② 嫁も娘もぐうかわいい
彼女、アンジェリカの元にやってきた。
「…………」
しかし手が動かない。心臓がドクドクいう。
や、やっぱりだめだっ!
これ、エレーゼが嫌がると思う。いくら都会の若者の間で流行ってるといっても。別に他意はない、子どもの悪戯の延長の成り行きでも。エレーゼは絶対嫌だと思う!!(むしろ嫌がって欲しい!)
「……ぷっ」
「ぷ?」
アンジェリカが噴き出した。
「うふふ……あはははは!」
そしてお腹を抱え、大笑いしている……。
「なにを百面相なさっているのですエイリーク様!!」
「へ??」
今、僕の名を……?
「まぁ、真剣なのは分かりましたわよ! ふふふふ!」
「え、あ、あの……」
ひとしきり笑った彼女は次に、呆れた顔をして。
「で、どうしてこんな謀りを?」
え、えっと。まだ言い訳は早いかな……。
「事と次第によっては、お姉様に訴えますわよ?」
ひぇっ……。顔が真剣だ!
「す、すまなかった! 謀りなんてつもりはなくて、ちょっとした悪戯で……」
さっきから頭を下げてばかりだ……。
彼女はふんと鼻から息を抜いた。
「もしかして最初から、バレていたのか……?」
「ん──……そうでもないですわ。意外にも堂に入っていましたわね、エイリーク様の演技。立ち振る舞いは完璧でした」
「じゃあ話し方かな」
「そう、気立ての違いが少々。だからちょっとよく見てみたのです、“手”を。そうしたら分かりました」
また彼女は余裕の微笑みを浮かべ。
「エイリーク様だと分かったのではなくて、これはジークムント様ではないって」
「うん?」
「ご存じです? ジークムント様は何か道具を……特に棒状の物を手にすると、くるっと回すクセがあるのです」
「へぇ。知らなかった」
子どもの頃はそんな手癖なかったから。
「だから、ナイフを持つあなたの手がおとなしすぎて、これは……と思った次第です」
「そうか。じゃあ僕の負けだ。撤退させてもらうよ。手伝いももう、終わったよね?」
「ええ。お片付けありがとうございます」
こんなにあっさりバレてしまったんだ。色紙は諦めるよりほかないな。
おとなしく退室することに。本当に、貴重な時間の浪費だ。業務が立て込んでいるというのに。
side:ジークムント
「さて。ジークムント様? いるのでしょう? どちらにお忍びになっているのかしら?」
アンジェリカがカーテンの裏を確認しだした。見つかるのも時間の問題だな。
俺は観念して腰を上げ、机の下から這い出ていった。
「全部お見通しだったか」
背後の俺をびくっと振り返った彼女は、上げた肩をすとんと下ろした。
「いい大人がふたりそろって、悪趣味な悪戯ですわ」
「いや、君は化かされないと思っていたよ。でも俺にそんな手癖あったかな?」
「なくて七癖と言いますからね」
「よく見てるんだね」
「…………」
「アンジェリカ?」
目の前の彼女は呆けている。
「べ、別に見てませんわ! あなたの手なんて、特にこれといって見てないです!」
「…………」
見てなきゃ気付かないだろうよ。そんなのつっこまれたの、初めてだぞ?
「別に俺の手を、なんて言ってない。他者をよく観察しているって、一応褒めたんだが」
「…………」
彼女はほんのり頬を染めて、顔を背けた。
スレンダーな輪郭を少し下膨れにしたその顔、意外にかわいいな。
「とにかく! 何かを持つとくるってするそれ、お行儀が悪いですわ」
くすりと笑った俺を牽制するように、彼女は声を荒げた。
「あー、これさ、たぶん医者の手癖なんだよ。そういえば現場でやってた人ら居た。つまり、もう貴族ではない人間のクセだ。行儀うんぬんはナンセンスだよ」
アンジェリカに詰め寄りながら言い放ってやった。
「でも、君に気付かれて嬉しい」
「もう! 実家に戻ったからには貴族のマナーを忘れないで」
色白い綺麗な手の甲を、俺の顔を遮るように差し立てる彼女だが。表情はいつものごとく朗らかで、少々生意気な視線で、
これはもうご機嫌とみて良さそうだ。
「じゃあ、アンジェリカ。今から出かけて、夕食を食べてこよう!」
まさか昨夜に続いて断ってくるなんてないよな?
