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世界を渡る者  作者: ELF
迷宮の森
11/24

幹部


私とリリィルの体から悪臭が消えてから、魔物による襲撃もかなり減り、夜のキャンプでも臭いで魔物に気づかれる心配がなくなった。


 迷宮の森に深入りするにつれて、魔物もますます強力になり、暗闇に潜む敵も狙いを定めている。トラブルを避けるため、キャンプ中はよほどのことがない限り、ベットとミルの聖術での照明は使わず、焚き火もすぐに消すようにしている。


 それでも……


 「ベット!ベット!早く聖術でこいつらの目をくらませて!」


 「わ、私の魔力がもう尽きた!」


 「隊長!目の前は魔物の領主の縄張りです!」


 私たち四人の小隊は、絡み合う巨大な樹根の間を必死に駆け抜けていた。


 その理由を聞きたい?もちろん、魔物の糞になるなんてごめんだからさ!


 後ろから追ってきているのは、百匹以上の中型魔獣。それぞれが中級魔物並みの強さで、まともに戦うのは死にに行くようなものだ!


 一匹一匹ならただのサンドバッグだけど、今の状況では、雪の結晶が雪崩になるようなものだ――普通の人間にはすぐ消える一片の雪も、山積みになれば人間の命を奪う雪崩になるんだよ。


 では、どうしてこの「雪崩」を引き起こしたのか?


 「ベット、なんであいつらを刺激したんだよ!」


 「いやぁ、一匹だけ落ちてたから、世界のためにちょっと手を出してみたら、あいつらが魔力で感応し合ってるとは思わなかったんだよ、ははは!」


 「よくそんな笑ってられるな!」


 ミルは高所から魔力の矢で牽制しているが、魔獣の群れは波のように押し寄せてくる。精霊の魔力が豊富なのが幸いで、範囲魔法で少しは数を減らせるけど。


 この混乱の張本人ベットは、リリィルに肩に担がれて、先頭を走っている。


 私は一定距離ごとに土壁を作って魔獣の足を止めようとしているが、魔獣たちは壁に激突して倒れた仲間を踏み台にして追いかけてくる。どうやら、目の前の私たちを引き裂いて仲間の復讐を果たしたいようだ。


 「勇者!周囲の魔獣もこの騒ぎに引き寄せられています!」


 高所にいるミルがすぐに情報を共有してくれた。


 くそっ、あと七八秒距離を稼げれば、こっちもでかい一撃をお見舞いできるんだが!


 そんなに追いかけるのは嫌われるぞ、魔獣ちゃん!


 ちょっと前にリリィルが何か言った気がする?


 魔物領主だって?


 私はすぐに周囲を見回し、折れた巨大な木々が至る所に放置され、土地の一部が何かによって掘り返されたような跡を見つけた。それは、何か巨大な存在が通った証拠だった。


 ここ数日、森の深部を探索していた中で、こういった地形の変化は、魔物領主の縄張りに近づいていることを示している。


 なんて都合がいいんだ。


 「リリィル!魔物領主の近くに行け!」


 頭の中に一つの簡単な作戦が浮かんだが、実行するのは少し難しい。少しでもミスすれば、魔物領主に追いかけられる羽目になるだろう。幸い、迷宮の森の魔物領主は自分の縄張りを持っていて、簡単には出てこない。


 私は前を走るリリィルに向かって叫び、同じく私の声を聞いたミルが、矢の先に魔力を込めて術式を構築していた。


 「シュッ」という音と共に、青い光を帯びた魔力の矢が、一番速く走っていた魔獣に命中した。


 青い光が一瞬きらめき、その後、仲間に踏みつけられた魔獣の死体が突然膨れ上がり、大爆発を引き起こした。その爆風は広範囲に渡って根や地面を吹き飛ばし、大量の土埃を巻き上げた。


 魔獣たちが視界を奪われている隙に、私は灰の中に数発の火炎爆弾を打ち込み、さらに足を遅らせた。


 その後、すぐにリリィルに続いて走り出したが、背後の魔物たちの咆哮から、先ほどの攻撃があまり効果を上げなかったことがわかった。おそらく数匹しか倒せなかったのだろう。



啧、計画通りに行くしかないな。


 「リリィル、魔物の領主の居場所はわかるか!」


 「もう全力で感知してるけど!周り中にあいつの匂いがするのに、全然姿が見えないよ!」


 隠れるのが得意な魔物?


