⑥ この広い世界のどこかに
あなたは誰と尋ねたら、彼はマスクの下で不敵な笑みを浮かべたような気がした──。
怪物マスクを被るこの『彼』は、確かにエイリーク様の顔だ。声もそうだ。今それを引っぺがしてもエイリーク様が出てくる。
でもこの人はなんだか違う。中身がなんだか……システマティック?とでもいうの? 行動に迷いがなくて、いちいち素早い。そしてざっくばらんな性格。とても器用な人の手際。
私は彼が油断した一瞬の隙を狙った。私の視界に私自身の、標的に襲いかかるふたつの手。それらは彼の、フランケンシュタインマスクへと一直線にとびかかる────!
「うわっ何するんだ! 奇襲なんて卑怯な!」
「とりゃああ! 観念なさいっ!」
とっとと正体を見せるのよ!
「!」
「らんぼー者だなぁエレーゼは……」
無理やり頭にずらしたマスクは彼の顔を現し……。
「やっぱりエイリーク様……?」
ううん、違う……。でもこれ、目で確認したところで答えは出ない。彼の口から説明してもらわないと。
私はいったん手を離した。彼はマスクをかぶり直し、説明してくれるかのように見えたが。
「あれ、君が目を離した隙に」
「……え?」
リタがいない!
「まさかまたあの親のところへ!?」
「自暴自棄の気分でアテなく彷徨いたくなったんじゃないか。まだそんなに遠くへは行ってないはずだ。手分けして探そう」
「は、はいっ」
「エレーゼ、そこの広場の噴水で待ち合わせってことで」
私は頷いて駆け出した。
勢いづいてみたけれど、近場をよく見るのがいいわよね。子どもが集まっているところを重点的に。
「わははは! なにこのドラキュラ弱っちい──!」
「やーいドラキュラ~~ガーリックだぞ~~怖ぇだろ!」
「ちょ、ちょっと! 乗っかるな!」
「おっ。このドラキュラ、いっちょ前にサングラス持ってるぞ! 日の光が怖いのかァや~~い!」
あら、子どもが集まってると思ったけど、男子だらけね。リタはいなさそう。
私はそこを離れようとしたのだが。
そこのドラキュラ、見るからに大人なのに、子どもたちにいじめられててかわいそう……亀みたいになってるし、助けてあげようかしら。
「こら! 子どもたち! 弱い者いじめはやめなさい!」
「ん? なんだよ赤ずきん! 俺らとやんのかこら!」
下町にはタチの悪い子どもがいるのね……。
「あっ! エレーゼ!」
「えっ!?」
ドラキュラが私の名を呼んだ! 私ドラキュラに知り合いいませんが!
「ん? その声は……」
彼は子どもたちのいじめに耐えつつ、自分のマスクをずり上げた。
「エイリーク様!?」
ずらしたドラキュラのマスクの下から、白皙の端正な顔が──。
────これが本物のエイリーク様だ……。
子どもたちの攻勢をひっくり返し、彼は私を広場の噴水まで連れてきた。
「さぁ、帰ろうエレーゼ」
「ええっと、ちょっと頭が混乱しているのですが、迷子を探していて今はまだ帰れません」
「迷子? 自警団に依頼しておけばいいじゃないか」
「あまり事を荒立てるのも……。自警団も忙しいでしょうし」
彼はいつものごとく鼻から息を抜いた。また何か厄介事に首を突っ込んでいる、と呆れた表情だ。
「その赤ずきん、誰に被せられた?」
あれ、なんか怒ってる?
「あなたこそ、そのドラキュラ。キャラクターにお似合いでないと思います」
どうせ私にこんな真っ赤は似合いませんよね!
「あなたも協力してください」
「協力?」
「実は、孤児院を抜け出してきた子と出会って……。見つけるのもですが、それからのことも……」
「エレーゼ!」
ここで背後から私を呼ぶ声が。リタをおぶった、フランケンシュタインの怪物の『彼』であった。
「見つかったのですね! 良かった」
「ああ、キャンディー露店の前でうろうろしていたよ」
「リタ、ダメよ。怖い人に連れ去られてしまうかもしれないわ」
自暴自棄の子にそんなこと言っても仕方ないわね。……んっ?
