⑦ 素直にならないと出られない蔵
紹介された女性に家内へ促されたけど……。
ああもう! なんでこんなに胸が騒ぐの。エイリーク様と女性がひそひそ話していると、なんだかすごくモヤモヤする。こんな気持ちで訪問できない。
「どうかされましたエレーゼ様?」
「あ、あなたは、その、エイリーク様とそういう関係ではないの?」
こっそり聞いてみた。
「え? ……ぷっ」
ぷっ?? 噴き出した?
「あははは、ないですよ~! いくらエイリーク様があれほどまでにお美しい次期領主様であっても──……」
そこで彼女はぐっと親指を立てて。
「私、男は金輪際いりませんから!」
……なにこの人。めちゃくちゃ気が合いそう──!
そうよね。男なんて、(お父様以外の)男なんて、(はっ、そういえば今の私にはジークムント様がいるんだけど)男なんて────!!
「いらないわよね~~♪」って手を取り合ってポルカを踊りたくなってしまったわ。ジークムント様ごめんなさい、ついいつものクセで。
とりあえず恋人ではないらしい。どうしてまたそんな疑いを持ってしまったのかしら……思えば失礼なことよね。
それから4人でティータイムを穏やかに過ごしてみたが、町の様子などの他愛ない会話に終始している。きっとそれは、この小さい子に私の病状、記憶喪失なんて軽く伝えてはみたけれど、理解できないだろうから。
母娘二人暮らしのようだし、あまり長居するのも。その時、近所の住人が慌ててやってきた。
「カリンちゃん、大変よ! お母さん、ギックリ腰で動けなくなっちゃって」
「ええ!? すぐ行くわ。申し訳ないですエイリーク様、エレーゼ様、何もおもてなしできなくて」
「気にしないで。久しぶりに会えて嬉しかったよ。さて、おいとましよう」
「ええ」
エイリーク様は離れたところに待つ馬車を家の前に呼んでくるということで、私は見送りのリタと待っている。
あ、そういえば。さっきカリンさん、宝石の研磨職人だって話してたわ。この翡翠のこと聞けばよかった。さすがに関係ないとは思うけど。
「ねぇ、リタ」
私はまたポシェットからネックレスを取り出した。
「これ、見たことない?」
彼女はじぃっと見つめる。穴が開きそうなほど見つめて、そして口を開いた。
「それ、王子さまのあいのあかし」
「へ?」
突然なに?
「王子さまがおひめさまに、あいのこくはくするとき、これをだして言ったんだ」
「うん、そうね。童話でよくあるシーン」
「金色の髪の王子さまが言ってた。“君のひとみは世界でいちばんうつくしい”って」
「へぇ、リタが読んでもらったのはそういうパターンなの? あなたもいつかきっと出会えるわ」
私だってジークムント様に出会えたから……。いや、どうかな。そんな、世界でいちばん美しい宝石を求める情熱なんて、おとぎ話よ。それにこの翡翠、いちばんなんて言えるようなものじゃないし……。
……んー、でもなんだか胸が熱くなる。私ももしかしたら同じ絵本読んだことあるのかも。
「あ、馬車だわ。じゃあね、リタ。お母さん帰ってくるまで大人しく待ってるのよ」
彼女はキリっとした顔で、親指を立てた。
「ん? こちらの道ですか?」
夕暮れの帰路で窓の外を眺めていた私に、彼は意味ありげな微笑で答えた。ストラウド領の方へ向かうものと思っていたのに。
「帰ろう」と言われ連れてこられた場所はノエラ邸。確かにもう日が暮れてしまうし、泊まるのがいいのだろう。
しかし彼は玄関への路を外れ庭園へ。更に庭の奥へと進んでいく。
「どちらへ?」
垣根の小路を抜けると目的地が見えてきた。庭の片隅に建つそれは、暮れ時には物々しい、レンガ造りの蔵であった。
「大きな蔵ですね」
「ああ、僕ら兄弟はこの倉庫に子どもの頃からの作品を保管しているんだ」
作品……エイリーク様は絵画よね。ジークムント様も昔はよく描いていたと話していたわ。あとたくさん作曲したとか。楽譜もあるのかしら。
「最近ここに、君をモデルに描いた画をしまったんだ」
「……私の画??」