 この大雑把な計画の根本的なロジックは、魔物と魔獣が互いに相容れないことにある。魔獣は穢れた魔力に汚染された動物であり、魔物はその穢れた魔力そのものだ。両者は本能的に相手の魔力を奪い合って、自分を強化しようとする。


 もしこの大量の魔獣に対抗できる領主を見つけなければ、俺たちはやがて体力が尽きて追いつかれるだろう。


 そんな結末は絶対に避けなければならない。


 だがリリィルはあいつの匂いを感じている、それはおかしい。まさか、餌を求めて外に出かけたのか?


 そんなはずはない。領主は縄張りを離れることはない。さあ、考えろ――


 周囲の痕跡は、すべて最近作られたものだ。つまり、奴はまだここにいて縄張りを変えていない。それに、この辺りの地面には掘られた跡がある。


 まさか地下にいるのか……?俺たちは、奴の頭上で追跡劇を繰り広げているってことか?


 「ミル!寝てる大物を起こして、俺たちが持ってきたご馳走を見せてやれ!」


 「待ってたぜ、その一言を。」


 さすがはミル、高所からの視界で、俺よりも早く答えにたどり着いていたのかもしれない。


 ミルは別の木の枝に跳び移り、威力を求めて、矢筒から三本の特製の矢を取り出した。それはミサおばさんが自ら矢頭に術式を編み込んだもので、出発時にミルに託されたものだ。


 全部で二十本。それぞれに強力な魔法術式が込められており、その魔力の量から判断すると、上級魔物でも命中すれば内臓が破裂するだろう。また、目標がない場合は、地面に刺さると広範囲の共鳴術式を発動させる。複数の術式が連動すれば、さらに範囲が広がり、百メートル以内の生命体は全て無事では済まない。


 三本の矢は流星のように森の闇を切り裂き、矢先が地面に突き刺さる瞬間、巨大な魔力が急速に膨れ上がり、半径二百メートルの範囲をすべて包み込んだ。


 運悪く、俺も術式の連動範囲を誤って計算してしまい、その中に巻き込まれた。何せ、ミサおばさんは出発直前に疲れ切った顔でこれを渡してきて、テストする機会はなかったのだ。


 これはまずい。


 その荒々しい魔力の洪水が俺を包み込み、周囲の空間がその力に耐えきれず、耳障りな軋みを立てていた。俺は反射的に自分の魔力を解放してそれに抗おうとしたが、驚いたことに、俺の魔力がその波長に自動的に同調していくのを感じた。


 まずい!


 この考えが浮かんだ瞬間、その「同調」は一気に内部まで侵食してきた。もし全ての魔力が同化されてしまえば、それらは排斥を始め、不調和な波長の檻――つまり俺の体から脱出しようとするだろう!


 慌ててその同化された魔力との繋がりを断ち切る。その瞬間、俺は高等魔法を二、三度使えるほどの魔力量を失った。


 しかも、断ち切った魔力は俺の体内で暴れ回り、制御できなくなってしまった!激しい痛みが体を襲い、俺は地面に膝をついた。かすんだ視界の中で、前方を走るリリィルとベットは術式の範囲外にいるようだった。


 魔王軍の幹部と戦ったとき以外では、これが一番死に近づいた瞬間だろう。


 「くっ……咳、咳!」


 口と鼻から大量の血が溢れ、その血液には狂暴な魔力が含まれていた。血が異常な熱気を放ち、樹の根に染み込んでいく。


 周囲の圧倒的な魔力が消え去り、体が一気に軽くなった。ミサおばさんの術式は現れるのも早いが、去るのも早い。あと数秒続いていたら、俺はここで命を落としていたかもしれない――これはたまたま術式の範囲に巻き込まれただけなのに。


 味方の攻撃に巻き込まれて死んだ勇者なんて、考えるだけで笑えるよな!


