① 私の初恋は
今宵、私は夢をみている――。
これは幼い頃の夢。私は母に連れられ、妹のアンジェリカと共に、さる豪邸のパーティーに出席していた。そこで私はフルートを、アンジェリカはピアノの腕前を披露した。
後になって、人々に囲まれ演奏を褒められていたのはアンジェリカ。小さな彼女がうまく交流できるようにと母は付き添うので、私はひとりぼっち。居たたまれないし、退屈で、その会場から抜け出した。
私は妹より母に厳しくされていた。私は勉学も芸事も妹の1.5倍、打ち込んだ。ちゃんと真面目にやっていた。そして妹の1.3倍はできるようになった、自己評価だけど。
私の方が努力して、私の方がうまくできていても、認められるのはなぜか妹の方。だから母はより私に厳しくしていた。それが私のためだと。
小さい私はやっぱり悔しくて、涙を堪えながら、その豪華なお屋敷の廊下をちょこちょこと走っていた。
そこで、ある部屋の扉が少し開いているのを見つける。南側の部屋から一筋の光が漏れていて、私は導かれるように寄っていった。
そして開いた扉の隙間から、こっそり中を覗いたら。
大きな窓から差す光にいったん目が眩み、ゆっくり瞼を開けると、窓の手前で横向きに男の子が腰掛けていた。逆光で彼の横顔は見えないが、背筋をぴんとして、イーゼルに乗ったキャンバスに向かい絵筆を持った手を伸ばしている。そのシルエットが凛としていて、この瞬間、私は息をするのを忘れるほどに見惚れてしまっていた――。
「はぁ……もう朝か。なんか、昔の夢をみていたような……」
目が覚めたので大部分を忘れてしまったが、あまりいい夢ではなかったような。
今日は、ルーベル地方からエイリーク様とシャルロッテ様がわざわざこちらにいらっしゃる日。わざわざ、とはいえシャルロッテ様お気に入りのオペラハウスに出向く予定とのことだから、気楽にしていよう。
「お姉様、騙されていますわよ」
朝の支度中、妹アンジェリカが私の部屋に来ている。ただ駄弁るためだけに。
「お姉様ったら、本当にお人好しですのね」
彼女に偽装結婚のこと、話さなければよかった。お父様に報告した時、聞かれてしまっていて……すべて吐かされたというか。
「お相手もそのご家族も、結婚したら豹変するかもしれませんよ」
「そんなのはどんな結婚だって同じ。リスクは平等よ」
「そこに愛情の有る無しは大違いですわ。都合よく利用された挙句に、いつか無一文で追い出されても知りませんわよ」
「そんな……」
そんなことない、とは言えない。私だって相手を信用しているわけではない。だから、「無一文で追い出される」という状況になったとしても慌てないように、引き続き自活力を磨いておかなくては。
平民に紛れて、その日暮らしでも、ひとりで生きていくんだから。
**
「おはよう、エレーゼ。やってきたよ」
朝早く貴公子が迎えにいらした。今日もとても爽やかでいらっしゃる。私は用意も終えていたのですぐに玄関へ出てきたが、これがアンジェリカだと、わざと男性を待たせたりもする。
「エイリーク様、本日は我がストラウド邸までご足労くださいまして、ありがとうございます」
「いや、こちらこそ付き合わせてしまって悪いね。今日のシャルロッテはこの街のオペラ観劇の予定だから」
これが彼と知り合って2度目の顔合わせ。今は「付き合わせてしまって」などと言ってくれるが、結婚したら高頻度で外出に付き合うことを余儀なくされている。
「シャルロッテが、劇場のカフェテリアで君を待っているよ」
彼のエスコートで私は馬車に乗り込んだ。
「エレーゼ! また会えて嬉しいわ!」
「シャルロッテ様。ご機嫌うるわしゅう存じます」
彼のお母様、今日も弾けんばかりに朗らかで、変わらず美しい笑顔でいらっしゃる。結婚したら毎度この方の付き人その2を演じなくてはいけないのか。
「エイリーク、まだ開演まで時間があるから、支配人にご挨拶にいってきて」
「それなら私も……」
「エレーゼは私と一緒にブランチしながら待ちましょう」
「えっ」
早速ふたりきり……。エイリーク様は行ってしまった。殿方にフォローを期待しても無駄なのだ。
「エレーゼがノエラ家に来てくれるなんて感激だわ。私の息子を選んでくれてありがとう!」
選んだわけでは……なんて言えない。それにしても、本当あんな大きい息子がいるようには見えないな。
「まだ、これからどうなるのか……」
「いつ結婚する予定なの?」
「私が知りたいです。エイリーク様はどういうおつもりなのでしょう?」
「ノエラ家当主……エイリークのお祖父様ね、まだすこぶるお元気なので、今すぐにと急かしているわけではないのよ。お互いに人柄をよく知り合って、エイリークを十分に愛してから結婚してね!」
よく知り合ったうえで愛し合えなかったらどうすれば!
「……エイリーク様はあまり、そういった情熱をお持ちでないのでは……?」
「んー? そうね、今まで懇意になった令嬢はいなかったようね」
「あれだけの女性を惹きつける資質をお持ちでありながら、ひとりもですか?」
「だって私と出かける以外は引きこもりだもの~~。友人も同年代の子はいないんじゃないかしら」
えっ、週4日引きこもり?
「でも情熱がないわけではないわ。だって、一度会っただけの初恋の少女を、けっこう長いこと探していたから」
「初恋? 今でも想っているお方が?」
「子どもの頃の話よ。パーティーか何かで出会ったご令嬢が気に入ったらしくて。でも会えたのはその一度きりで、とっくに諦めているわ」
へぇ。そういえば私の初恋は……? あったっけ?
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