目に留まる」機会が増えるのだ。「『あの方』に近づく」ことは、全ての造物の本能だった。特に代行者や「世界の意志」のように、「あの方」の慈しみ深い言葉を聞いた存在にとっては、その本能を抑えることは完全に不可能だった。


「ただの友人関係といったところだろう。私たちは『あの方』の祝福を受けた後、故郷を失った者たちだ。」


 桦の声には感情がこもっていなかったが、その表情には少しばかりの郷愁が感じられた。


 「世界の意志」は、事がそう簡単ではないことを理解していた。同時に、これ以上深入りするべきではないこともわかっていた。


「雑談はこの辺にして、そろそろこの世界の千年計画を始めよう。もちろん、運命は私が書き換える。それが『祂』の条件だ。」


「問題ない。」

桦は「世界の意志」にその透明な紫色の結晶を差し出し、彼の視線の中で「トローナ」はそれを口に入れ、飲み込んだ。


——


「違う!あれって俺だよな?!それを丸呑みするなんて!」


私はその結晶のぼんやりした奥に見える人影が誰なのか、一目で分かった。それはもう、これ以上ないほどに見慣れた存在だった。


「心配ないさ。『世界の意志』には自分の体がないから、この一時的な体で祝福を吸収するしかないんだよ。」


「もっと見た目が良い方法があっただろうに!」


「考えすぎだよ~」


本当かよ!いい加減なこと言うなよ!


——


世界は根源から力を一部引き出し、人の形を構築し、それがこの星の遺跡に降臨した。


紫色の眩い光が停滞した世界全体を照らし、その人形は具体的な姿を得た。特に目立つわけではないが、十分に端正な顔立ちをしており、筋肉はあまりないものの、均整の取れた健康的な体をしていた。


地面から水晶がせり上がり、無形の力によって完全な透明な箱へと再構築され、まるで透明な棺のようになった。


その後、その人形はそこに横たわり、目を閉じて、異世界へ行かない夢を見始めた。


世界の運命は彼と密接に繋がっており、無数の運命の糸が彼に絡んでいるが、彼はまだこの世界に自分の居場所を持っていなかった。


これに対し、「あの方」の代行者は五指を広げ、世界の根源に手をかけ、運命の糸を編み直し、彼の未来を織り上げていった。


かれ」の許可のもと、代行者は時間の歯車を縫うように歩き、未来の足跡の中から八百年分を取り出した。


同時に、世界の根源の記録においても八百年が消えたが、出来事は停滞したままであり、消えたのは時間だけでなく、八百年分の魔力の衰退も同時に消滅した。


遺跡群の周囲の空間は乱れ、遺跡群の内外にいた様々な種族が、自分の動きを停止させたまま、その場から消え、彼らのキャンプも数キロメートル離れた平原に移された。


これは「祂」が見せた数少ない慈悲の一つだった。


代行者が一振りの手を動かすと、消えた時間と魔力、八百年分のそれらが遺跡群に重ね合わされた。


この場所の空間は圧縮され、折り畳まれ、破壊された。大都市の大きさを誇る遺跡群は、サッカー場ほどの大きさに圧縮され、時間が暴走し、圧縮された遺跡から開いた地面には、青々とした密林が生え揃い、その魔力の濃度の影響で普通の樹木を超え、数呼吸の間に数十メートルもの高さに成長し、一部は魔化して植物型の魔獣となり、根が広がり、幻覚を引き起こす霧を吐き出した。


この森は急速に拡大し、侵略的な勢いで帝国の北部と王国の南部の大部分の領土を飲み込んだ。二つの小国が完全に覆われるまで、その拡張は止まることを知らなかった。


遺跡の内部で、代行者は最後の作業を終えた。彼らがいた遺跡の部屋も圧縮され、地下に空間が延長され、一部は地上に残り、入り口として機能することとなった。


これで、前期の準備は完了した。


地下空間に残された水晶の棺を見つめ、代行者は彼の意識を一時的に目覚めさせた。彼が何を話したのか、世界の根源ですら記録していない。


——


魔王は、「世界の意志」の手配によって、この星の全ての生き物の敵となる定めの者だ。


桦の目には憐れみが浮かんでいた。高位者同士の争いに巻き込まれる普通の生命は珍しくはないが、今回ばかりは彼もどうすることもできなかった。せめて、影響を最小限に抑えようと考えた。


そう思いながら、彼は手を伸ばし、イーサンの刻まれた額に触れた。


瞬間、イーサンの人生の断片が波のように押し寄せ、百年の歳月に重なった感情が桦の中で流れ合った——


彼女を助けてくれ!誰か!誰でもいい……助けてくれ——!