 それにしても、ミサおばさんの実力ってこんなに強いのか?武器に術式を付与するだけでこれほどの威力があるなら、実戦で使う魔法は一体どれほどのものなんだろうか、考えるのも恐ろしい。


 俺は後ろを一瞥した。さっきまで俺たちを追いかけていた魔獣たちは、中心に近いものほど術式の洗礼を受けて、自らの魔力によってバラバラに引き裂かれていた。中心から遠い魔獣は俺と同じように一命は取り留めたが、彼らは魔獣だ。魔力を制御することができないため、狂暴な魔力に引き裂かれて、皮膚はボロボロになり、息も絶え絶えだった。


 さらに遠くにいる魔獣たちは、術式の範囲には入っていないが、その魔力の威圧に怯えて前進できずにいた。


 「勇者!」


 ミルが木から飛び降りた瞬間、地面が激しく揺れ始め、彼女は危うく足を滑らせそうになった。


 どうやら、この三本の矢の威力は十分だったようだ。魔物の領主を目覚めさせるにはこれ以上ない「目覚まし」だろう。


 同じく、この揺れが何を意味しているかを察したミルは、すぐに俺を支えてくれたが、俺の顔を見た瞬間、彼女の顔に隠しきれない驚きと焦りが浮かんだ。


 どうやら、必死に抑えたつもりでも、外見にはかなりのダメージが現れているようだ。


 俺たちはすぐに前方のリリィルたちと合流した。走っている間、背後で地面がひっくり返され、何か巨大な存在がその威圧的な存在感を誇示しながら、地下から這い出してくるのを感じた。


 背後からは魔獣たちの咆哮と混乱した魔力が溢れ、さらに巨大なものが衝突する音が追いかけてきた。


 そんな音を無視し、全力でリリィルとベットが隠れている大樹の後ろまで走り込む。やっと息をつく余裕ができた。


 身を潜めた瞬間、ミルはベットを俺の隣に移動させた。

「ベット、私が魔力を譲渡するから、一緒に勇者を治療して。」


 ベットは私の姿を見て頷き、ミルに肩を掴んでもらいながら魔力を譲渡し始めた。


 リリールは心配そうな顔で周りを伺いながら、時折土から出てきた魔物の領主や魔獣たちの戦いを見つめ、彼らがこちらに気づかないかと不安そうにしていた。


 聖術の光が私を包み込むと、さっきまで胸にあった重苦しさが消え、手のひらや腕にできた小さな裂け目からにじみ出た血も魔法のようにすぐに閉じた。血痕だけがその傷があった証拠として残った。


 「勇者、じっとしていて!」


 治療を受けながらも、私はリリールと同じように巨木の陰から顔を出し、戦果を確認したが、犯罪者が犯行現場に戻るようなことはしない。傷がほぼ治ったらすぐにここを離れるつもりだ。


 ここでの潜伏は一時的なもので、魔物の領主の感知能力に賭けるわけにはいかない。戦いが終わった直後に発見される可能性もある。


 腐葉土の匂いが鼻をつく中、目に飛び込んできたのは、巨大な姿。体長は50メートルはあるだろうか。乾いた血のような褐色の外皮に泥がべっとりとつき、全身を覆う骨の棘には無数の魔獣が突き刺さっていた。グロテスクに歪んだ顔が腥臭い口を開き、赤い魔力の奔流が前方の地面を薙ぎ払っていた。


 まるで戦闘に飽きてしまったかのように、その怒りは眠りを妨げられたことに対するものだった。これでこの騒動を終わらせようとしているのだ。


 魔力が触れた木々は腐り果て、豊かな栄養を含む湿った土壌も一瞬で砂に変わった。そしてその魔力の中心にいた魔獣たちは、体が急速に変異し、腐敗した臭気が体内を満たしていった。膿みを含んだ水ぶくれが次々と膨らみ、破裂し、筋肉が骨にとどまることができず、液状化して地面に流れ出す。


 残った骨も穴だらけになり、見ているだけで不気味な光景だった。


 これはさすがに強すぎるだろう?


 ほんの一瞬目を離しただけで、私たちを追いかけ回していた魔獣たちはほとんど全滅してしまった。この魔力の吐息、超危険だ。これが魔物の領主の真の力とは限らない。何か他にも隠された力があるに違いない。


 以前、帝国の魔物の巣を掃討する任務で魔物の領主と対峙したこともあったが、こんなに巨大で、これほどの魔力を感じるのは初めてだった。


 いや、迷宮の森に入ってからというもの、見た魔物の領主はどれもこの「特大サイズ」ばかりだ。


 「みんな、準備はいいか、逃げるぞ。」


 私は身を翻し、ミルとベットに治療を中断するよう合図を送った。ほぼ回復したのもあって、ここでの魔力の乱れが魔物の領主に感づかれる前に移動するべきだった。私のために全員の命を危険にさらすわけにはいかない。


