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3 喩えそれが君でなくとも

大森林、奥地、魔女の家、夢の中———


 懐かしい景色が見える。

 とても大切で、捨ててはいけなくて、抱えなければならない記憶。

 魔術師達が集まる魔術の学び舎、その一室の教室。そこには学友達がいたが、顔は思い出せない。皆、顔に靄がかかったように歪んでいた。

 だが視界の中心だけ明瞭に見えた。そこには見覚えのある女の子が。

 周りなどお構いなし、ひたすらに本と向き合っている。

 その景色を見て、自信の状況を再確認する。

 そうか、私はここまで思い出せなくなっているのか……。

 何千年と生きてきたわけではない。人間の記憶とはこうも簡単に霞むものなのか。それともそれほどまでに私にとって彼らはどうでも良かったのか。

 ………もしかすれば私の魂はここまでだったのかもしれない。

 仮説を終え、視線を夢の景色に戻す。

 そこからはひたすらに本の虫である女の子を眺めるだけかと思ったが、変化は起きた。

 女の子の背後に男の子が現れた。

 夢の外で、、突然倒れた私を気遣っているだろうあの子と、同じ黒髪の男の子。

 男の子は読書中の女の子の背後に回ると、自信の顎で女の子の頭頂部をぐりぐりしている。女の子はもちろん怒る。その後は男の子から離れるべく逃げる。

 しかし、男の子は逃がすまいと追いかける。そこからは追いかけっこ。

 その男女が教室を走り回る様子に笑いがこぼれる。

 またかよ、でたでた、いつものね、と察したように笑う人々

 まさかこの日常が、あのいやがらせが今になってこんなにも愛おしくなるなんて…。

 大丈夫、私はまだ大切なものを忘れてはいない。

 景色はそこまで、浮遊感が私を包む。目覚めだ。



                  ◇ ◇ ◇



 目を覚ます。エリナは自身の状態を確認する。それは学生服ではなく黒いドレスに、短かった黒髪は長髪に、魔術師見習いではなく魔女の姿になっていた。

 周囲を見回す。どうやら自分は丸一日眠っていたらしい。

 外は夜だった。いやもしかしたら数時間か、それとも数日たっている可能性もある。

 いやそれよりももっと重要なことがある。彼がいない。

 ベッドのサイドや下、掛物をどけてもどこにもいない。キッチン兼ダイニングも見たがいなかった。

 しかし、窓の外から光が見えた。まさかと思って室外に向かう。

「……」

 扉を開けて外に出た魔女は、視界に入った景色に驚く。

 そこにはゴオの手で生み出された魔術、各属性にきっちりと区分され、宙に四等分された円状の魔術塊ができていた。

 世闇に浮かぶそれは、幻想的な月のようで、現実の物より美しかった。

 彼は自分が教えていた魔術を完成させていたのだ。

 しかし疑問だ。風呂場で彼を調べたが彼には魔力が無かった。普通なら魔術など使えない人間だ。なのに彼はこうして魔術を使えている。

(魔術の創造?魔力がないから魔術式ではないはず。まるで突然現れたような……)

 扉の前で立ち尽くし、考察している間にゴオはエリナの存在に気付いた。

「エリナさん!」

 ゴオはエリナを視界に収めると慌てて駆け寄る。彼も余程心配していたようだ。

 いっぱい甘やかさなくちゃ。

 その欲望を一瞬止める。いけないいけない私は今、師匠だ。威厳が大事。威厳大事。

 今更威厳もクソもないだろうと思ったが、形だけでも取り繕う。

「大丈夫なんですか?!急に倒れて、心配しましたよ!」

「ごめんね、もう大丈夫だから。……出来るようになったんだ?難しかったでしょう?」

「はい、今さっき出来るようになりました。一晩中かかっちゃいましたけど・・・」

 彼の発言からエリナは自身が眠っていたのは一日だと魔女は気づく。いや今はそれよりも彼の発言の細部が気になる。

「一晩中?もしかして私が倒れてから?ずっと?」

「はい」

「……」

「エリナさん?」

「……」

 黙り込む師に、またも意識を失ってしまったのかと、不安が呼び起こされる弟子。

 だがその不安は杞憂で、目の前の彼女はただ自身の内より湧き出る激情を抑えているだけなのだ。

(落ち着け、私は師匠だ。弟子に容易に抱き着くなど……今更だけど抑えよう。ここは師匠らしく、弟子の頭を撫でるくらいに抑えよう)

