⑨ 君の喜ぶ顔が見たいから
振り向いた私の目に飛び込んできたのは、棺から身体を起こしたばかりの彼と、情景が信じられない様子で震える彼女が見つめ合い、そこを小人たちが囲んでいる風景。
窓から差す光に照らされ、この夏場にそこだけ春の陽気。再会したふたりは、また恋に落ちてゆく?
「ケネス……生きててくれてありがとう」
「サラ……?」
「ずっと一緒にいるわ。これからはいつもあなたの隣に。だからお願い、一瞬でも長く生きて」
「ずっと、一緒に……いてくれる?」
「そのためにあなたの妻になったの。そんな当たり前のことを、忘れててごめんなさい」
まさにそのとき、弱々しい彼の細腕が、力強く彼女を抱きしめた。
今しがた、ちびっこに引っ張られ入り口の近くにいた私は、ギギィと音を立てた扉に気付く。
「エイリーク様!」
「エレーゼ、こっちは全部片付いたよ」
「ありがとうございます!」
「詐欺師兄弟は今から拘置所に送る。取り返した銀貨の壺は、貴重品だから僕の家来がいったんノエラ家に運んだ。明日にでも……おおっと」
そこで緊張の糸が解れたのか、私は足腰の力が抜けてしまい、彼に向かって倒れ込んだ。
「怖かった……。目覚めなかったらどうしようかと……」
彼も棺で抱き合うふたりを目にする。
「君の計画はうまくいったんだね。君、やっぱり魔法使いなんじゃ」
「いえ、大事なのはこれからなんです。彼らがちゃんと向き合って、ふたりの落としどころを見つけてくれればそれで、私としてはやった甲斐があったかな……」
「でもこんなお節介を焼き続けていたら、君の身が持たないよ」
「…………」
だって元はといえば、彼女があなたの愛人だから……。
そして明日また彼らの家に伺うことを告げ、私たちはノエラ邸への帰路につく。
今夜はそちらで宿泊することにした私だが。
「はっ! 男性宅にお泊りなんて連絡したら、お父様が卒倒しちゃう!」
「意識過剰だよ……」
彼の呆れた呟きは私の脳がシャットアウトした。
**
翌日、彼らの小さな家で私たちは、銀貨の入った壺を渡した。
「あなたのかかりつけの薬師は次の町へ旅立つとかで、ノエラ家が一時預かったの」
「そうだったんですか」
信頼した男は詐欺師だった、とはやはり言いづらく、エイリーク様と相談してこう報告することに。さすがに公開処刑になるというのでもないから、明るみにはならないはずだ。
「これだけ銀貨があれば、しばらく根詰めて働かなくても大丈夫ね」
「はい。なのでエレーゼ様、申し訳ありません。近所でできる仕事をしようと思っていますので……」
「まぁ我が家としてはね、勤労メイドを失うのは痛手だけど仕方ないわ」
夫婦の時間を邪魔したら馬に蹴られて死んでしまうから!
「僕はいつまで生きていられるか分かりませんが、彼女が隣にいてくれる限り、希望を捨てず、病魔と戦い抜く覚悟ができました」
「病は気からっていうし、心が強くあればきっと寿命も延びるわよ」
「それにしても、エレーゼ様がノエラ様の未来の奥様だなんて。町娘の風体にすっかり騙されました」
ケネスの言葉にみんなで笑う。まぁ、町娘がハマり役ですから……。
「実は、話があるのだが」
そこでエイリーク様がケネスに向かって口火を切った。
「もし君が本当に、彼女のために苦難を乗り越えてでも生きようというのなら」
「エイリーク様?」
何を言い出すのだろうと私はこの瞬間、訝しく思う。
「ノエラ家が医師を紹介してもいい」
「「「え?」」」
「その手腕のわりにはリーズナブルな医師を知ってるんだ、我が家は」
エイリーク様の言に彼らはふたりして固唾を飲んだ。
「えっと、僕の病は、町のどの薬師に相談しても、原因不明で手の付けようがなく……」
「それをもしかしたら、どうにかできるかもしれない医師がいるんだ。絶対に、とは言わないよ。ひとつの可能性だ」
「エイリーク様、それはどういう……」
この私の問いかけは、彼の思わせぶりな笑顔でさりげなく遮られる。あとで説明してくれるということか。
「もし健康を取り戻せるなら、何だってします。どんな痛みを伴おうとも、なんでも耐えます。でも、僕には資金となるものがまったくなく……」
「この銀貨では足りませんよね……?」
「サラ、それは君のだ」
「私たちのよ」
また譲り合って口論になりそうなふたりだ。
「うーん、やっぱり君が働いて稼ぎたいんだよね?」
「はい、でも身体が満足に動かなくて……」
「じゃあ、こういう労働はどうだろう? ベッドの上で仕事をするんだ」
「「「ベッドで?」」」
「字は書けるんだろう? 最近、書物の需要が高くてね。しかし印刷がなかなか間に合わず、ノエラ領の書籍の値段はとても高価だ。だから朝から晩まで、出版物を写しに写して、身体の許す限り働いてもらうよ」
「それで、医師の診療を受けさせてもらえるんですか……!?」
結論として、エイリーク様は温かな微笑みと共に頷いた。
「ありがとうございます! 頑張ります……!」
「本当にありがとうございます!」
ふたりそろって開けた道への期待に胸を弾ませる。きっとここから明るい未来が待っていると、私もそんな予感がするのだった。
ふたりの家をおいとまし。
「あ、あの、エイリーク様!」
馬車に乗りかける彼を引き止め、尋ねようと思っていたことを。
「あの、医師というのは……」
「ああ、彼の病は、町の薬師にはどうしても治せないものかもしれないけど、外国で研究している医師に任せてみたら或いはと思ってね。シャルロッテに頼んでおいたんだ」
「シャルロッテ様に伝手があるんですか!」
そこで私は思い出した。彼女が確か言っていた。彼に頼まれたって。でもそれは彼にとって言い出しにくかったことで、でも、“私のため”って──。
「まぁでも、若い医師だから。臨床経験の多い医師はさすがに高額すぎるしなぁ。ただチャンスに賭けてみるのも悪くないだろう?」
私が喜ぶから? 本当に?
「もしこれもうまくいけば、君の計画は完璧に遂行したことになるかな?」
少し頬が染まってる。彼はよく、こんな照れた顔をする。
「はい! あなたの気持ちが嬉しいです!!」
私は、彼のそんな顔が好────
「エレーゼ様!」
その時、後ろから急に呼びかけられたのでびくりとして振り向いた。
「サラ?」
「あのっ、お話がっ……」
「じゃあ僕は先に帰るよ。君も遅くならないように。父君が心配して待っているんだろう?」
「あ、はい。ではまた来週に。……どうしたのサラ?」
かなり急いで来たような彼女は息を切らしている。乗る馬車の手前で、私は彼女の言葉に耳を傾けた。
「ええと、失礼を承知で申し上げますが、エレーゼ様はずっと、何か誤解をされていらっしゃるのだと……」
「?」




