公爵に憐みを向けられる凡愚王女
唐突な視点変更。次はまた主人公に戻ります
ギルベルト・フォン・フェアトレードは国王である。
身分差を越えて愛する女性を王妃として迎えた身であるが故に、その政治を訝しむ貴族は国内に多い。
その日も帝国との条約締結に向けて、執務室にて側近と共に最終調整を図っていた最中だった。
「陛下ッ! 火急の報告にございます!」
ノックの音もそこそこに、兵士の一人が執務室に転がり込む。
酷く慌てた様子で報告を捲し立てた。
「第二王女アマリリス殿下が、セシル皇太子殿下との顔合わせを破談にッ!」
ギルベルトの顔が驚愕に染まる。
末の娘はいつも俯いていて内向的な性格。婚約者に据えたセシルも大人しく、まさに『燃えるような恋はなくとも良き夫妻となるだろう』と確信していた。
先方が顔合わせに子ども同士のみを希望したから了承したが、まさかアマリリスによって破談になるとは夢にも思わなかったのだ。
「な、何があった……?」
国王の問いかけに、兵士は俯きながら答える。
それは、日頃の娘から想像もできない振る舞いの連続。
「アマリリス殿下は、セシル皇太子殿下を三十分に渡って詰り、終いには『もういい』と告げて立ち去ったと侍女頭ミレーヌが申しております」
腹心の侍女頭の証言まで添えられては、ギルベルトも事実だと受け入れざるを得なかった。
側近たちも沈黙を守りながらも顔を見合わせる。
アマリリス・フォン・フェアトレード。
長兄と長姉に比べて突出した才能はなく、社交界を牽引できる素質や華やかさがない人物。
父親の王色を受け継がなかったことから、外見は王妃の血筋が強く現れている。
王妃の座を掠め取った卑しい男爵家のみずぼらしい茶髪に雀斑の散った頬。
『凡愚王女』と側近が口の中で単語を転がす。
幸いにも、王の耳に届くことはなかった。
「クソッ! ミレーヌのやつめ、しくじりやがったな!」
ギルベルトは机を拳で叩く。
その様を公爵は呆れた目で国王を眺めた。
子どもの失態、その矛先を子どもや自らに向けるのではなく、他人に向ける浅ましさに辟易としながらも沈黙を選ぶ。
「会議は一時中止とする!」
ギルベルトの号令により側近は執務室を追い出された。
廊下を歩く貴族たちは、顔を突き合わせてひそひそと囁く。
「さすがは凡愚王女、国王陛下とその妻の血を濃く受け継いでいらっしゃる」
「それに比べてフィリップ王太子殿下とローズ王女殿下は、同世代の令嬢や令息よりも頭が良く、采配も素晴らしい。きっと彼らは神が国の未来を憂いて遣わした天使に違いない」
その噂話に加わることなく、公爵はその場を離れる。
(このような環境で歪まなかったお二人が“おかしい”のだ。アマリリス殿下、おいたわしや。その幼い心では、この蠱毒のような王宮での生活に耐えられなかったのでしょう)
冷酷な前国王が父だった公爵にとって、周囲に凡愚王女と罵られる幼いアマリリス王女は過去の自分と瓜二つであった。
認められようと努力し、報われず、空回りする様を嘲笑われる地獄のような日々。
公爵には、親友と呼べるほどに親しい友がいた。味方になる使用人に囲まれ、長い時を経て心を立て直したが、アマリリス王女は違う。
王妃は良くも分かるも良妻であった。
賢母ではなく、あくまでも国王の妻だった。
母親の自覚は薄く、躾と体罰の境界も曖昧で、子どもを愛した気配もない。視線は常に、夫であるギルベルトへ。
また、ギルベルト国王も優れた人物とはいえない。
王妃を中心とした価値基準を振り回し、嫉妬の矛先を常に探し回っている。彼にとって子どもは愛の結晶でも、次世代への希望でもなく、王妃を繋ぎ止める鎖でしかない。
仕える家臣たちも、保身と利益に奔走する者ばかり。
国王の暴虐を諌める事もせず、むしろ甘い汁を啜ろうとすり寄る害虫の巣窟だ。
廊下を歩いていた公爵は、ふと足を止める。
視線の先には、人目を忍ぶようにして移動する渦中の人物。
アマリリス・フォン・フェアトレードの姿。
「お会いしてみるか、かの王女殿下に」
王の弟である身分を使えば、王女に話しかけても問題はないと判断し、王女に声をかけた。
「アマリリス王女殿下、差し支えなければ少しお話をしませんか?」
公爵の想定に反して、アマリリスは焦茶の瞳を丸くして答える。
「……あなたは、父の弟の、エドワード公爵?」
先のセシル皇太子への振る舞いとは真逆の、知性を思わせる言葉遣いに公爵は大いに驚いた。
そして、同時に不思議に思う。
果たして、アマリリス王女は心を壊したのか、あるいは何か狙いがあって乱暴な振る舞いをしたのか。
だからこそ、問いかけた。
「殿下は、今、何を考えているのですか?」
少女は首を傾げた。
「特には何も。強いて言うなら……自由?」
そこにいたのは、公爵の知る王女ではなかった。
ぼんやりと王族として生まれ育てられた子どもではない、何かもっと得体の知れないもの。
それはまるで────
「別人か?」
急いでいると背中を向けた王女に向けて、ポツリと呟いた公爵の一言を拾い上げる者はいなかった。