 この目の前の弟子は健気にも、私の教えを一晩かけて行っていたのだ。それを褒めたいが彼女の師匠としての理性がそれを抑えた。

 彼が抱える問題の為にも頼りがいのある大人を演じなければ。

「実はエリナさんが心配で眠れなくて…それで魔術の練習を」

(あ、師匠の威厳とかどうでもいいややっぱ褒めなきゃ)

 彼女はすべてをかなぐり捨て、目の前で照れ臭そうに頬を掻く弟子に飛びつく。彼の顔を胸に引き寄せ一心不乱に抱きしめる。

「あ~も~、あ~も~ゴオくんほんと可愛い、健気すぎる!一番弟子!」

 彼女の感情は留まることを知らない。弟子の頭をわしゃわしゃと撫でくり回す。

「すごい!すごい!すごい!……?」

 いつもなり何かしらの反抗があるところだが、胸の内にゴオに動きはない。

 エリナが反応のないことに疑問に思ったその時に、恥ずかしがり屋の彼にしては珍しく向こうから抱きついてきた。

「あら?珍しい」

「……ほんとに心配したんですよ」

「……ごめんね」

 その言葉の端々に感じられる寂しさに、魔女はどうやら今回は自分が反省しなければならないことを察する。

 またそれほどまでに自身を想っていてくれたことをうれしく思う。

 彼もエリナが目覚めるまで気が気でなかったのだ。

 初めは離れるチャンスだとも思ったが、昏睡状態のエリナを放置しておくわけにはいかないと言い訳をしてここに残った。

 いつまた昨日の賊のような人間が来るかわからない。

「あ!そうだ!良い景色見せてあげる。きっと驚くよぉ」

 魔女は良い案が浮かんだと声をあげた。

 エリナは、これならば心配をかけたお詫びと魔術行使達成のご褒美、それに教育にもなって一石二鳥だと、それを稼行した。

「え?それってぇぇ———」

 ゴオを落とさないように両腕でガッチリホールドする。そして彼女は魔術を行使した。

 彼らは高速度で動き出したのだ。真上に。

 ゴオは体の強大な重力が圧し掛かる。耐えきれなくなって思わず目の前の魔女を掴んだ。

 魔女は腕の中で悲鳴を上げている弟子をもっと見たいなと思ったが、もう十分な高度に到達したので静止する。

「ほら、大丈夫。もう顔を上げて大丈夫だよ」

 早くこの子にもこの景色を見せなければ、そう思い声をかける。必死にしがみつく姿は少しゾクゾクしたが、もうここまでだ。

「わあぁ……」

 少年はその景色に目を輝かせる。

 彼らが今現在いるのは西の鉱山都市、その南に位置する大森林の上空、北には城壁で囲まれた鉱山都市の明かりが灯っている。暗闇の中で輝くさまはまるで星のようだ。加えて今日はとても夜空が輝いていた。

 天に輝く星の空、地に輝く都市の光、浮遊感と相まってまるで今自分が宇宙空間にいるような錯覚すら覚えた。

「すごいです!エリナさん!僕、これ!これ覚えたいです!イメージですか?!イメージすればできますか?!」

「ふふ、明日また教えるから。出来るようになったらどこか遠くまで飛んでみようか!」

 弟子の成長とその達成による希望を呟く。師弟ともに飛べるようになったら東の芸術都市に行ってみよう。この子とたくさんの場所に行きたい。

 後回しにしていたが、それなら私の目的もこなせる。

 だが、異常はそこで起こる・・・。

「うッ!」

 魔女の視界が揺れた。体の各器官の認識がおぼろげになる。

 タイミングが悪すぎる。何もこの状況で起こるなんて。

(だめだ、今はだめだ!今はこの子がいる!私は問題ない!だけどこの子は!……)

 上空で魔女の意識が明滅する。滞空していた体が徐々に地に落ちる。

 発動されていた魔術は、魔力炉である魔女がその

「エリナさん⁉…」

 腕中の少年は傍らの魔女の異常を察し、声を上げる。その目は魔女しか見ていない。

(ああ、もうほんといい子!)