 ミルの魔力を受けたベットは元気を取り戻し、さすがは精霊族と言うべきだろうか。ミルは私の顔についた血を手ぬぐいで拭いながら、真剣な目で私を見つめ、頷いた。その仕草は、まるで私に生きる希望を与えてくれるかのようだった。


 「リリール、ベットを連れてあの木の根元まで走れ。俺とミルが後ろから援護する。」


 私は遠くにある巨大な木の根の下を指差した。そこは4人が隠れるのにちょうどいい大きさの地洞だった。


 リリールはすでに準備を整えており、ベットを連れて先に逃げてもらうことで、私たち全員が早く移動できるようにした。魔物の領主が騒音を立てて周囲の魔獣たちを威嚇しているとはいえ、まだ敵が周囲に潜んでいる可能性もあったので、彼女たちの後方は私と機動力の高いミルが担当することにした。


分担を確認し、出発の準備を整えた私たちは、突然背筋に冷たい感覚を覚えました。まるで空気が急に冷え込んだかのように。しかし、ここは巨大樹の森の地面であり、空を覆う木々が絡み合い、風通しも悪いため、気温がそれほど変化するはずがないのです。


何かが気温を変えたのか?


しかし、私たちやあの魔物の主、それにぐちゃぐちゃになった魔獣の群れ以外に、何か異常な存在はありませんでした。


周囲の気温はさらに下がり、腐葉土に覆われた湿った柔らかな地面が凍るように固くなっていきます。


腐りかけた落ち葉も、低温で一触で砕けるほど脆くなっていました。


怒りで木を何本か倒していた魔物の主も、この環境の変化に気づいたようで、何かを察したかのように体内から魔力を放出して威嚇を始めました。


『生ける者、万民よ、我が死者の天国に帰れ』


どこからともなく、幽玄な詠唱の声が聞こえてきました。重ね重ねの祝詞が冷たい術式を構成し、木々の間を響き渡ります。気温はさらに下がり、吐息が白くなって見えるほどになりました。


私は手を上げ、隊員たちに警戒を強めるよう指示し、襲撃に備えました。


術式が構成された以上、魔力の流れがあるはずです。魔力の痕跡さえ感じ取れば、術者の居場所を突き止めることができ、魔法の狙いがどこに向かっているのかを早めに判断できるでしょう。


私が魔力感知を広げたその瞬間、魔物の主は危険を察知したようで、尖った牙の間から警戒の低い唸り声をあげ、体中の骨針を逆立てました。


何かが私の魔力感知の外縁をかすめました――地中にです。


迷宮の森の地下はこんなにも賑やかなのですか。養分が豊富だからみんな地下にいるというのでしょうか?


私はその何かの痕跡をたどり、それが一つではなく、全てがものすごい速度で魔物の主に向かっていることを発見しました。


土が崩れる音とともに、一群の死肉瘤が血肉の触手を振りかざし、地面から這い出てきました。次々と魔物の主の身体に群がり始めます。


地面に散らばっていた魔獣の死体やバラバラになった骨も全て集まり、無理やり組み合わされていきます。彼らは死後、魔力を魔物の主に吸収されたか、すでに拡散しているため、この死体の集合体には魔法的な性質はありませんでした。


死体の集合体は組み立てられながら魔物の主の元へ向かい、その途中でいくつかの死肉瘤を巻き込み、骨格の足りない筋肉部分を補いました。


魔物の主の方は、先ほどの腐敗した吐息を自分の身体に使うことができず、威厳を踏みにじる死肉瘤を振り払うために、深い森に轟く咆哮をあげました。この咆哮には威嚇効果があったらしく、その瞬間、私たち全員が恐怖に表情を曇らせました。


幸運なことに、私たちは直接攻撃の対象ではありませんでした。そうでなければ、この一瞬の間に十数回も全滅していたことでしょう。


同様に、魔物の主の咆哮を聞いた死肉瘤も一瞬動きを止めましたが、威嚇攻撃は不死の魔物にはほとんど効果がありません。すぐに触手を振り回して再び攻撃を開始しました。


痛みを感じた魔物の主は威嚇が効かないと悟ると、体を隆起させ、体中の骨針を全て突き出しました。尾部には体内から伸びた筋肉状の触手が繋がっており、その先端には数体の死肉瘤が刺さり、刺さった部分から腐敗が進み崩れていきました。