「新しいのはだいたいアトリエに置いておくんだけど、この間そこの掃除をするって時、全部運び出してしまってね」
「ちょっと待ってください。どうして私の画を?」
「君に頼んだんだよ。君をモデルに描きたくて」
「……??」
私がモデル? どうして私なんかが? 綺麗な人、周りにいっぱいいるのに……それこそ、アンジェリカとか。
「探してくるから、君はこの入口で扉が閉まらないか見張っていてくれ」
「え?」
「開けっ放しにね。中は暗いから光が少しでも欲しい。風が吹くくらいなら閉まることはないけど」
「分かりました」
そうか。私の記憶を呼び覚ます旅、きっとここが終着点。
「あった! 良かった、早いとこ見つかって」
彼の明るい声を聞いた。本当にそんな画があるの? 私がモデルなんて……。
今すぐ見たくなる。どんな画なんだろう? 彼は奥の方にいる。
私は迷わず、ここ扉口を離れた。
「見せてください!」
奥はずいぶん暗い。この蔵には高めの位置にある、小さな窓しかないのだから。ここには光が当たらない。
「薄暗くてよく見えないわ。この画、本当に私なんですか?」
「うん。僕は自分で描いたものだから、うっすらしか見えなくても分かるよ」
見たい。ちゃんと明るいところで見たい。彼が私を描いたってことは、その間、彼はじっと私のことを見つめて……。
私、なに考えてるんだろう。身体がじりじり火照ってくる。そんなの意識過剰かしら? その時の私、何色のドレスを着て、どういうポーズをとっているの? 早く外に運び出さなきゃ……。
その時、ばたんっ!と扉が閉まった。
「あ……。ごめんなさい、場を離れてしまって」
私は慌てて扉の元に戻る。
……あれ?
「エイリーク様、扉が開きません!」
「何だって?」
彼も足早に来て扉を確かめるが──。
「外から施錠されてしまったようだ」
「え!?」
「通りかかった誰かが、開けっぱなしだと思って閉めてしまったんだ。ついでに鍵も……」
「出られないんですか!?」
「誰か、僕らがいないことに気付いて探してくれないと……でも早くて明日の朝になってしまうな。ここから声を上げても、近くに人がいなければ……」
「…………」
困ったわ。みんなを心配させてしまう。
エイリーク様に「ここにいよう」と手招きされたのは、棚と棚の隙間でところ狭しといった通路だが、窓から月明りが差してほんのり明るい。
ここなら互いの表情ぐらいは確かめられる、月が窓から隠れてしまうまでは。
私は彼の隣に添うほどの勇気もなく、とはいえ真正面から向き合うのも気が引けて、斜め前におずおずと座り込んだ。
彼は慌てる様子もない。明日の朝、私たちが来ていることを知る誰かが探してくれるだろうから、心配はいらないようだ。
つまり朝までふたりきり……。
……意識してるの、私だけか──……。
「ぶはっ」
急に彼が噴き出した。私は当然びくっとする。
「な、なんですか!」
「初めて会った日のことを思い出してしまった」
「え……」
「だって君ってば、男と二人きりだからって大慌てで、お父様助けてー!ってさ。そんなふうに言われて、あの時は僕も焦ってしまった……あ」
彼は少しバツの悪そうな顔をする。でもまだ少し笑ってる。
初めて会った日……二人きりってどういう状況なんだろう。ジークムント様に紹介されて、とかではないの? 何があったらお父様に助けを求めたりするの私は……。
「初めて会った時……私の印象は、どうでしたか?」
思い出したい。……誰のために? 自分のためよ。自分以外に、誰がいるの?
「じゃあ、眠りにつくまで夜語りでも?」
「ええ。眠りにつくまで」
月が隠れて暗くなったら、すぐに寝付いてしまうだろう。初めから暗がりに落ち着かなかった、つまりこれは、
彼のお誘い。
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次回とその次はまた視点を切り替えて《エイリークside》でお送りいたします。