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4.1 第一の子、魔女の原点

大森林、奥地、魔女の家———


 朝日を迎え、朝食を済ませたエリナ・ウィッチとゴオ・ダンは魔女の家の前の広場にいた。

 今日も魔術の修行に励むゴオは、昨夜エリナに体験させてもらった浮遊の魔術に挑む。

 広場の中心に立ち、自身の体を浮かせようと試みるがなかなかうまくいかない。その傍らでのエリナの様子はというと人に懐くはずのない獣と戯れていた。

 獣は地面に座るエリナの膝の上でコショコショされている。

『う~、主から嫉妬が伝わる…。でもごめんね、主。これ気持ちいいんだ』

 そんな獣の謝罪などわかるはずもなく、ゴオ・ダンは魔術の発動に注力する。だがやはりうまくいかない。

「……ダメです」

 少年は疑問に思ったが、当たり前かと納得した。

 今までイメージして行った魔術は、エリナの補助があった上に内から外へと発動させる魔術だった。

 今回行おうとしているのは、自身の肉体、内側に働きかける魔術だ。うまくいかないのも無理はない。

「……」

 だが話しかけられた魔女もただ座り込むのみ、戻ってくる言葉はない。獣もすでに撫でられることが無いと理解したのか、すでに去っていた。

「エリナさん?」

「ん?あ、ごめん。どうだった?」

 嫌な予感がして、都度弟子は師を呼ぶ。顔を覗き込み、至近距離で呼びかけたためか今度は彼女に届いた。

 ゴオは反応の遅い師が気になったが、結果を告げる。

「出来ません」

 その回答にエリナは眉を曲げる。

 理由がわからないと言うように首を傾げる様に、思わず過剰評価だろうと考えるが今は関係なかったので言わなかった。

「なんでだろ?君なら大抵のことは出来ると思うんだけどな…」

(大抵は出来る…か)

 生きている頃の僕からしたら考えられない。今まで人並以下だった僕、そんな自分が今こうして簡単に魔術を使えている。

 おかしいなだって僕がここに来る前は……

「?」

 少し頭にノイズが走る。記憶を思い出した影響か、まるで誰かの夢を見ているような…。

 自分は生まれ変わったのだ。生前のことだから夢みたいに思うことは不思議ではないだろうと結論付ける。

(これもあの神が?あれが僕の中で何か作用している?)

