⑪ 暴走する私を引きとめて
ただいま私は特設舞台下のベンチで、ボヘェ~~と空を見上げている。今日はもう疲れた。
そして隣には、同じくボヘェ~~っとしたエイリーク様がやはり空を見上げている。マスクはもういいのかな?
今、私が彼を振り向いた瞬間、同じく私の方を振り向いた彼と目が合ってしまった。だからか私は、ふっと、彼の言葉を思い出したのだ。
────世界でいちばん美しい。
それは、ツヤツヤとしてはいるけれど、他の宝石と比べると輝きのニブい、いかにも空に浮かぶことなさそうな、使う人を選びそうな、翡翠のネックレス。
────僕のフィアンセの
私の瞳……そんなの思い出したら、一瞬にして顔が火照ってしまった。鏡を見なくてもこの顔が真っ赤だと分かるくらい。
「……っああ、もう!」
「え?」
彼は急に、私のずきんに手を掛けた。
「なんで赤ずきん被せられてるんだ!」
なんだか怒っているようである。似合わないから?
「赤ずきんダメですか? 黒ずきんならよかったです?」
「~~そういうことじゃなくてっ……。あ、それよりエレーゼ、その、君の買った画は……」
彼の視線は私の横に置かれた絵画に。
「そうそう、これ」
エイリーク様に自慢しないとね。素敵なもの掘り出したんだから。
「たくさん画があったのですが、これがいちばん……」
「エレーゼ!」
ここで背後から私の名を呼ぶ爽やかな声。この目の前の彼とほぼ同じ声。しかし振り向くと、やってきたのはフランケンシュタインの怪物。
呼ばれた私は立ち上がり、彼のところにさっと寄っていった。
「ニルスは無事自宅に帰ったようだよ」
「ああ良かった。正直心配だけど、良かった」
こんなふうに報告を受け、安堵していたら。
「……帰ろう、エレーゼ」
また背後から掛かる声。
「えっと、そういえば、この彼のことを……」
「エレーゼ、今日のパートナーは俺のはずだよ」
振り向いた私は後ろから腕を掴まれる。
「あの、あなたは結局……」
「なぁエレーゼ。エイリークとの結婚はやめて、俺と一緒になろう」
「…………?」
今、この人、なに言った?
「お前、いつもそんな冗談をっ……」
「冗談じゃないさ。俺、エレーゼと結婚したいんだ」
「「!」」
エイリーク様とフランケンシュタインの怪物が睨み合ってる……。いや、まずその前に!
「あなたはいったい、誰なんですか!」
ふたりは私を振り向いた。エイリーク様は目を丸くしている。「え、今日1日一緒にいたんだよね?」といった顔である。そんな顔される謂れはないのだが。もったいぶっていたフランケンはそこでやっと厳ついマスクを脱ぎ、首を軽く回した。
「……!」
ほぼ同じ顔がそこにふたつ。えらい迫力だ。でも、同じ顔なのになんだか違う。違うのは表情だろうか。
「これは僕の双子の弟、ジークムント・ノエラだ」
「おっ……弟!?」
そりゃこれだけそっくりならそれしかないのだけど、存在をもったいぶり過ぎです!
「改めて、はじめましてエレーゼ。君に会えて嬉しいよ」
ごく自然に彼は私の手を取りキスをする。エイリーク様と違って、とても距離が近く感じる。
「おい、離せ。エレーゼはもう僕と帰るから」
「お前が俺を実家に呼んだんだろう? なんだよその雑な扱いは」
「えっと、どういうことですか? どうして今まで弟の存在を隠していたの?」
エイリーク様はしぶしぶ説明を始めた。彼、ジークムント様は新米医師で、医療の進んでいる隣国で研究や治験を行っているのだと。
「俺は嫡男ではないから自由なんだ。もう何年も隣国に滞在して修行している」
「そうだったんですか……」
そしてこのたびシャルロッテ様からの要請で、誕生日パーティーに先んじて帰省することになった。病魔に侵された知人の治療をして欲しいとの話で……、ケネスの件ね。こういうことだったの。
「それでノエラに帰ってきて、すぐにエレーゼのことを調べたんだ。探偵を使って」
「「え!?」」
「エレーゼのことなら何でも知っているよ。エイリークよりよほど多くのことを」
「な、なんでそんなこと……」
「だってノエラに入る令嬢なんだ。しかも義理の姉になる。知っておきたいだろう?」
調べたと言いますのは……。私の素行調査ってことは……。
「調査の結果……エレーゼ、君にはぜひ俺の妻になって欲しい。公私ともにパートナーとして信頼できる相手を探していたんだ」
「「!!」」
こんなところで……私が今されているのは、プロポーズ? 私、すでに婚約者がいる身なのですが、プロポーズ!??