「今夜は、三月に一度の、従業員のための謝恩会があるのです。お姉様考案の特別メニューが振舞われますのよ。お出かけできませんわ」
秒で断られた。まぁ、
「それは俺も食べたいな」
仕方ない。それなら夕食までの時間、彼女の気を引く何かを……。
「あ、ジークムント様」
「ん?」
ふと思い出したように彼女は尋ねる。
「まだヴァイオリンはお弾きになります?」
「ヴァイオリン? ああ。もう長いこと練習していないが、弾けなくはないよ」
「でしたら、謝恩会でみなさまに披露しませんか」
彼女の顔に赤みがさした。
「……。いいよ」
君が俺の旋律を彩ってくれるんだよな?
「では早速、準備いたしましょう。ささ、防音室へ!」
高らかに言いながら俺の背に回って急かす。
俺のこと子どもみたいだとか言うけれど、君もよく子どものような表情になるよ。
そんなことを口にするとまた機嫌を損なう恐れがあるから、言わないでおこう。
「あ、つま先にキスされたいのだっけ?」
「あら、冗談が通じない方ですわね?」
「冗談だよ」
エイリークには冗談通じないから、後で訂正しておかなくては。
side:エイリーク
はぁ。やっと今日の業務が終わった。
もう夕方か。今夜の食事はエレーゼのスペシャルメニューだというし、久しぶりにゆっくりみんなと食べられるな。
それにしても、惜しい……ヴィンセント・ミューシャの署名付き色紙……。いや未練は捨て去ろう。
その時、部屋の扉の、ゆっくりと開く音が。
「?」
ノックもなしに誰だ?
「あああ~~。だぁぁ!」
「……エレノーラ?」
んんん??
よたよたと少しずつ僕のところに、二本足で寄ってくる可愛いエレノーラ。
ん? 二本足で?
「うわあああエレノーラが歩いてる──!!」
エレノーラ、歩けるようになったのか!
よろりよろりと僕のところに、まっすぐに踏み出す小さな足を見つめていると、どうにも胸が熱くなる。
小さな娘にさっと駆け寄り手を伸ばした。そして倒れかけた彼女の身体を支えてやる。
「ん?」
小さく丸い身体の後ろに……背中に何か背負ってる。
「何だこれ?」
彼女に括りつけられた布を外してみた。
「えっ、ええ──!? ヴィンセント・ミューシャの色紙!!」
ふと顔を上げて扉を見やると、その隙間から見守っているのはエレーゼ。
目が合った彼女は扉を開け、笑顔で入室してきた。
「どうです? エレノーラの初あんよ」
「ああ、すごいよ。一歩一歩が逞しい。よくできたエレノーラ!」
色紙を脇に抱え、小さな娘を抱き上げた。
エレーゼが僕らに寄りながら言うには。
「その色紙、ジークムント様から預かりました。“ご褒美”ですって?」
「……“お土産”の聞き間違いだよ」
「あ、そうだ。今夜は謝恩会でちょっとした演奏会が開かれるそうです。楽しみですね」
「へぇ。じゃあ、エレノーラも一緒に楽しもうな」
頬ずりしたらおちびさんは嬉しそうな声を上げる。
「さぁ、行きましょう」
「あ、あの、エレーゼ」
「はい?」
なんだか猛烈に……
「今夜、君のつま先にキスしたい!」
「…………は??」
。.ꕤ おしまい ꕤ.。
◎おまけ◎
ピアノ: ♪ジャーン……(フィーネ)
ジークムント: .。o(もう何年も弾いてないだろ……。)
アンジェリカ: 「どうして無言です?」
(そんなに感動したのかしら?)
ジークムント: 「うん……」
(どこから直したものか……)
+。:.゜ஐ⋆*
お読みくださいましてありがとうございました。