 鈍くさい自分がこうして恙なく魔術を習得できるのは神が与えた影響だろう、そう結論付けた。

 初めに見たあの黒いヘドロと、魔術の飲み込みの速さに繋がりはないように思えるがそれ以外に原因が考えられない。

 もしかしたら自分に魔術の才能があったのかもしれない。そうだと良いな。

 都合の良い妄想をするが、それは一番可能性が低そうだ。卑屈に笑ってしまうくらいに。

 答えは文字通り神のみぞ知ること。今の自分にはわからない。そんなところでエリナから驚きの事実が明かされた。

「ゴオは魔力がないけど創り出す?ことは出来るのよね。だから体を浮かび上がらせる事象でも創ったら出来ると思ったんだけど」

 あまりにも不可解なことを言う者だから聞き違いかとも思ったが、確かに彼女はそう言った。

「僕って魔力ないんですか?」

 今まで魔術を使えたのであるものだと考えていたが、僕に魔力はなかったらしい。

 もうわかり切っていたが、聞き違いであることを望み結論の変わらない答えに挑む。

「ないよ」

 そんな切実な願いなど知ったことかと言うように、師匠と現実は襲い掛かる。

 少しショックを受けているゴオを気にすることなくエリナは事実を告げる。

「君の魔力源が発現前なのか発現後なのかはわからない。けど今ある事実として君は魔術を使えている。何もない場所からぽっと出すように」

「ちょっと待ってください!」

 正直、自身に現在は魔力がないと言う事はどうでもよくなっていた。今彼女から微かな希望を示されたからだ。

 使えるのだからどうでも良いではないかと思われるだろうが、他の人にはあって自分にはないなど悔しいではないか。

「発現前?発現後?と言うことはこれから僕に魔力が発生するかもしれないんですか?」

「え?う、うん。見てないからまだ可能性があるかもしれないから・・・よし、ここで都市の事を教えましょう!」

 弟子の感情の早変わりに驚きながらも、どこか喜んだ様子のエリナは悠長に話し始める。

「えっとね。ここから北には鉱山都市って言う都市があるの。その名の通り鉱山を利用した事業が盛んでね。そこには魔術師学校があるの。魔術師になるには登竜門があってね。それがさっき言った魔力の発現だね。当時は十五になる前に魔力が発現しなかったら魔術師になれなかったんだけど、今は分からない。もしかしたら今では十五を過ぎても魔力の発言によって魔術師になってる人もいるかもしれない。でもほらお姉さんの頃は都市同士が戦争してたから…都市も早く戦力が欲しかったんだよ。あ、都市の話もしないといけないね。さっき言った鉱山都市は西に位置する都市、北には兵士一人一人の武力が恐ろしく高い武装都市、南には大地が豊かな豊穣都市、豊穣都市は鉱山都市と同盟関係だったからね。何回か行ったことがあるの。ご飯がとってもおいしかったなぁ~。……そして鉱山都市の対面、東に位置する芸術都市がある。……まあ、あの都市の話はいいや。私の話をしよう、私の!こう見えてお姉さん凄いんだぞ。魔術師学校では名前が知らない人がいないほどの秀才で、魔術の研究員が集う学会を揺るがすほどの成果を上げたんだから。実はね、私あの〝八傑〟の転生者じゃないかって噂されたことがあるんだよ。何?〝八傑〟を知らない?では教えましょう!〝八傑〟っていうのはね。大神の威光を掲げ、代行を使命とする教会、その信徒達を導く大神の使徒達、超常を有する者達のことだよ。まあ超常っていっても、あんなのただ肉体強化と魔力強化の施された人間なんだけどね。でも皆も見る目無いよね。私のはあんな突然現れたぽっと出の力じゃなくて努力の賜物だっつうの!それにあいつら実際の所は対したことないよ。所詮、上があの程度なんだから、下の奴の力量も底が知れるけどね、本物かはわからないけど。つまり何が言いたいのかと言うと私はすごい人なのです!褒めて褒めて褒めて!」

「そ、そうですか」

 ゴオは都市の話までは付いていけたが、それ以降はあまりの情報量の多さにたじろぐ。

 なんとか理解しようとしたが、もう一度自分の口から説明しろと言われたら無理だ。頭の片隅に収める程度しか出来なかった。

 え?何?それよりも自分の魔力の発現を気にしろ?何言ってんだ?エリナさんの話だぞ?聞き逃すはずがないだろ。

 自身の師の話を何とか噛み砕き、記憶に落とし込んでいく。少しの間で整理した後に口を開く。

「……わかりました。でもいつ僕に魔力がないってわかったんですか?」

 魔力がないが魔術を使えているのはおそらく神が与えたものが影響しているのだろう。だが自分に魔力がないことを彼女はいつどこで知ったのだろう。知っていたなら魔術など教えずに君には才能がないと突き放すはずだろう。