「何を言ってるんだ。彼女は僕の婚約者だ」
「まだ婚姻前だろう? 俺が婚約破棄の慰謝料を払うよ」
それは、ただノエラ家からノエラ家に金銭が移動?するだけでは。
「エレーゼはノエラ家に迎える婦人なんだ。シャルロッテもお爺様もお前の勝手を許すわけないだろう!」
「エイリーク様……」
……ノエラ家が次期領主の妻を必要としているんですよね……。シャルロッテ様とお爺様が待っているから……。
「お前がもっと積極的に探せば、ノエラに嫁ぎたいという貴族の家の娘は見つかるよ。俺は“エレーゼがいい”と思ったんだ」
「はぁ!? 探偵使って調べたことで、なんでそんなふうに思えるんだよ!」
ジークムント様はエイリーク様を牽制するように、また私の手を取った。
「君は将来医療の道に進みたくて、数年前から学んでいるんだろう?」
私の顔を覗いて、すべて知っているという表情で聞き質す。ただこの瞬間の私はなんとなく、自身の心が少し遠くにあるような感覚だった。
「? そうなのかエレーゼ?」
エイリーク様に尋ねられて、はっと我に返った。
「えっと、それは……」
「ねぇエレーゼ。俺は君の家に婿として入っていいよ」
「えっ?」
私は目を丸くして聞き返してしまったが、エイリーク様も同じ様子だっただろう。
「ストラウド領で、できるだけ君の家の近くで開業すればいい。君はいつまでも父君と共にいられる。そんな君の希望を叶えた上で、君を妻として愛するよ、俺なら」
次に彼は、エイリーク様を挑発するような視線を流した。だから私はヒヤリとしたのだ。
「あなたは、調査の上でない実際の私を知らないのに、そんな、結婚相手なんて重要なことをお決めになるなんて……」
「そうはいっても、この身分で看護の道を模索している娘なんてまずいないからな。医療は万人にとって必要不可欠だが、きれいな業務ではないだろう? それをこんなきれいな手で追い求めようだなんて見上げた心意気だ。結婚するなら君がいい」
一応……認められてるのね……?
「俺は“契約結婚”だの“仮面夫婦”だの言わないよ。生涯寄り添える妻が必要だ。君と手を取り合って生きていきたい」
「っ……」
その顔でそういうこと言わないでください!
あ、いや、その……、顔が近いわ……。
「君の条件をできる限り叶えてあげる。父君と一緒にいられればいいんだろう? 父君が健在の間は彼が君の中でいちばんでも構わない。だけどいつかは、君の人生のパートナーは俺だと言える間柄になりたい。条件として、これでどうだ?」
……最高の条件だと言えます……。
私はそこでやっと、ジークムント様の言葉の羅列に圧倒されたか、完全に物言いの聞こえてこないエイリーク様の方を見た。
「…………」
彼は微動だにせずにいる。何も反論ないの? 婚約者の私を取られてもいいの? 婚約者なんて、探そうと思えば見つかるって思ってしまったの?
でも、御家のために「妻が」必要だからって言われても。それじゃ「私を」認めてくれた人を振り切って、そっちにいく理由って?
────私の瞳がいちばん美しいって言ったのに。
……ううん、私の瞳じゃない。彼は「僕の婚約者の瞳」って言ったのよ。
なら、彼の婚約者でなくなったら、価値のない、ただの翡翠になるの?
必要なのは御家に嫁いでくる貴族の娘というだけで、私じゃない。だって最初から“契約結婚”で“偽装夫婦”なのだから。
だから何も言わないんだ。止めないんだ。他の誰かに誘われている私を引き止める情熱がないんだ。
「ジークムント様、あなたが“私を”必要としてくれるなら……」
「うん?」
私は彼の目をまっすぐに見た。エイリーク様が視界に入らないように。
「こんな有難いお話はありませんし……きっと父も反対しません……。ノエラ家には、ストラウドからできる限りの慰謝料を……」
私、なに言ってるんだろう。
「そんなことエレーゼは気にしなくていいよ。金額が回るだけだし」
「でしたら、私自身はぜひお受けしたいと思います」
言ってしまった。止められなくて。だって、だって。
エイリーク様との婚約だって、これ以上の好条件はないってことで、まとまった話だった。それ以上の条件の話が舞い込んだら、まだ婚姻前だもの、方向転換することだってありえるでしょう?
これって、もしかして私、彼を試してる……?
引き止めて。“私が”必要なのだと言って。
……そんな思い、全然なかったの?
いくら待っても彼が、その場で私を引き止めることはなかった。
私は彼を一瞥もせずで様子は分からない。ただ、一言もくれなかったのだ。彼の中に“私を”とどめておきたい思いが、別に、存在しない、から……。
第四話、最後までお付き合い下さりありがとうございました。
第五話(最終話)はコミカルな動きをほぼ封印して少女漫画(青春)のド真ん中を突っ走ります。
どうぞ完結までお読みいただけますよう(祈)