 普通ならば落下による怪我を第一に考えるだろうに。 

 この子は落ちているこの状況よりもエリナを気遣った。

 なら無様に落下するわけにはいかない。何とか地上まで…。

 ふらつきながらも何とか地上に着く。よかった、落下は免れた、と胸を撫でおろす。

 引き留めていた意識が途切れ、魔女は地に手をつく。

「しっかりしてください!」

 四つ這いになるエリナにゴオは必死に呼びかける。

 当のエリナは冷や汗を流し、目の焦点も合っていない。

 ゴオは、明らかにこれはまずいと理解したが、何をすれば良いのかわからず、傍らで名を叫ぶことしか出来なかった。

 チカチカ、チカチカ。

 魔女の視界が反転する。持ちこたえた意識の中で少年を見る。

 チカチカ、チカチカ、チカチカ。

 暗転の感覚が徐々に狭まる。それはまるで警告のように、もうすぐ終わりだぞと知らせるように。

 チカ——————。

 点滅が止まる、意識が鮮明になる。収まったらしい。

 荒れた呼吸を整え、顔を上げる

 もう遅いうえに無理があるだろうが、平気な顔をしてゴオを見つめる。

 エリナは不安そうにこちらを伺う弟子を安心させるために、その頭に手を当てて軽く撫でた。

「ごめんね、もう大丈夫。問題な——」

 立ち上がろうとしたが、足元がおぼつかない。躓いてしまった。

 せっかく格好つけたのにこれでは台無しだと、心中で嘆息する。

 だけどエリナの体が地面に倒れることはなかった。ゴオが受け止めたからだ。

「わお、以外に力持ち?」

「……とりあえず、ベッドに運びます。休んでください」

「…うん」

 状況を紛らわすために軽口を叩いたが、ゴオは気が気でなかった。急ぎエリナを安静にさせなければと、その身体を引き寄せる。

 彼は杖代わりになり、エリナを寝室まで連れて行った。

 エリナがベッドで横たわるまでゴオはその手を離さなかった。

 その手は小さく震えていた。怖がりである癖に、彼は毅然に振舞っていた。

「ありがとう、ここまで」

「……いえ」

 丁寧に毛布まで掛けてくれた。いけない、本当は私が面倒見たいのに、これではいつもと立場が逆だ。

「何してるの?」

 弟子である少年は役目を終えたはずだが、ベッドの傍らで侍る。そしてずっとそのままだ。

 エリナの疑問にゴオは迷いなく回答する。

「何って…病人を看病してるんです。何でもいいです、言ってください」

 まさかここまで献身的とは、本当に可愛い。抱きしめたいが、今は出来ないからどかしい。

(あ!それなら……)

 いいや方法ならばあると思い付いた。

「……じゃあ」

「はい」

「来なさい」

 毛布開き、彼を招く。抵抗するものだと思ったが、ゴオはすんなりと入った。

「…君、病人には優しいのね。あ~あ~、お姉さん今度から仮病使おうかな~」

 冗談を口にしたが、ゴオから反応は返ってこない。

 どうやら今の彼には冗談が通用しないらしい。

 どうしたものか、これではこちらのペースに持ち込めない。

「……よね?」

「ん?」

 胸の中で何やら話している。ゴオと目が合う。

 その声はとても弱弱しく、耳を澄ませなければ聞こえないほどだった。

 エリナは、今度は聞き逃すまいと、彼に耳を傾ける。そして今度こそその言葉を正面から受けた。

「いなくならないですよね?」

 魔女は返答を返すことが出来なかった。その事実をこの少年に告げることを魔女は躊躇った。でもなんとか口元をほころばせ、彼を安心させようと抱きしめる。

「大丈夫、君が望む限り私は近くにいるから」

 自分でもこれが嘘であることが明らかであることは分かっている。その言葉の信頼性のなさに心の中で苦笑したほどだ。

 でも一日中意識を張りつめていたゴオには、それで十分だった。

「・・・・・」

「ゴオ?」

 反応のなくなった弟子の様子を確認すると、彼は眠っていた。

 その安心しきった寝顔にエリナは得心がいった。

「あ、そうか。昨日寝てなかったもんね。でもすごいよ、一日で出来るようになりなんて!」

 傍らで眠る弟子を見て、魔女は弟子の成長を誇った。

 教え子は初めてで他なんてわからない。

 だけど他なんて関係がない。

 私の弟子なのだからすごいのだ。

 そんな論理的ではなく私情まみれな考えで、彼女は彼の髪を撫でる。

「……おやすみ」

 いつかは別れが来るのだろう。終わりも近い。

 だけどせめて、目的を果たせずとも、最後の時までは……。

 弟子を強く抱きしめ、魔女も眠りにつく。あたりが静寂になる。

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