「一昨日のお風呂場でだよ」

「ああ……」

 この話はやめよう、恥ずかしいことを思い出した。

 ここで顔に出してはいけない。ポーカーフェイスだ。ここで動揺すれば彼女からの追撃が来るだろう。出来るだけ自然に毅然とする。だが恐れていた精神攻撃は来なかった。

彼女は立ち上がったかと思うと、家の方に向かった。

「途中だけど、私はちょっと休ませてもらうね。何かあったらすぐに呼んで」

 正直彼女とは出来るだけ一緒にいたいが、我儘は言えない。昨夜みたいに突然倒れられたら心配だ。彼女には安静にしてもらおう。

 エリナはそのまま家の中へと消えた。彼女を見送り、ゴオは魔術の習得に励む。

 ヒントは得た。悪い知らせもあったが、それを頼りに自身の可能性を探る。

〝創り出す〟。その言葉を頭の中で回す。物を浮かせることを創り出す。言葉にしてみると訳が分からない。実体のないものをどう創り出したものか。

 初めに風を創って自分の体を浮かせようと考えたが、風に当たるたびに体にかかる負担が大きそうなので却下した。

 ゴオが悩んでいるとすぐそばに一匹の獣が近寄る。

「おわ!ビックリした。お前か」

 近寄った獣を撫でる。しゃがんで撫でながらどうしたものかと考える。

 この動物と触れ合う中で、なぜ同種であるはずなのにこんなにも凶暴性が違うのか考えたが、理由は分からない。

 無言で傍らのこいつを撫でながら見つめる。創り出すことが出来ると師であるエリナは言った。ならば。

 あるイメージを頭の中で創り出す。

 これを創り出すのは慣れたものだ。三日目に散々練習した。

 華奢であるが、四肢は力強く、俊敏性に長けたものを。

 そして、空を駆けるものを。

「ぐっ!ああっ!」

 体の奥が揺れた。比喩ではなく本当に。衣服の上からでもわかるぐらいに体が隆起している。体は波打ち、その勢いは時間を立つごとにさらに増す。

 イメージするものが傍らの獣をベースにしなければこのようなことは起こらなかった。

 これは獣王、四大聖獣が有する、分離による増殖。その能力の通りに獣王の分身が湧く。

「はー…はー…」

 体の波打ちが収まり不快感も消えた。視界の端で体から何かが飛び出たような気がした。

 何かが自分の目の前にいる。

 そこにはゴオの身の丈はあろう程の巨大な獣が立っていた。傍らにいる獣とは明らかに大きさが違う。今の出来事を加味すると、これは自分が創り出したものだろう。

 目の前の巨大な獣は無言で足を曲げ、その背中を差し出す。

 おそらく創り出された時点で、自身の役目を理解しているのだろう。

 創り出した通りの性能なら……。

 その後の光景に足がすくんだが覚悟を決めて獣の背に乗る。騎乗は初めて、うまくできる自信はないが僕のいうことを聞いてくれ———。

「ぐえっ!」

 騎乗者は獣の背から振り下ろされた。空中に駆けて行った獣はいつの間にか背中に自分の主がいなくなっていたので混乱する。

 振り落としたと気づいた獣はすぐにゴオの元に戻る。傍らにいた一回り小さい獣が巨大な獣に吠える。

『おい!主を落とすんじゃない!もっと丁重に扱え!』

『は?旧型のくせに何言ってんだ?劣等種』

『……あん?』

 そんな獣同士のいざこざなどつゆ知らず、ゴオは立ち上がり改善点を考える。

「もっと重心を把握しなきゃ…か」

 巨大な獣は再び背中を差し出し、主の到着を待つ。ゴオは今度こそ振り落とされないように股下の獣の体に触れる。

 さすがに毛を掴むのは痛そうなので、獣の体を股と腕で挟む。

『いいか?今度は振り落とすんじゃないぞ!』

『わかってる!見てろ!』

 巨大な獣は上体を持ち上げ、地面を踏みしめる。その様子から発射に身構える。

「あ、待って。鞍なんかもあれば、手綱も———ぐふっ!」

 主の制止の言葉が聞こえる前に発振していた。ゴオはまた振り落とされた。

 先程と同じ光景に、地上の獣はまたも怒り、上空の獣は混乱する。

(まさかここにきて魔術じゃなくて騎乗の修練になるとは…)



                  ◇ ◇ ◇



大森林、奥地、魔女の家、夢の中———

 

 魔女は目の前で、自身の工房(自室)で研究に没頭する見習い魔術師を見る。

 見習い魔術師は何かを発明したのか喜びを露わにする。一体この時には何を作ったのだろう。もうそれは思い出せない。

 どうせ今では簡単に出来てしまうことだ。だが、思い出す必要はない。それよりも残すべき記憶のために捨てたのだから。

 視界に映る見習い魔術師は若かりしときのエリナ・ウィッチ。

 これは一人の魔女の出発点、彼女が完全を手にする前の、昔のお話。



                  ◇ ◇ ◇



——年前、鉱山都市、魔術師学校——————

 

「オーグ、オーグ!いる⁉」

 彼の自室の扉を力強く開く。部屋へ強行突破してきたのは学校随一の知識を誇る秀才エリナ・ウィッチであった。目的の人物、同じく魔術師学校に通う友人オーグに自身の研究成果を伝えるために、彼女はここを訪れたのだが、部屋には誰もいない。