……


申し訳ありません、あなたの足はどうにもなりません。殺すなりなんなり……


構いません、精一杯やってくれればそれでいい。


……


なぜ彼女が死んだんだ?


兄さん、俺はお前が憎い。


……


幹部たちは俺に従い、魔物の領主を撃退せよ!他の兵士たちは城門を死守せよ!奴らを一匹も越えさせるな!


……


陛下が最後にあなたに会いたいと……


……


子よ、俺はできなかった。俺たちの祖先も誰一人できなかった。しかしこれは初めてだ!初めてだ、咳、咳、咳——!


父上!どうか、もう少し休んでください!


咳、咳!無理だ!今からお前は魔族の王だ!これこそが千年来、初めて族人を救う手立てだ!お前ならできる!お前がやるんだ!お前にはできる!


……分かりました。


すまない……イーサン、こんな重荷をお前に背負わせて……


……


私はあの遺跡群に行く。


陛下が直々に行かれる必要は……


言うな。もう決めたんだ。あそこには俺自身が行かなければならないと感じているんだ。



少なくとも幹部たちを連れて行け。


 私は近衛隊を連れて行く。他の幹部たちは任務を守り、私からの知らせを待て。


 はい。


 ……


 「カバさん、これはあまり良いものではありませんよ。」


 「先に謝っておきます。」


 一幕一幕が目の前を過ぎていくが、カバはそれらに目を留めることなく、まっすぐ目的地に進んだ。


 奇妙な光景が消え去った後、カバの前に広がっていたのは廃墟で、遠くには炎が広がり、煙が空を覆い、まるで世界の終わりのような光景が広がっていた。


 彼はすでにイーサンの百年以上の人生を体験し終えていた。


 イーサンは折れた石柱の上に座り、ぼんやりと周囲を見つめていた。来訪者に気づいたのか、彼は振り返り、寂しげな笑みを浮かべた。


 「ここは?」


 「私が幼少期に、魔族領内のある都市で発生した魔力震動災害の光景だ。」


 カバは周囲を見渡した。建物の破片や木材の梁が積み重なり、炎の蛇が空に向かって巻き上がっていた。空気には焼け焦げた匂いが漂っていた。


 このような惨状が広がる都市には、叫び声や泣き声が全く聞こえなかったが、普通ならこれは異常なことだ。


 しかしカバは知っていた。ここはイーサンの心の奥底であり、彼の存在だけがここにあることを。これは彼の最も深く刻まれた記憶の具現であり、彼の魂に刻まれ、永遠に消えない烙印なのだと。


 「この時に右足を失ったんだ、どうだい?少なくとも、もうあいつは俺と一緒に苦しまなくて済む。」


 イーサンはそう言いながら、長いローブをめくり上げた。そこには左足だけが地面にしっかりと立っていた。彼の心の中では、右足の義肢すら具現化されておらず、左足の姿だけが彼の心に深く根付いていたのだ。


 カバは何を言えばいいのかわからなかった。彼は人を慰めるのが得意ではない。イーサンの自嘲に対して、彼はただ厳粛な表情を保つしかなかった。


 「まさか、そんな反応をされるとは思わなかったよ。そんな顔をしなくてもいい、自分ではこの冗談、少しは面白いと思ってたんだけどな。」


 カバは乾いた笑いを漏らした。


 イーサンはもう黒いユーモアに固執することなく、ローブを整え、カバに彼の来意を尋ねた。


 「カバさん、あなたは私を終わらせに来たのですか?」


 「いや、違う。私はお前の運命を告げに来た。」


 「そうか、わかったよ。」


 イーサンは困惑した表情を見せ、一瞬考えた後、平静を取り戻した。


 「今の状況について、どれくらい把握している?」


 「ぼんやりとしている。私の計画は失敗した。今、‘戦争’が私の身体を好き勝手に使っているだろう。」


 イーサンの答えを聞いて、カバは頷いた。


 「イーサン君。」


 「ん?」


 「今、お前には一つのチャンスがある。魔族を再び救うチャンスだ。」


 「本当か!」


 イーサンは興奮して立ち上がろうとしたが、義肢がないためにバランスを崩し、再び座り込んでしまった。


 「そんなに興奮しないでくれ、イーサン君。」


 カバは手を振ってイーサンの一歩手前まで歩み寄った。


 「これから私はお前の意識を呼び覚まし、再びお前が身体を掌握できるようにする。しかしデクリンコも黙ってはいないだろう。お前の意識と彼の意志は互いにぶつかり合うだろうが、どちらかが主導権を握っても、もう一方がそれを制約することになるだろう。だが相手は神の意志だ……」