たった一呼吸の間に、魔物の主に群がっていた死肉瘤は大量に減りました。しかし、不死の魔物である彼らは恐怖を知ることなく、次々と地面から這い出てきては、その身体や脚に絡みつき、触手で叩きつけたり突き刺したり、花のように開いた口から粘着性のある腐食性液体を吐きかけたりして攻撃を続けました。


その時、死体の集合体も魔物の主の身体に取り付きました。魔獣の死体の大群で構成されているものの、その体格は魔物の主には到底及ばず、触手をなんとか引きちぎり、魔物の主の動きを妨害するのが精一杯でした。


あちらの状況が膠着している今、私たちの存在に気付かれる可能性は低そうです。おそらく、今こそ脱出の最適なタイミングだ!


そういえば、さっきも逃げようとしたとき、似たような状況でしたよね?


いや、今はそんなことを気にしている場合じゃない。命を守ることが最優先です。


まさか……魔物の主から強大な魔力の波動が感じられる……これは、周囲を平地にしてしまうほどの魔力を一度に放出するつもりではないか?


やはり、そうだったか!


予想通り、また厄介な事態が発生した!


『早く走れ!できるだけ遠くへ!』


私が白い息を吐きながら叫ぶと、リリィルはベットを背負って真っ先に駆け出しました。私とミルもそれに続きます。


しかし、私とミルの走る速度はすぐに落ち始め、どんどん遅くなっていきました。百メートルも進まないうちに、ほとんど足が止まってしまいました。瞬間的に自分の身体が自分のものではなくなったような感覚さえ覚えました。


リリィルの速度は速く、私たちが動けなくなったときには、すでにベットを背負ってかなり先に進んでいました。私たちが彼女がそのまま予定の地点までたどり着くと思った矢先、リリィルは脚の骨が抜けたかのように地面に倒れ、勢いでベットと共にしばらく転がっていきました。


魔力で強化された私の視界には、彼女がぎこちなく自分の脚を突ついている姿が映りました。そして、彼女とベットの体表にはゆっくりと霜が降り、聖術の光の中で、ベットの表情が一気に真剣さを帯びました。


あちらが心配ではありますが……


『勇者、何かが来るわ』


寒気に震えながら、ミルが振り返り、魔力の波動を放出し続ける魔物の主を見ました。


今、彼が放つ魔力の波動は、この魔物や魔獣がうごめく森の中で、まるで太陽のように煌めき、その存在を誇示しているかのようです。


周囲の生物たちは、この太陽を感じ取ると、蛾が火に飛び込むどころか、一斉に四方へと散り逃げ、少しでも『陽光』が射す場所から遠ざかろうとしています。



そして、それらは例外なく、私たちと同じように動きが鈍くなり、体が霜に覆われていった。


私たちは体内で魔力を巡らせることで、寒さによる体への影響を軽減できた。


この状況で、彼らと私たちの違いがあるとすれば、それは魔力を自分で操作し、利用できるかどうかだ。魔力を自在に操れない魔獣や魔物たちはその場に動かず、たまに目玉が動くだけで、まだ生きていることがわかるが、この状態が続けばどうなるかわからない。


何が起こっているのかを解明するため、私は先ほどから周囲の変化を観察していた。そして、逃げ出した魔物たちの動きを見て、私は何かを掴んだ。


私はその発見を隣にいるミルに伝えようとしたが、周囲にはまるで死の静寂が漂い、息を吸うたびに、自分の身体も精神も少しずつ死に近づいているように感じた。遠くで、魔物の主が危機を感じて狂乱しながら叫び声を上げていたが、それもはるか彼方から聞こえるように感じた。


森の中にいるはずなのに、今は木の葉の擦れる音すら聞こえない。この一帯の生き物たちは、何かに怯えて沈黙しているようだった。


さっき治った傷がまた開いたような気がしたが、寒さのせいで血は流れず、かすかな痛みだけがその存在を知らせていた。


そんな死の静寂の中で、ミルが唾を飲み込む音がやけに大きく聞こえた。彼女の弓を引く手が無意識に震えており、彼女の目には明らかな恐怖が映っていた。


精霊の魔力感知は私よりも鋭い。彼女は、私が感じ取れない何かの危険を察知したのだろう。


私は再び剣の柄をしっかりと握り、魔力感知を最大限に広げた。ミルを恐怖に陥れる存在、それは間違いなく尋常ではないものだ。


避けられるなら避けよう。これは私たちが立ち向かえる戦いではない。最優先は小隊を無事に保つことだ。


だが、数呼吸のうちに、魔物の主の魔力が周囲を飲み込むだろう。そして、私たちはそれを防ぐ手立てを持たない……


いや、待てよ。


魔力の放出には時間がかかるが、この準備はもう十分に長いはずだ。


では、なぜ先ほど逃げ出す時に感じた強烈な圧力が今はないのだろう?