 活発な自身に対し、どこか冷めたような部屋の空気がエリナを冷静にさせる。

「いないの?」

 扉の前に居続けることが気恥ずかしくなり、足を進めた。

 許可なく部屋に入るが誰もいない。あるのはベッドと研究用の作業台とその道具たちだけだ。

「待つか…」

 待ち人が来るまで部屋で待機することにした。

 立っているのも疲れるので仕方がない、ベッドに腰かけよう。

 バフッ、スンスン。

 座るのも疲れるので仕方がない、ベッドに寝転ぼう。枕や毛布を嗅ぐのも仕方がない。

 何よりにおいが勝手に入ってくるのだ。だから私は悪くない。不法侵入しているのにおいの方だ。

 そんな秀才にあるまじき滅茶苦茶な思考回路で言い訳をする。いや、むしろ秀才であるからこのような屁理屈が出てくるのか。

 堪能…じゃない。待っていると視界の端に彼のクローゼットが見えた。

 少し前に彼の服で…いや、やめよう。終わった後、虚しさと罪悪感で潰れそうだった。

 独りごちることなく、自分以外のいない無人の空間で主の帰還を待つ。

 待ってみるが、帰ってくる気配がまるでない。

 研究ではあんなに短かった時間がこんなにも引き延ばされるのだから不思議なものだ。

「一体、どこ行ってるのよ…」

 あまりにも遅いものだからいい加減愚痴の一つも零したくなるというものだ。

 日没間際だったのだろう。差し込む夕日の光が弱くなっていく。

 意識がそれに付随して沈みそうになる。窓から漏れ聞こえる声がなんとも眠気を誘う。

 いい加減ここで眠ってしまうぞ、と誰に向けたわけでもなく警告すると、扉は開いた。

 だがそれは待ち人ではなかった。

 扉が開いたため慌てて態勢を直し、座った状態へ。扉が開き切る前に姿勢を正すことが出来た。

「オーグ、遅いじゃない!どこ行って…寮長さん?」

 文句を言おうとしたが、そこに現れたのは目的の人物ではなかった。

 扉から出てきたのは魔術師学校に通い修道生たちの世話を仕事とする寮長だった。

「あら?エリナちゃん。もしかしてオーグ君に用事?伝えることがあるなら今から彼のところに行くけど、どうする?」

「いえ自分で伝えるので、あいつの居場所を教えてくれませんか?」

「ああ、じゃあちょっと荷物を持っていくの手伝ってくれない?着替えとか、引き出しにある本も持ってきてほしいって言ってたわね」

 寮長はおもむろに部屋の主のクローゼットに向かい、肩に下げていた鞄に衣類を丁寧に畳んで入れていく。

 頼まれた本を入れる時には手を止めこちらに向き直り「何が良いかな?」と聞いてきた。どうやら本の指定はなかったようなのでこちらに意見を求めてきたようだ。

「荷物?…オーグに何かあったんですか?」

 目の前の寮長の話から彼に良くないことが起きたのかと想像する。急病なら仕方がないが、もしも事前に予測できた持病なら友人である自分に一声かけてほしかった。

 その反応を最初は訝しんだ寮長だったが、それはすぐに元の表情に戻る。

「ああ、そうか。オーグ君、心配したんだね。うーん?でもどうしよう?いつまでも隠せることでもないわねぇ…」

 だが寮長の言葉を聞いて、エリナはただの病気ならどんなに良かったことかと思う。

「オーグ君は———」



                  ◇ ◇ ◇



魔女の夢の中、——年前、王都付近の療養所——————


 日も傾き、彼方のみが赤く染まる空の下、暗闇が王都付近の療養所を呑みはじめていた時に、彼女はその建物の前にいた。

 時間も時間であり、出入り口を通る人間は皆外に向かっている。面会時間も終わりが近かったのだろう。彼女は外に向かう人々を掻き分けて、反対方向に進む。

 早く彼の下に行きたい。頼まれて何だが、肩に下げた物が何とも鬱陶しい。

 受付から残り時間が少ないことを警告され、足早に彼の病室に向かう。

 途中すれ違った看護婦に怪訝な表情をされた。

 館内時間が原因だったのか、それとも歩く速度が原因だったのかはわからない。

 こちらとしては本当なら走って向かいたいところだが、それによって病人と衝突してしまった場合の二次被害とそれに有する時間が惜しく、仕方なく早歩きで妥協しているのだ。

 そうして彼の病室の前に付き、後は扉を開けるだけ。

 その時、得も言われぬ苛立ちが芽生えた。

 それは病魔に対してか、こんなになるまで自分に隠していたあのバカに対してか。

 エリナはその怒りを乗せ、室内にいるだろう人物に言葉をぶつける。

 そんなにも頼りないか?なめられたものだ。

「オーグ!」

 扉に突撃し、勢いよく開く。今度こそ目的の人物はそこにいた。

 突然の訪問に驚いた彼はベッドの上で横たわっていた。

「エリナ⁉なんでここに⁉」

 その反応にとうとう沸点が飛び越えた。

 そんなに私を遠ざけたいか?そんなに私を必要としないか?ふざけるな。

「なんでじゃない!ひどいじゃない!黙ってようとしたなんて!」

 ここは都市の中心付近、王都横の療養所。今彼はそこにいた。

 オーグは目の前で激怒するエリナを落ち着かせようとするが、それがまた彼女の逆鱗に触れる。

「大丈夫だよ、少し体調を崩しただけさ。よくなるし、すぐに戻るよ」

 オーグはエリナを安心させようとしたのだろうが、それは間違いだった。なぜならエリナは全て知っている。寮長に事情は聞きこみ済みだ。

 彼の発した言い訳にエリナはもう自分でもわからないところまで感情がぐちゃぐちゃになった。これはあれだろうか。怒りすぎて逆に冷静になってしまったのだろうか?

 もしも彼が健全なら今頃その頬を引っぱたいている所だろう。

「……嘘つかないで、全部寮長さんに聞いてるから」

「ああ、なんで言っちゃうかな。寮長さん…」

 エリナは寮長に対して悪態をつくオーグの腕を見る。正確には袖から少し顔をのぞかせるように出てきている黒い痣を。

 オーグは黙り込んだエリナの様子を見て、しまったと頭を掻く。

 長い付き合いだ。これは本気で怒っている時の彼女だ、と隠したことを後悔する。

 この黒い痣の正体は〝災いの毒〟。発生原因もわからない。感染による外的要因なのか、発症者本人がもつ内的要因なのかもわからない。ただわかるのは、これは体を徐々に蝕み、発症者を死に至らしめることと解毒方がいまだ見つかっていないことだ。

 その痣を見て、本当にオーグが〝災いの毒〟に蝕まれていること認識する。

 療養所に来るまで夢想した、質の悪い冗談だという仮定は粉々に砕け散った。

 それを目の当たりにしただろうか、エリナに計り知れない恐怖がのしかかる。

「オーグ、死んじゃうの?」

 「死なないと」言ってくれ。エリナの言葉の裏にはその願いがひしひしと感じられた。

 その願いがオーグに届いたのか、彼は複雑な表情をしながらも事実を告げる。

「このままだとね」

 返答に場が静まり返る。

 それもそうだ。

 喩え彼、彼女が赤の他人だとしても、こうして顔を合わせている人間が「自分はこれから死ぬ」と言えば、どう反応していいのかわからない。

 聞いた人間がすることと言えば、如何にして死が迫る人間を悲しませないかと言う事だけだ。

「・・・・・や」

 オーグはその擦れた声に謝罪した。

 彼女とて言葉を発することは躊躇われただろう。

 それでも発した言葉には相当な気が使われているはずだ。

 オーグは彼女の気遣いに申し訳なくなってしまった。

「嫌!」

 オーグは駄々に驚きを隠せなかった。

 事実彼の心配は杞憂だったのだ。

 室内に見習い魔術師の声が響く。彼女は今とても腹を立てている。彼の体に巣くう毒にではなく、彼の運命にでもない。死ぬと分かって悟ったように諦めている目の前の人間にだ。

