前世の記憶を思い出した凡愚王女
「ぐわ〜! やっべ! やっべ! さすがに一ヶ月連続で遅刻した上に夏休みの宿題もやってないのは退学案件!」
トーストを口に咥えながら、通学路をひたすら走る。
道を呑気に歩くのは買い物帰りの住民や、送迎終わりの主婦ばかりで学生の姿はない。
親の方針で高校に進学したのはいいが、私に気力というものがないせいで、歴史ある学校で初の退学間近な生徒になっている。
信号で足踏みをし、残りのトーストを喉奥に流し込む。
「一番ヤバい理科の自由研究は捏造したから大丈夫だとして、国語の読書感想文は盗作……数学のノートは答案の丸写し……社会が手付かずだな……休み時間にまた捏造するか……!」
私は忙しい学生なので、これからの行動を綿密にスケジュールする。
やる時はやると親から評判なのだ。
だが、私の立てたばかりの計画は、信号無視のトラックによって狂わされることになった。
という、前世の記憶を思い出した。
私の名前はアマリリス・フォン・フェアトレード。フェアトレード王国の王女であり、今年で五歳の誕生日を迎える。
家庭教師に遊んでいるのを咎められ、罰として歴史の本を暗記する事を命じられた時にふと思った。
(こんな過去の事を学んだところで、優秀な兄様や姉様が王位を継ぐから意味がないのに。小さな紙に書き写して、こっそり覗けばバレないかしら……?)
初めてのズル。初めての悪事。
高鳴る胸と興奮はどこか懐かしく、策を巡らせる感覚に既視感を覚えた次の瞬間、私は前世を思い出していた。
流れ込んできた未来の技術や退廃した倫理観は、王女として育てられた私にとって異物でもあり、同時に強い憧れを抱かせた。
“自由” “反論” “逃亡”
王族としての責任や振る舞いを求められ、満足に応えることもできず、ひたすらに周囲から失望とため息を向けられる。
そんな環境が、たまらなく嫌だった。
『頑張れ』という励ましを受けるたびに頭が痛くなった。
(五歳のガキに、なんてもんを背負わせてるんだか)
前世の価値観と、今の環境。
考えれば考えるほどに、今の私は薄れて、前世の私が顔を覗かせる。
政治って、口の上手い政治家が調子の良い事をほざいて国会を開いて議論して、微妙な政策を打ち出している。貴族や血筋での統治には、いつも冷たい目を向けていた。
「王族ってことは、いつか政略結婚の道具にされるよなあ……。妻は夫に尽くして当然とか教育してるし……」
いわゆる王女教育というやつだろうか。
ドレスの流行や社交界で有名な権力者の顔と名前を覚えることを第一に叩き込まれている。
前世の記憶を思い出す前の私は、それをなんの抵抗もなく受け入れて努力していた。
でも、今の私にはできない。
もう無理だ。逃げよう。
たとえどんな手を使っても。
ひとまず、今後に控えている婚約者の打診をどうにかして諦めさせないといけない。
「へへ……この世界には“魔法”がある。この数秒だけでも、婚約者から嫌われる方法を五つは思いついたぞ」
小難しい理論や事前準備が必要になるが、それでもお伽話にあるような“魔法”を擬似的に再現できる。
数年ほどあれば、浮くこともできそうだ。
今の私からすれば、この退屈な書斎も悪事の準備に必要不可欠な宝の山。
後に会う人々によれば、凡愚と罵られても俯いていたアマリリスが変わり始めたのはこの日からだったという。