まさか、魔物の主の叫び声は、この奇怪で冷たい環境にかき消されたのか?


……


私は唾を飲み込んだ。


あいつ、生きているのか?


私の魔力感知では、まだ魔物の主の存在を感じ取れる。放たれる魔力は、まるで恒星のようにその存在を強調している。


だが、私の目が見ているのは、腐瘍の触手に貫かれ、あの死体怪物に多数の触手と骨刺を引き剥がされ、内側から厚い霜に覆われた巨大な死体だ――つい数秒前まで、あれほど桀驁けっごうで凶悪だった目には、いつの間にか生気が失われていた。


その凍った死体は、周囲の氷柱とつながり、霜が地面まで広がり、一面に広がる氷の棘を生み出していた。そして、黒い荊棘けいきょくを纏った巨大な黒い槍が、それを地面に釘付けにしていた。


一匹の腐瘍がそこに佇み、花蕾からいを開き、膿黄色の液体に覆われたしべの触手が一団の真っ赤な肉塊を捧げていた。その表面の紋様が引き裂かれ、歪んだ人間の顔を形成していた。


その腐瘍の触手のいくつかは、人間の腕の筋肉を模倣して絡み合い、まるで皮膚のない腕が、魔物の主に向かってまっすぐ差し出されているかのようだった。


現状は明らかだ――この奇妙な腐瘍が魔物の主を倒し、周囲の寒気や生物が逃げ出せない異変もすべて、それが仕組んだものだ。


しかし、私の魔力感知にはその存在が感じ取れない。これは常識に反している。どんな魔物であれ、不死者であっても、活動するための大量の魔力を体内に持っているはずだ。


だが、私の目は警告している。魔力感知が誤っている。それは確かにそこにいて、何の動きもせずに、迷宮の森に特化した魔物の主を簡単に倒したのだ!


直感が警報を鳴らし、体が急いで逃げろと催促している。


あいつは、今の私たちでは太刀打ちできない相手だ。


「今日の迷宮の森は随分と賑やかだな。何が起こったのかを確認するために使い魔を送ったところ、この畜生が発狂していたとは。」


あいつは喋り始めた。さっき聞いた詠唱の声と同じで、かすれた乾いた声は男女の区別がつかず、ただ背筋を凍らせるだけだった。


それは触手を蠢かせて、捧げていた肉塊の頭をこちらに向けた。


「虫けらども、お前たちがただその場にじっとしていたら、私はお前たちに気づかなかっただろう。しかし、この死者の天国では、生者の動きは蜘蛛の巣の上の虫のように目立つ。」


「責めるなら、自分たちを責めるんだな。」


そう言いながら、言葉は粗野だが、声のトーンは優雅で、生気のない笑い声を発した。その笑いはまるで機械が錆びついたようにぎこちなく、息を吐いているようだった――もし、その肉塊に気管があったならば。


そいつは地面を這う触手を動かしながら、こちらに向かってきた。体を揺らすたびに、花蕾の中から膿黄色の液体が少しずつ溢れ出し、地面に付着して白い煙を上げていた。


「どうやらお前たちは魔獣に追われ、その異質な習性を利用して脱出を試みたようだ。蛆虫どもにしては賢い考えだ。


「もちろん、これほど深く森に入り込んだということは、お前たちの実力も侮れない。どうやら私の連絡が途絶えた傀儡は、お前たちが片付けたようだな。」


体内で魔力を循環させても、寒さが止まらず、私は武器を強く握りしめ、一歩前に出てミルを背後に隠した。


すると、それは何かを感じ取ったようで、私から数歩のところで立ち止まり、その歪んだ目は私の胸のポケットをじっと見つめた。


そいつは触手が絡み合ってできた手を伸ばし、私のポケットの中のものが突然飛び出した。本能的にそれを掴もうとしたが、私が反応するよりも早く、それはそいつの手に渡っていた。


それは青白い光を放ち、微かに震えている護符だったが、私のポケットから出た瞬間、魔力を除けばただの石製の装飾品に戻ってしまった。


 護符を見た瞬間、あの醜悪な顔はさらに歪んだ。


 「お前、どうしてこれを持っているんだ!」


 その声には強烈な威圧感があり、私は冷や汗をかき、答えなければ次の瞬間には命を失うような錯覚を覚えた。


 しかしすぐに、その態度は変わり、ぶつぶつと自問自答を始め、焦燥感が見えた。


 「まさか、彼が戻ってきたのか?いやいや、彼が戻ってももう何もできない……じゃあ、その死に損ないのドゥランカイテが渡したんだな!