 この部屋で彼を見た時、彼の表情には悲しみも、怒りも、苦しみもなかった。あるのは、ああ自分はここまでなんだな、という諦念だけ。

「私もっとオーグとやりたいことたくさんある!一緒に研究だってしたい!遊びにだって行きたい!あなたともっとたくさんのものを見たい!あなたをもっと知りたいし、できるなら私をもっと知ってほしい!お付き合いだってしたい!」

 エリナは自身の口を一瞬つぐんだ。

 自分で発した言葉にもかかわらず、頬を赤くすることのなんと恥ずかしい事か。

 だが、ここで止まるわけにはいかない。どうにかしてこのわからず屋に喝を入れなければ。

「……そう、好き!私はあなたが好き!大好き!」

 エリナはそれがとても腹立たしくて、納得ができなくて彼女は声を荒げ続ける。

 ここまで来ればもうやけだ。

「独りぼっちだった私に寄り添ってくれたあなたが好き!魔術を研究するあなたが好き!いつも横で笑ってくれたあなたが好き!どんな難解な魔術にだって、何度だって諦めずに立ち向かったあなたが一番大好き!……なのに…なんでッ!」

 エリナの告白にオーグは笑みを浮かべる。自分はなぜ突然こんなことを言ってしまったのか。

(ああ、もう。何言ってるんだ、私。もっとシチュエーションというものがあったろうに)

もしかしたら私はオーグに人生に執着してほしかったのだと思う。少しでも未練となるものが出来れば、彼も生きようとしてくれる。それが自分であれば良いなと思った。

 そんな淡い希望を吐いたが、彼の表情は笑みを浮かべたまま変わらない。

 その顔を見たエリナの心情は、絶望と怒りでもうどうにかなってしまいそうだった。

(だから!そういうところが!)

 意中の相手のあまりの頑なさに思わずまくし立てようとしたが、彼の声がそれを止める。

「ありがとう、君の気持ちはとてもうれしい」

(その澄ました顔が!)

「僕は———」

 オーグが言葉を発し終わることはなかった。エリナが言葉を拒んだからだ。

 エリナの顔がオーグの顔から離れる。

 未来の彼女からすればとても歯がゆい。根性なしと自分を貶すだろう。

 ここが明確な魔女エリナの分岐点。もしもここで彼女が彼の言葉を最後まで聞いていれば、何もかもハッピーエンドだったというのに。

 この選択を以って、魔女が星を救うことはなくなった。

「諦めない……」

「エリナ?」

「絶対に諦めない!あなたは私が必ず治す!あなたは死なない、生きて私と…その…付き合って!いい⁉そういうことだから!じゃあね!」

 見習い魔術師のエリナは暴風のように吐き捨て、その場を去った。場は嵐が去った後のように静けさが包む。

オーグは彼女に伝えるべきことを吐き捨てることが出来ず、虚しく空に呟いた。

「エリナ、僕はね…とても、怖いんだ」



                  ◇ ◇ ◇



——年前、魔術師学校——————


「これもダメか…」

 魔術師は自身の工房でため息をつく。

 目の前には人の頭蓋はあろう水晶瓶が、その内部には鎖状の白い物体がある。物体は瓶の内部を浮遊し、漂うばかり。瓶の外部表面には魔術式が浮かび上がり流動していた。

 魔術師エリナ・ウィッチは重力という物理法則に左右されないその白い物体と対峙していた。

 この白い物体は未知の生物でもなければ、無機物でもない。これは生き物であれば必ず持つもの、つまり〝魂〟である。


 時は数か月前に遡る。

 彼女は取り掛かりとして、自身の恩師の定説を頼った。

 彼女の恩師である人物は魔術学会で生物には物質的に魂が存在し、魂の状態は肉体の状態を左右するのではという説を提唱していた。

 だが他の研究者達はその説を否定した。それは説ですらない妄言だと。

 当然だ。だって見えないものの話をしているのだから。観測できなければ研究のしようがない。学会はありもしないものを追いかけるより、目の前に存在する研究材料について論議した方がよほど有意義だと吐き、恩師に見つけれるものなら見つけてみろと切り捨てた。