 カバの言外の意味は、地上の生き物が神には勝てないということだった。イーサンには主導権争いで永遠に消える覚悟が必要だった。


 イーサンはカバの言葉が終わる前に、迷うことなく答えを出した。


 「問題ない。」


 イーサンはそのリスクを承知していた。カバがどうやってそれを可能にしたのかは分からないが、彼は自分にかつては想像すらできなかった機会を与えたのだ。


 デクリンコと対峙できるなら、たとえ一瞬でも、魔族の救いをもたらすことができるかもしれない。


 イーサンの決意に満ちた表情を見て、カバは彼がどのように答えるかをすでに知っていたが、それでも敬意の念が湧き上がった。


 これからの運命は彼にとってあまりにも過酷だ。カバは「世界の意志」から最悪の結末を避けるために全力を尽くしたが、それでもあまりに悲惨なものだった。魔族の運命は、今後数百年もの間、戦火と血にまみれることになる。


 イーサンの目に希望の光が灯るのを見て、カバは罪悪感を覚えた。あの叫びと血で染まった未来には自分も関わっているのだ。それを彼に告げるべきだろうか?


 自分にはもう何もできないが、あの世界の運命を担う者はきっと救済をもたらすだろう。そのために、あの者は眠りにつく必要がある。


「イーサン坊や、未来あなたはこれらの選択に苦しむかもしれませんが、希望は存在します。数百年後に。」


「私は信じています。」


短い時間の中で、カバはイーサンに非常に強い印象を与えました。彼は強力な力を持っていて、あまり表に出さなかったものの、イーサンはカバが自分とは違う、すべての人と違うと感じました。


だからこそ、カバは誰に対しても平等に接し、イーサンは特に彼を信頼していました。


カバは苦笑いを浮かべた。


「では、始めよう。」


「カバさん、ちょっと待ってください、質問してもいいですか?」


「もちろん。」


カバは彼が何を尋ねたいかを予見し、その場でイーサンが言葉をまとめるのを待った。


イーサンは少し躊躇した後、顔を上げた。


「僕たちはどうして失敗したんですか?」


なぜ「生命女神の心」を使う計画が失敗したのか?


イーサンは心の中で分かっていました。彼は無謀すぎたと。もしあの時、後ろの扉を全力で壊してすぐに魔族領に戻り、幹部たちと相談していれば、違う結末があったかもしれないと。


しかし、状況は切迫していて、黄金の甲冑を対処するために「戦争」の束縛を解いてしまい、再び封印することはできなくなってしまった。だからこそ、「生命女神の心」を強行して使うしかなかった。


しかし、どんな状況であっても、「生命女神の心」を使うことは必須だった。すべての段階が間違っていなかったのに、結果的に「戦争」に都合の良い形になってしまったことが、イーサンには理解できなかった。


彼はカバを見つめ、答えを強く知りたかった。


「なぜ生命女神はこの遺跡をカディアン峡谷の魔族領に配置しなかったのか?それは魔族だけでは宿命から逃れることができないからだ。」


カバの答えを聞いて、最も重要な論理の穴が埋められ、イーサンはようやく悟った。


カバは世界の根源に触れたとき、生命女神が神の力が魔族に災いをもたらすことを最もよく知っていた。しかし、「戦争」を完全に滅ぼすためには、その力を分散させ、意志を粉砕するしかなかったのだ。


魔族を創造した後、生命女神はすでに神力を使い果たしていた。結局、一尊の神の力を粉砕するには同等かそれ以上の力が必要であり、その過程で塔は「戦争」の力によって反撃を受け、大きな傷を負った。それでも魔族を創造できたのは彼女の限界だった。


それにもかかわらず、デクリンコは再びこの世界に戻ってくる可能性があった。完全に根絶しなければ、地上の生命は災禍から逃れることはできなかった。


神として、生命女神には憐れみを含む感情は存在せず、彼女はただ、生命が自ら最も美しい形を咲かせるべきであり、「戦争」の影は魔族を進歩させないことを知っていただけだった。