 「ってことは、もう次の段階まで進んでいるってことか。目覚めてすぐに計画を始めたのに、やはり追いつけなかったか!」


 私はその言葉を聞き逃さなかった。聞き覚えのある名前だった。


 ドゥランカイテ? ドゥランじいさん!


 この怪物はドゥランじいさんを知っている!


 重複した名前をまず排除するとして、迷宮の森に関わりのあるドゥランカイテと言えば、妖精の郷のあのドゥランじいさんしかいない。


 迷宮の森はどうやら相当深い謎があるようだ。帰ったらしっかり聞いてみよう。出発のときには何も言わなかったが、これはまるで私を死地に送り込んだようなものだ!


 「お前が人間の召喚した勇者か?」


 まだ少し錯乱しているような奇怪な死瘤は、突然肉の塊を私の顔の前に押し付けてきた。腐敗した悪臭が鼻を突き、私はその歪んだ顔を見て吐き気を覚えた。


 怖がっているのを悟られないよう、私は平静を装い、軽く頷いて剣の先を少し上げ、警戒を示した。


 「そうか、そうか……事件が進行中なら、私にも考えがある。虫けら、お前たちは命拾いしたことを感謝するがいい。


 「お前がこの世界で英雄として立つことを、後悔させてやる。私の名を忘れるな――ブライディールだ。」


 その言葉を憎悪に満ちた声で言い終わると、死瘤の触手はすべて力を失い、その巨大な花弁とともに横倒しになった。内部の不気味な液体が溢れ出し、地面を腐食させ、私の足元へと流れてきた。


 肉塊も地面に落ち、溶けるように土壌に吸い込まれ、最後には一片の指骨を残し、その死瘤の体とともに粉々に崩れていった。


 地面に落ちていた護符を拾い上げると、再び青い光が微かに震え出した。


 これはただの分身だったのか……


 周囲の冷たい気配が消えた。あいつ、いや、彼の魔法が解かれたのだろうか。


 「――!」


 ミルが腕を抱えて座り込んでいた。私もこの静まり返った迷宮の森の中で、自分の激しい心臓の鼓動をはっきりと感じ、額に浮かんだ冷たい汗が、さっき起こったことが幻覚などではないことを告げていた。


 ましてや、今はもう幻覚を引き起こす濃霧もないのだから。


 「隊長……」


 私はリリールを支えて歩いてきたベートに目をやり、自分のシャツの背中がすでに汗でびっしょり濡れているのを感じた。


 「リリールは大丈夫か?」


 「全力で治療した。もう問題はない。もう少し逃げるのが遅れていたら、俺もリリールも今頃は歩く死体だった。」


 ベートの返事を聞いて、私は安堵の息をついた。それは今日唯一の良い知らせだろう。


 「無事でよかった、無事でよかった……」


 リリールは頭を下げ、ピンク色のふわふわした耳が泥に汚れて垂れており、とても辛そうに唇を噛んでいた。


 私はミルを抱き起こし、彼女の背中を軽く撫でて、緊張で震える体を落ち着かせた。


 「話は後でにしよう。今は安全な場所を見つけて身を隠そう。」


 「うん。」


 周囲の霜に覆われて動けない魔獣や魔物たちはまだ回復しておらず、逃げ出す姿勢のままだ。しかし、それも時間の問題だ。彼らは生命力が強く、回復したら再び襲いかかってくるだろう。


 その前に、私は蓄力の態勢を取っている魔物領主を一瞥した。彼の体に覆われた氷は溶ける気配もなく、あの死体の怪物は骨と肉塊に戻り、死瘤たちはいつの間にか消え去っていた。


 振り返り、私はベートとともに、ミルとリリールを背負い、この区域から急いで離れた。


 この日、そしてこの無力感は、私の記憶に深く刻まれるだろう。



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