 魔術師エリナは恩師の説である魂の状態が肉体の状態を左右するという点に目を付けた。

 魂が物質的に存在するという事を前提とするならば、もし魂を最善の状態にすれば肉体もそれに連動して最善の状態になるのではと。

 この説が正しくあるならば彼を、オーグを救うカギになるかもしれないと考えた。

 しかしその前提条件が恐ろしく難解だ。

 初めは自身に恩師ながらなんて馬鹿げたことをと考えた。あの人はなぜあんなにもこれに固執したのか。

 しかしそれ以外に有効そうな手段は見つからず、藁にも縋る思いで探した。

 エリナは森林付近に拠点を構えた。素材が獲得しやすいからだ。

 〝魂〟を探す過程で相当数の西の獣を死滅させたが、彼らは親から分離し続けるので問題はないだろう。

 倫理観?生命への冒涜?知ったことか。彼の命と比べれば。

 エリナは様々な条件下で捜索に当たった。

 透過物?ならば色彩を与えよう。

 捕えられぬほど極小?ならば拡大すればよい。

 理を統べる視座の違い?ならば概念空間を創り出そう。

 そうした手段を繰り返し、債を投げかけたが、諦めるわけにはいかない。彼女は獣の殺害を繰り返した。

 もう諦めかけた時に、何かを見つけた。

 それを見つけた時は〝魂〟だという根拠もないのに肩の力が抜けたものだ。

 当時の彼女は度重なる失敗に疑うということを忘れていた。

 我に返りそれに気づいたが、正誤の証明など一体誰がわかる。

 誰もやっていないことなのだ。手探りで探すしかない。

 だが、それを捕えることは出来なかった。どんな手段を使おうと固定することは叶わなかったのだ。如何なる手段を尽くそうと、すり抜けて空に帰った。

 だが大きな前進だ。観測できないものを観測できるようにしたのだから。

 もしもこれを〝魂〟と証明できたならば、学会に提出すれば震撼させること間違いなしだが、それにより生じるタスクに囚われることを恐れた。なぜなら私には別の目的があったからだ。

 そこから研究を重ねたが、やはりその仮称〝魂〟を捕えることは叶わなかった。

 見つけたはいいがこれをどう操作したものかと考える。

 地水火風すべての属性を用いて操作しようとしたができなかった。応用も利かせてみたがどれも効果はなく〝魂〟は黒く変色した。その上、瓶内の時間を加速させても〝魂〟は黒く変色してしまった。黒く変色したそれは、そこから漂うことなく、それが動くことはもう無かった。一切の活動を見せないことからこれを死と仮定した。

 机に突っ伏して頭を抱える。いくらなんでもこの研究は無謀過ぎただろうか。

 進んではいることは確かだが、果して完成までに思い人の命が保ってくれるのか。

「オ~~グゥ」

 銀製のペンを机にコツコツと小刻みに叩きながら思い人の名を呼ぶ。

 頭の頂点部分が恋しい。まさかあの嫌がらせがこんなに欲しくなる時が来るなんて。

 代わりに持っていた銀製のペンで頭頂部をこねくり回す。

 学会でもそれなりに敷居の高いものが有することが出来る銀製の筆具。

 学会の老害どもはバカではないか?こんなもので地位を示すのではなく知識で示せ、知識で。

 まあ通常のペンでは研究のストレスで握りつぶしてしまうため丁度良かったのだが。

 だが頭から感じられるのはなんの温かみもない固形物の感触だけ。こすっても、こすっても思い人の感触はない。

「あ~~~」

 椅子の背もたれの状態を預ける。長い間座っていたのだ、面白いぐらい骨を鳴らせる。

 息を吐く、少しの間天井を眺めた。あたりに響くのは時計の針が刻む音だけ。

 チクタク、チクタク、カチコチ、カチコチ・・・。

 もう彼に救うと誓ってから三年が経とうとしている。

 早い、早すぎる。歳月がこんなにも早く感じられたのは初めてだ。これではあまりにも時間が無さすぎる。

 もしかしたら、彼はもう‥‥。

 天井を見上げ大きく息を吸い、吐いた。上体を再び机と対面される。

(いや、オーグは生きてる!生きてるはずだ!オーグが死ぬ前に、早く完成させないとっ!)

 思い人の生存を信じて、研究を再開する。その時‥‥。

 瓶内部の魂が確かに動いた。今までの漂うような移動ではない。明確に何かに引き寄せられて動いたような挙動が。

 その変化に跳ね起きる。見間違いではない。

 もう一度確かめるために寸分違わず同じ挙動、動作を繰り返す。

 初めは瓶内部の物体は動きを見せたがやがて止まり、それ以降いくら同じ動作を繰り返そうと動くことはなかった。

「え~⁉なんで⁉」

 せっかく糸口が掴めたと思ったのに、これではスタート地点に逆戻りだ。

 必死に何か自分が再現していない動作ないかと思い出す。

「まさか……」

 試しに手に持つ銀製のペンを頭頂部に当てる。銀製のペンをさっきよりも長めに頭でこすってみる。

 そのペンを持って先程と同じ動作を繰り返す。

「……動いた」

 瓶内部の物体はペンに従い、動き出したのだ。だが、なぜ?・・・・。

 その銀製のペンを不思議に思い触れてみる。

 パチッ!

「痛ッ!」

 ペンと自分の手の間に生じた痛みで思わず手を引く。

(これは、なに?)

 自分が先ほど感じた未確認の現象に困惑する。

 あのパチリとした感覚は一体…。

 新たに生じた可能性に賭けて行動に移す。イメージは出来た、後は実戦で試すのみ。

 瓶に両手を向けて、先程の現象をイメージする。

 ピクリと確かに“魂”は動いた。だが、その直後黒く変色した。

 強すぎたか?