「戦争」を完全に終結させるには、「生命」の権能を使うしかなかった。「死」も同様の力を持っているかもしれないが、それは過激すぎ、魔族を滅ぼしてしまう可能性が高かった。


だからこそ、神力を使い果たし、重傷を負った女神は、長い回復を待たず、このすべてを早く終わらせるために、「生命」の権能をすべて一つの物に集めることを選んだ。それが「生命女神の心」だった。


「それでは、万全の解決策は……」


「そうです、誰でもいいです。ただし、魔族でない者なら、誰でも『生命女神の心』を使って魔族を災いから解放することができます。」


逆に言えば、魔族であれば、「戦争」の力が強かろうと弱かろうと、「生命女神の心」に触れれば、デクリンコの帰還を促すことになる。


権能を失った女神は「彼女」となり、彼女はその使徒たちに他の種族の土地に権能の器を守る場所を築かせ、容易に持ち出されることを防いだ。


魔族領にも彼女の使徒が建てた居住地があり、それが古書を保管している魔族遺跡だった。女神はそこに一生待ち続けたが、魔族文明が発展する日は訪れなかった。


「とても簡単な答えですね。」


「最初から間違っていたようです。」


「大きく遠回りしてしまいましたね。」


「はは、本当に大回りだ。」


イーサンは苦笑しながら、過去の計画を振り返り、これほど明白な暗示に気づかなかったことを思い出した。


「生命」は彼女の子供たちを愛していたのかもしれない。しかし彼女は不器用な母親であり、子供たちもまた非常に頑固だったため、双方の意図がすれ違い、最悪の結果を生んだ。


本当に嘆かわしい母子関係だ。


「準備はできました、カバさん。」


「うん。」


カバはイーサンの前に歩み寄り、彼の肩に手を置き、軽く押した。


すると突然、強烈な無重力感がイーサンを襲い、目まいの中で彼は足元に確かな感触を感じ、軽い目まいの中で目を開けた。


「ここは……?」


目に入ったのは一面の廃墟。廃墟の外にはそびえ立つ巨木があり、見慣れない森の中にありながら、異常なほど静かで、自分の心臓の鼓動がやけに大きく感じられた。


「ここはまだ遺跡群だ。ただ、見た目が変わっただけだ。」


カバの声が隣から聞こえ、彼は宙に浮かぶ石片を弄っていた。


「そうですか……『生命女神の心』はどこですか?」


「そこにあるよ。」


カバがイーサンの背後を指さし、イーサンが振り返ると、最も保存状態の良い建物が見えた。その表面には複雑な模様が刻まれており、内側では膨大な魔力がゆっくりと流れていた。


イーサンはそれを一瞥しただけで、長く留まることなく、倒れているトロナとイードを見つけ、彼らに歩み寄った。その時、彼は驚いて、自分の右足が義足ではないことに気づいた。


「これが『生命女神の心』に触れた唯一の恩恵でしょう。」


そう理解すると、イーサンはトロナとイードを抱え、遺跡の外へ歩き始めたが、数歩進んだところで立ち止まり、振り返って尋ねた。


「カバさん、あなたは希望があると確信していますが、それは一体何ですか?」


「それは困難を打ち破り、絶望の夜に星空を照らし続ける勇気ある者のことだ。私の故郷では、それを『勇者』と呼んでいる。」


「勇者?良い呼び名ですね。」


その言葉を頭の中で繰り返し、その意味を噛みしめるうちに、どこか憧れの表情が浮かんだが、彼はこの勇者が自分ではないことを知っていた。


感想を軽く口にした後、イーサンの魔力が流れ始めた。


カバさん、僕はミサさんに、魔族領で楽しく過ごさせると約束しました。もし全てが順調に進めばの話ですが。」


「彼女に伝えますよ。もし全てが順調に進めば。」


術式が瞬時に形成され、次の瞬間、彼は既に森の上空に現れ、カディアン峡谷の方向へ飛んでいった。


途中、彼はカバの声を聞いたように感じた。それは囁きのようでもあり、低く吟じる歌のようでもあった。空気の中に響き、逆らうことのできない運命を告げる声だった。


「彼はすべての生き物の敵となるだろう、


「彼が通る所では必ず生き物が滅びる、


「彼は種族が積み上げた焚炉の業火に苦しむ、


「絶望は彼を打ち負かさない、


「苦しみは彼の怒りの薪となるだけだ、


「彼は進むべき道を進み、


「ついに曙光と交わり、長き夜を打ち払うだろう。」

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