④ 恋に中毒、食に中毒
「へぇ、あなた意外に手際いいのね」
ダイナミックに魚をさばいたばかりの貴婦人に認められてしまった。
「お母様に教わったのかしら」
「……いいえ、母は料理などしない、世間一般の夫人でした」
母ではなく、家の料理人に頼み込んでずっと習っていたのだ。最初は「お嬢様にそんなことを」とみな戸惑っていたが、この情熱に根負けして、ていねいに基礎から教えてくれた。
この頃では彼らも舌を巻く腕前になってきたんだから。
「でした?」
「母はもう天国の住人なので」
「そう……」
「ところであの、あなたはどうしてこちらへ?」
「うちの料理人がみーんな、原因不明の体調不良で寝込んでしまって」
「それは本当ですか?」
「どうして?」
「この見合いを阻止しに来られたのでは?」
「……なぜそう思うの? 私に彼の結婚を阻む権利なんてないわ。でもそうね、見合いの相手がどんなお嬢様なのか、興味はあるわね」
彼女は鋭い視線を私に投げかけてきた。美女の凄み、怖い……!
「彼はいい男でしょう?」
「ええ、物語の中から出てきたような、美しい貴公子ですね」
「外見のことじゃなくて」
「今お会いしたばかりですので、外見以外分かるわけないです。それにこのたびは、お断りするつもりで参りました」
「え? 断ってしまうの?」
「ええ。良いお家の方と結婚できるならどんな方でも、とは思いませんから。私は、私の父を超える人でもなければ、心を動かされません」
「超える人? 何を超えればいいの? エイリークは器用で頭もいいし、家の格も文句ないでしょう?」
「そういうことではなくて、人間性です! ……愛情の深さといいますか……」
「愛情? ああ、浮気をしない男ね! それなら彼は最高にいい男よ!」
盛大に惚気られてしまった! 私が違うコミュニティから来た人間だから、油断してよく喋るのかな。道ならぬ恋、なんて、誰かに話したくて仕方ないものだろうし。
でも、なんかモヤっとするな。
「私はそんな、最大風速の恋の嵐吹く中で誓う「君だけを」?「永遠に」?なんて信じません。無限の愛なんて、私の父しか持っていませんもの」
彼女は一瞬、押し黙った。そして再び包丁を持つ手を動かしながら言った。
「そんな、努力しなくても得られる愛だけに満足する人生は虚しいわ」
「努力?」
「怖がらずに自分から人を愛してみて。相手を大切に思うと、その思いにはちゃんと応えてくれたりするものよ。それから、お互いが相手を幸せにしたくて、どうすればいいのか考えて、愛とか幸せとか永遠とかを、ふたりで見つけていく。人生で最高の宝探しよ」
「はぁ……」
「エイリークはきっとそれができるから、いい男なのよ!」
また堂々と惚気られた。
たとえそんな宣伝文句で私が恋に開眼したって、こんな美しい人には敵わない、敵うわけない。こんな人が同じ社交場にいるだけで、私の恋物語は何も始まらない。
――――でも、そんなふうに恋人を信頼していられるのは、少しだけ、いいなって思うわ。
考え事をしながらだったせいか、ずいぶんいろいろ作ってしまった。サラダには花型にしたソーセージも付けておこう。デザートはリンゴの皮を、飛ぶ鳥の羽のようにしたら、見た目華やかかな。でも50人分か、まぁ頑張ろう。
周りを見渡すと、もう誰もいない。さっきシャルロッテ様が「休憩しましょう!」とみんなを連れて出ていったっけ。私はこのタルタルマスタードを作りかけたところだったから。
そこの大鍋にある、シャルロッテ様のスープ……。マグロの他にも魚が用意されていたけど、この大きな具がそれかしら。香りは……なんだろう。何と言えば? 味見させてもらっていいかな。
私はレードルとお椀を用意した。
「…………!!」
思わずお椀を落としてしまった。
「こっ、これは……!」
なにこの異様な味、だんだん舌が痺れてくる。一杯だけでも気持ち悪い! 嫌な予感がする。これ、ただ不味いだけではなくて。
「こちらのステーキは……。こっちも!? もう、なんなのいったい!!」
「エレーゼ~~? 按配はどうだい?」
「お父様!」
厨房の扉を開け入ってきたお父様に、私は駆け寄った。
「みなさんがあちらのカフェテリアでお茶をしていたから、君もそろそろ……」
「お父様、お願い!」
「ん?」
「手伝って!」
「どうしたんだい? そんなに慌てて……」
「いいから早く! この鍋のスープを処分して!」
「ええ??」
お父様にまず汁の処分をお任せして、私は早く別のスープを調理して……。同じような味付けで。何か別のメインに置けるようなものを……。マグロステーキに似たものを。汁をこぼし終えたら残りの具は見つからないように焼却炉に運んで……。
そのころ私は作業をしながら思い出した、彼らの会話を。
料理人が原因不明の高熱? 腹痛? シャルロッテ様、同じ食材をここに持ちこんだの!?
私が薬師から習った医学的知識によると、摂取した食物が消化され、その身体に変調をきたすまで、早い場合で一時間……。
**
とりあえず、50人分の食事は用意できた。
「お父様、お願い。これすべて、シャルロッテ様が用意されたということにしておいて」
「ん? どういうことだい?」
「もし、私の身に何か起きてたら……」
「? でも、これは君が作ったものだろう?」
「私はこの辺の前菜とかを、手伝っただけなの! そう話して!」
シャルロッテ様、とても楽しそうに料理されていた。それってやっぱり、これにかこつけて恋人に手料理を振舞うのが嬉しかったのではないかしら。それに彼もきっと、彼女の手料理が食べたいんだと思う。
あんなふうに、心に一点の曇りもなく愛を語る女性と、女性をそれほどに安心させている男性。ふたりの間に、波風なんて立たない方がいいに決まってる。私は部外者だ、たまたま気付いただけの。誤魔化せるかも分からないし、もしかしたら騙すようなことかもしれない。でも。
「彼らが、楽しいディナーのひと時を……」
「エレーゼ? どうした? ものすごく汗が……」
「過ごせたら……」
「エレーゼ!? おい、大丈夫か、しっかりしなさい! ……」
――――いいわね……。私も作った甲斐があるというものだし……。
***
「ん……?」
私が目を開いたら、視界に広がるのは豪華な天井。私はふかふか柔らかいベッドで寝ていた……気を失っていた?
「あ、お気付きになったか」
「んん……」
誰かに話しかけられたので、私は起き上がろうとした。
「あっ、いや、そのままで」
エイリーク様……? 慌てて私を横たわらせようとするけれど、そういうわけにも。何が起こったのか教えてもらいたい……。
んっ? 急に彼が、ベッドの手前で深く頭を下げた。
「申し訳ない!」
「えっ??」
ええっと、ここはホテルの客室? お父様は? というか、こんな密室で、寝室で、男性と二人きり……。
「いやああああ!!」
「えっ」
「お父様は!? 私どうしてここに!?」
「お、落ち着いて。父君はたぶん、隣の客室に……」
「お父様ぁぁ!!」
「本当に、落ち着いてくれ! 僕は……、わ、私は君と話がしたくて」
「お父様助けてぇええ!」
「君と結婚したくて!!」
「…………は??」
――――幻聴かしら?