 今度は瓶内部の物体を傷つけないように先程より微弱なものを出力する。

 より弱く、より精密に。

 額に脂汗が浮かぶ、感覚を研ぎ澄ませて操作を試みる。

 体と精神の疲弊など、目的達成の可能性に吹き飛んでいた。

 すると“魂”はするりと動き出した。

 あまりの達成感に両手を天にあげた。バランスを崩して椅子ごと後方に倒れたが、そんなこと些末なことだ。

「やったぁ!やったっ!」


 そうして今に至る。

 現在エリナが行っているのは、これをどのようにして不朽のものにするかだ。

 操作できるようにしたのは概念瓶の内部に閉じ込めるためだが、これを遅く、または止めるためでもあった。〝魂〟の活動を極端まで減らせれば摩耗と消費を抑えて、より寿命を延ばせると考えたからだ。

 だが、ふと我に返った。

 初めはオーグの毒による死亡を先延ばしにするために考えた研究だったが、これが果たしてあの不治の病に通用するのかどうか・・・。

 いっそ〝魂〟をまた新しく、最善の状態にすることが出来れば良いのだが、もうすでにオーグの魂は傷ついてしまっている。これでは死を先延ばしにすることしか出来ず、彼の苦しみは取り除けない。

(一体どうすれば…)

 カチコチ、カチコチ。

 静寂な室内で唯一発生している音、それに視線を向けた。

 そこには壁に設置されている古時計があった。

 時計など久しぶりに見た、時間を気にする余裕などなかったからだ。

 秒針は時を刻み、チクタク、チクタクと進む。頂点に到着したかと思うと、また進み終わりに向かう。そうして終わりに向かって始まりになる。

 秒針は時計自身が朽ちるまで永遠にそれを続ける。

 魔術師エリナの頭の中にそれは浮かんだ。

 そしてそれを実行に移す。



                  ◇ ◇ ◇



数日後———


「ああ、そうか」

 魔女はその原理に気づいた。あらゆるものがいつかは朽ちるものだ、不滅なものなど一つもない。ならばすべてが死に向かうというなら、その流れに逆らわず逆に…。

「回せばよかったのか…」

 彼女の目の前には仮称“魂”を保管した概念瓶が、それは初めと変わらない。違うのは。

 瓶内部にあるモノの形状。

〝魂〟はその始点と終点を結び回転するのみ。

 その後、どんなに時間を加速させようと黒く変色することはなかった。

「実証しなければ…」

 魔術師は床に手をかざすと、床板はひとりでに開く。本当は校則で禁止されている別室の製造、だが仕方がない別室を作らなければもっと違反するものが露見する。

 そこには周囲の空間を固定されて身動きが取れなくなった一匹の獣がいた。

 獣にはまだ息があり、生きていた。

 魔術師は歩み寄り、獣の頭部に手をかざす。

 魔女は今しがた実証した魔術式を使用し、獣の体内に存在する魂の始点と終点を繋ぐ。

 獣は自身が何をされているのか理解できず息を荒げるのみ。

「よし…そして」

 ここからが本番だ。恩師の仮説が正しければ、ここでこの生命を殺しても魂が不朽である。魂が最善の状態であるためそれに呼応して肉体は最善の状態に生き返るはずだ。 

 そして魔術師は魂が不朽となった獣の首を切り落とした。

 首が転がる。鮮血が床を覆う。広がる血溜まりはまるで祭壇のようだった。

 その時を待つ。首がひとりでに浮き上がり断面に向かうのか、新たに新しい頭部が現れるのかはわからない。

 ただ肉体が再生するという一点のみを求める。

 しかし待てども、変化は起こらなかった。目の前には生き返る動物の姿はなく、ただ死骸が空中に固定されているのみ。

 魔術師は実証の失敗にため息を吐く。その肉体は実証の失敗のショックからか、壁にもたれ掛かりズルズルと落下していった。

「あ~~……」

 まるで今吐き出したうめき声と一緒に抜け出したかのように、体に力が入らない。

 おそらく自分の魔術式が間違っていたのだろう。自分が発見し、研究に取り組んでいたあの物体は魂などではなかったのだ。

 でなければおかしい。もしあれが魂なのだとしたら、なぜ先の魔物は生き返らない。

 魂が永遠になったのだ、ならばそれに付随して肉体も……。

 魔術師に疑問が浮かぶ。理性ではそんなはずはないという疑問が。

 しかし彼女には意地があった。ここまで掛けた研究がどうしてそう簡単に諦めることが出来ようか。

 魔術師はダメ元で浮かんだことを実行する。だって後は簡単だ。要するに同じことをすれば良いだけなのだから。



                  ◇ ◇ ◇



——年前、王都付近の療養所——————


「はあっ!はあっ!」

 一人の魔術師が療養所の廊下を駆けていた。彼女、エリナ・ウィッチは意中の相手の元へと駆ける。ろくに寝ていない身体の体調はすこぶる悪い、だが彼女は足を止めない。

 すでに療養所は終業時間を過ぎている。しかしエリナは扉をこじ開けた。

 月明かりだけが差す廊下を駆けながら、目的地の扉が目に入る。

 彼の部屋はもう目の前だ。

(どうかっ!どうか、生きてて!)

