⑨ アンタたち、やっておしまい!!
「ヘビおもしろかった!」
リタがヘビ使いのところからニルスの手を引いて戻ってくる。すっかり仲良くなったようだ。
「良かったわね。じゃあそろそろ私たちも露店巡りを……」
「あっ」
そのとき、小さなニルスがすっ転んでしまった。
「だいじょうぶ!?」
おねえさんらしくリタが抱き上げると、彼はきゅっと彼女の胸に飛びつく。私はその瞬間の、リタのうっすら紅潮した顔を見逃さなかった。
「可愛いわね?」
「うん……かわいい……」
嬉しそうにきゅっと抱き合うちびっこふたりに、私も顔が緩んでしまう。子どもの面倒なんて骨が折れると普段は思っているけれど。
「可愛いよなぁ子ども」
「あなたは子ども好きなのですか?」
その厳つい顔マスクで言われると不思議な感じ。
「普段はピーピーうるさくてめんどくさいと思うけど、こういうの見ると可愛いって思うよな」
「そうですね」
「いつか子ども欲しいな。そう思わないか?」
「……んー?」
うーん、自分が子をもつなんて考えたことなかったわ。大体、彼は実子を持つ気がなくて……跡取りさえ確保できるなら、私が他の人の子を生んでもいいと思っているような人で……。
「エレーゼ?」
「ん? あ、はい?」
「今、なに考えてた?」
「えっ、誰のことも考えてませんよ!」
「…………」
「ねえねえエレーゼ」
「何、リタ?」
「そこ、絵がたくさんかざってある」
私はリタの指さす方を見た。そこは露店であるが、中に入っていって商品を見るようになっており、入口付近にはずいぶん本格的な美術品が。
「ああ、チャリティー露店だな」
「チャリティー?」
「こういう機会に庶民の、美術品に対する敷居を低くする目的もあって、普段なら買えないような掘り出し物があるんだ」
絵ねぇ。エイリーク様ならもう見て回ったかしら?
「じゃあ私、見てきますから、この子たち見ていてくださいね!」
「え? あ、もう……まったく」
「わぁ、すごいわね……」
言われた通り、価値の出そうな優れた作品ばかりだ。庶民でも手に届く値がついている。これはなかなかいい買い物になると思うが、印象は依然として敷居が高く、下町の庶民には一歩ですら入って来づらいといったところか。
「ん……」
そこで私は、一面が黄緑のグラデーションで埋まる額縁を見つけ、ふとその前に立ち止まった。下のアングルから眺める、重なり合う新緑の若葉が瑞々しく、その隙間にまぶしい光がほわりと浮かぶ。
「それが気に入ったのか?」
「フランケン様」
「そんな名前ではないけれど」
「あなたが名前を教えてくれないのでしょう。子どもたちは?」
「店番に預けたよ。そこに」
子どもたち、美術品に手を出さなければいいけど。
「これ、とても温かくて、目が離せないんです」
「……隣の絵は? これも森の絵だろ」
彼の目線の先は、木々の深い緑が力強く、未開の地への好奇心をかきたてる森。うっとりしていると今にも吸い込まれてしまいそう。
「すばらしい絵。たった今、森の入り口に辿り着いたように錯覚しました。これでもプロの描いたものではないのね」
ただ私は、気持ちの赴くまま、若葉の絵の前に戻ってきた。
「これ買います」
「え? 今こっちを褒めたばかりでそっち?」
彼はマスクの下で目を丸くしているようだ。
「好みの問題ですが。私にはこちらがとても優しく感じられます。大きな包容力がある、気がする」
「ふぅん? ……なら仕方ない」
渋々、といった雰囲気で店員を呼んだ。ここは私名義で買い物してはいけない場面である。
「ありがとうございます。出かけ先で男性に何か買っていただくなんて経験、あまりないのでちょっとウキウキします」
フランケンだけど。
「下心だよ?」
「えっ」
ギャラリー露店を出たら、私たちの目前を大急ぎで走り過ぎる男女が。ニルスの両親だ。使用人も携え、胸に一杯の花束を抱えている。
「私たちもイベント会場へ急がなきゃ。あの人たちよりも早く! フランケン様はニルスを抱いて!」
「リタもいるんだから追い抜くのは無理だろ……」
会場に着くと、商品を持って集まっている大勢の参加者たち。列に並ばなくては。
「もうそろそろ打ち止めかな。この周辺の店は畳み始めていたし」
フランケンに抱えられる坊やも眠ってしまっている。1歳だしね、さぞ疲れただろう。
「なんだか私たち、ふたりの子連れ夫婦に見られてしまいそう」
「ん? なんだい赤ずきん。君が望むなら……え?」
「どうかしました……って、ええっ!?」
この時、群衆の前に突如現れた、地を這う、うねうねとした集団が────。
「へ、ヘビだ―!!」
「大きなヘビが何匹も──!!」
人々は恐れおののき後退りする。
「あ、あのときの……!」
「そうよね、ヘビ使いの彼はどこ!?」
しかし腹をすかせたヘビらは、どうやら狙いを定めたようだ。そちらの男女二人組へ……。
「な、なんでこっちに来るの!?」
「しっしっ!! あっち行け!!」
「に、逃げましょう!!」
シキャーッ!!っと彼らが飛びついていったのは、例の両親。
さもありなん。そんな大量の花を抱えていたら、ヘビはそれに惑わされ、どこまでも追い求める。
「い、いやぁぁ!!」
とうとうヘビに巻きつかれてしまったようだ。毒はないんだっけ?
「ぷっ……」
「リタ?」
「きゃははははは!!」
彼女は指をさし、お腹を抱えて笑っている。まぁ毒さえなければ、ヘビに絡まれ右往左往しているただのマヌケな絵ヅラだ。
「ふふっ。そうよね、ヘビはなんだか厄除けしてくれそう!」
ここは大笑いしてやりましょう!
彼らは買い集めた花もすべて投げ出して、広場から逃げていってしまった。その花はこの辺りにいた小さな子どもたちが拾い、各自持ち帰るようだ。
「本当にどうしようもない親だな。子どもを忘れていくなんて」
「この子、返すの心配ですね……」
「仕方ない。もう自警団に渡しておくよ。子どもを見失っていることに気付いたら団に問い合わせるだろ」
「責任を押し付けられた使用人が血眼になって探していそうだわ。早く届けられるといいのだけど」
リタは名残惜しむ様子で、眠るニルスに別れを告げた。
**
ヘビに恐れをなして多少減った参加者も、そろそろその列が途絶えた。
そうだ、私は慌ててここに来てしまったけれど。
「この絵しか買ってない!」
「ん? まさかエレーゼ、何も考えずにあいつらを阻止する一念でここに来てしまったのか?」
そのまさかです……。
その時、私の横をすっと通り過ぎる影が。
────エイリーク様!
ふっと振り向いたまま、私は彼を追った。
「「持ってきました」」
壇上で重なる声。
「あら、あなたたちで最後かしら?」
彼と私はそこで目を見合わせる。
「あ、僕たちはチームではなくて」
「? そうなの?」
シャルロッテ様は私たちがペアだと思った様子。
エイリーク様はここで優勝して、その賞品を、後ろにいる彼女にプレゼントするつもりなの? シャルロッテ様の性格も重々把握しているわけだから、自信がおありなんでしょ。別に賞品なんて、彼にしてみたら大したものではないはずなのに、欲しいのは彼女とのデートの思い出……とか?
「じゃあ、エレーゼの方からどうぞ」
彼は紳士らしく、一歩下がった。