「エレーゼ、帰ろう」
後ろから急に両肩を掴まれた。
「……?」
マスクで表情は見えないが、今のエイリーク様はなんだかピリピリしている。伝わってくる。
「あ、あの。いろいろ聞きたいことがあるのですが。まずは私の話を聞いてください」
私は彼にリタと出会ってからのことを話した。彼の意見を聞きたかったから。
近くでフランケンシュタインの『彼』に抑えつけられているリタは、やはり悲しみのあまり泣き出してしまった。
「泣かないでリタ。今日はこの人がいっぱいキャンディーを買ってくれるから。孤児院のみんなの分も」
「だからエレーゼ、今日だけどうこうしたって余計に虚しいだけだよ」
「そうだけれど……っていうかあなた誰ですか!」
フランケンの『彼』と私が言い合いを始めた中、エイリーク様はリタの頭を優しく撫でる。
「そうか。君は捨てられてしまったのか」
「おかあさんは……わたしなんていらないんだ。なんどもいってた。ニルスがいればわたしなんかいらないって」
「…………」
私は彼女のその言葉に絶句してしまった。こんな小さな子に言うことではない。許せない。
でも、そういえば、私もそんな不安を抱いたことがあったような。いい子にしてないと、期待に応えないと……「私はいらない子」かもしれないって。状況は違うけど、そのとき私は、何て言って欲しかった?
「なのに君はそのおかあさんのところに帰りたかったの? そんなひどいことを言われたのに」
「だって、わたしのおかあさんだもん……」
「そうか」
彼はよりいっそう彼女の頭をよしよしと撫でる。そして撫でながらドラキュラのマスクを額まで上げた。
「でもね、君のことが大好きで、一緒にいたいって思ってくれる人は、おかあさんだけじゃないんだ」
「え?」
「他にもいるんだよ、君とずっと一緒にいたいっていう人が」
「…………」
目を見て言葉を伝えるためにマスクを取った彼は、いつもの3割増しに優しい表情をしている。
「いない、そんなの」
「君はまだ小さいからね、まだいろんな人と会ってないだけだ」
「こじいんの先生も大きい子たちもみんないじわるだもん」
「いつか広い世界に出られる。そうしたらきっといる。君が必要だ、って人が」
「エ、エイリーク様、そんな子どもに難しいことを」
「難しいか? 単純なことだよきっと。ねぇリタ。外の世界に出たら、君のことが大好きだっていう人を探すんだ。でもその時にね、君が意地悪でいたら、そんな人は見つからない」
少し顔に赤みのさしたリタは、また物怖じした様子だ。
「孤児院でもみんなに優しくするんだよ。君が優しくしたらみんなも優しくしてくれる。今は孤児院という小さな世界だけど、そこで外の世界に出る準備をするんだ」
そういって彼はリタを持ち上げた。
リタ、いくら6つくらいとはいえ、このエイリーク様の微笑みパワーに抗えるわけ……ないわよね?
「うん……」
「じゃあ今日はキャンディーを買おう。孤児院の人数分」
「うん!」
すごいエイリーク様、リタを素直にさせちゃった。まぁ、こんな王子様みたいな人にそう言われたらね。あなたがずっと一緒にいてよって言いたくもなる──……なんてことないけどっ。
リタは抱っこが嬉しいようだ。こっちのフランケンシュタインの『彼』も抱えてはいたけれど、けっこうぞんざいだったからな。
「これ、なに?」
「ドラキュラ用のメガネだよ、欲しい?」
「うん! どうやってつかうの?」
「こうやって耳にかけて……」
さて、その『彼』についても話してもらわないと。ここまで顔が同じで赤の他人です、ってことはよもや有り得ないだろう。
「あ──いたいた、エイリークさん?」
「!?」
『彼』のことを聞こうとした私の言葉を遮ったのは、ひとりの女性の登場だった。
「ああ、カリン」
知り合い? そちらの町人風の女性は、いったい……。
「もう、どうして離れてしまったんですか」
「すまない。いつの間にか子どもたちに絡まれて……」
「そんな格好してるから」
女性がくすくすと苦笑いする。
「そんなことより、返すものもあるし、君もぜひ馬車で……」
なんだか、妙に親し気なのだけど……見つめ合っちゃって……まさか……。
まさかナンパした女性────!!?