 躊躇うことなく部屋に入る。部屋の光景を見て、魔術師は息をのむ。

 思い人のオーグは生きていた。それは喜ばしいことだ。だがその喜びを掻き消すほどに彼の体は毒に蝕まれていた。

「オーグッ!」

 慌てて彼の元へと駆け寄る。三年前に見た時は袖から顔を覗かせる程度だった毒は、今では全身に広がっている。

「……ああ、エリナか」

 瞳だけをパチリと開き、静かに答えた。

 声も擦れてかろうじて聞き取れるものだった。

 最期に会った時はこちらの存在に反応を示したが、今では衰弱しきっている。

 目の前の彼は今にも消えてしまいそうだった。

「最期に…死ぬ前に君に会えて良かったよ」

 喋るのも辛いだろうに彼は言葉を発する。

 療養生活を送った彼の体は痩せ、頬はこけている。

 黒く染まったその身体は、エリナが研究で目にした魂の死を想起させる。

 だがそれは逆にそれらが同種のものであるという確信にもつながった。

 これならば夜闇に沈んでしまいそうな彼を救い出すことが出来る。

「最期なんて言わないでよ」

 その言葉はどこか喜びを孕んでいた。

 なぜなら彼女はもうじき自身の願いを叶えるのだから。

 積年の想いではない、永劫の経過した悲願でもない。たった数年の夢だ。だがその夢の強さはそれらに引けを取らない。

「ダメじゃないか、女の子がそんなに髪を乱して。本当なら僕がすいてあげたいけど…」

 改めて対面したが彼の表情は三年前と変わっていなかった。どこか悟ったような双眸は魔術師エリナを捕える。そしてその双眸は決して彼女から離れることはなかった。

 まるで今目の前に映る光景を残そうとするように。

 その表情にエリナは納得がいかなかったが、もうそんな顔をする必要はない。

 だって間に合ったのだ。彼の手を握り安心させるように呟く。

「でももう大丈夫だよ。オーグ、あなたは助かる」

「……どういうこと?」

 友人の言葉の意味が解らず困惑するオーグ、そんな彼に説明するため彼女は自慢げに自身が作り出した産物を披露する。

 エリナはこれを聞けば、彼が喜ぶと決めつけていた。

 だから気づかなかったのだ。思い人の表情の変化に。

「聞いて驚きなさい!なんと私!“不老不死”を完成させたの!」

 エリナの言葉を聞いたオーグは絶句する。

 しかしその反応はエリナの想定内だ。当たり前である、誰だってこんな夢物語のような話を信じるわけがない。

 彼も事実を飲み込むのに時間を有するだろう。エリナは返ってくる歓喜を待ちわびる。

 そうして数刻、彼女の話を理解するのに時間を要したオーグはやがて口を開く。

 彼は目線だけではなく顔も彼女の方に向ける。

「ちょっと……待ってくれ。まさか…」

「ええ、理解できないのもわかるわ!でもそのまさかよ!私は三年前のあの時から研究を始めて遂に完成させたの!」

 彼女は子供のように目を輝かせて思い人にその効能を話す。

 エリナはこの宝物を早く彼に教えたくてしょうがないのだ。

「あのね、“不老不死”といっても一つのものじゃなかったの!“不老”と“不死”は別物で、正確に言うと肉体の“不老”と魂の“不死”ね!魂を“不死”にしても実験動物の肉体が再生しなかったことから気づいたわ!だから魂を“不死”にした時と同じ原理で肉体を“不老”にしたの!えっとね、何をしたかって言うと肉体の細胞の始点と終点を繋いで常に即時再生するような仕組みを……言葉で伝えるのは難しいわね。でも、大丈夫!これから時間はたくさんあるから!」

「————————————」

 オーグはエリナの話を理解できない、いや理解したくないと言うように言葉を失っていた。だがそんなオーグの様子をエリナは驚いているだけだと勘違いし、更に追い打ちをかける。

 その言葉にオーグは完全に壊れた。

「それになんと!私は自分の体を“不老”にしたわ!もうずっと私は綺麗なままよ!“不死”は…どうせならあなたと一緒に“不老不死”になりたかったからまだだけど」

「ッ!!」

 思い人がいきなり自身の胸を押さえて、泣き出した。彼はそこから謝罪を口にする。

「どうしたの⁉オーグ、どこか痛いの⁉」

「ごめんッ!…ごめんッ!僕は…君をッ!」

 彼の涙と嗚咽は止まらず溢れ続ける。自分が止められなかった、自分がしでかしたことに、そして自分がちゃんと伝えられなかった罪悪感からそれは止まらない。

「君をッ!ひとりぼっちにッ!」

 夜の療養所にオーグの声が響く。それはとても悲しく、とても苦しんだ棘のような泣き声だった。

『うっ……ぐっ…』

 その夢の光景を見ていた魔女エリナ・ウィッチはひとり泣き崩れてた。その手は自身の顔を握りつぶさんが如く力がこもっていた。

『ごめんなさいっ!ごめんなさいっ!・・・・・オーグゥ・・・』

 彼女は彼にずっと謝罪を吐き続けていた。自分は最後の最後で彼を傷つけてしまった。

 彼女は無知で、愚かで、わがままだった自分を憎む。

 自分がもっと彼の気持ちに気づいていれば・・・・。

 そこで彼女の夢は覚める。

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