⑦ 引き受けましょう、魔女の役
「あらー? エレーゼ、なんか元気ないわよねぇ」
ノエラ邸での昼下がり。ただいま、シャルロッテ様とのティータイムの最中だ。
「あ、ごめんなさい。考え事を……」
「ふぅん。じゃ、今日の辛気くさいエレーゼは、普段から辛気くさいエイリークと相殺して元気になってね」
言いながら彼女は退席してしまった。気を遣ってくれたのだろうか。
「普段から辛気くさいって言われてますよ?」
「悪かったな。普段から辛気くさくて」
「そうは言っても、日ごろから連れ回されてますよね」
「で、どうしたんだい、今日の君は」
「えーっと……」
私は彼に計画の決行を話す。
「そんな大それたことをって、引いてしまいますよね」
「まぁ、引かないといったら嘘になるけど。それより」
「?」
「そんな薬、どうやって手に入れたんだ?」
ああ、その説明しなくてはいけないのか。でも、“手に職を計画”のことは、まだ話す勇気がない。
「僕たちはそりゃ、世間的には上流階級だから、どんな伝手があっても不思議ではないけれど。薬そのものだけでなく、君本人が使用するというなら……」
あらら、意外とこの人は鋭いのかな。言い当てられたら何て言い訳しよう。
「もしかして君は魔女なのか?」
「はい?」
真面目な顔で何を?
「自然の植物から合成したり熟成させたりして、ふしぎな効果をもつ薬を生み出すという、あの……」
「妄想が過ぎます。薬を作ったのは、ストラウド領内に住む薬師です」
「ふぅん……」
この人、鋭いんだか、どうなのか。
「で、実は迷っているとか? 人を未必の故意で死なせてしまうかもって」
「いえ、計算は間違ってないです。成功させてみせます。でも、そのことじゃなくて……」
彼はきっと、私のどんな決意をも受け入れてくれると感じたから、今、素直な気持ちを打ち明けられそう。
「私、嘘ついてばっかり……」
「嘘?」
「あなたに会ってからも、ううん、たぶんずっと前から、いっぱい嘘をついて、自分を偽ってる」
「…………」
黙ってしまった。やる気まんまんだった本人がこれでは、呆れてしまうわよね。それに、今までどんな嘘ついてきたんだって、やっぱり引いてしまってる?
「特に今回は、命がかかっていることだから後ろめたくて……」
そこでエイリーク様は、なぜか噴き出したのだった。
「なんですか!」
「大真面目だなぁエレーゼは。嘘くらい誰でもつくよ」
そう言う彼の微笑みは相も変わらず優しくて、私の目にはもうそんなふうに映るようになっているのかもしれない。
「小さな嘘じゃないんですよ! 子どもの頃、こっそり厨房に忍び込んでパンケーキ盗み食いして、あとで食べてないって嘘ついたことあるんですけど。それですら地獄の番人に舌を抜かれるって、お母様の言葉を思い出して、怖くて眠れなくなって。その時の思いが、また……」
「うん、でもね。たとえばエレーゼが僕のためを思って嘘をついたとしたら、それは僕の中で真実になるんだ」
「え……?」
「僕はそう思う。他の人には押し付けられるものでないけど。まぁ、どうせやるなら気にしない」
「……はい」
ふしぎ。心のつかえがとれた気がする。エイリーク様の言葉には、なんだか私に作用するふしぎな力があるみたい。
「じゃあ何が起こっても、あなたと私は一蓮托生ですね?」
「顔が急にワルくなったね……」
たとえば薬師のところに弟子入りしているとかの隠し事は、いつかちゃんと話せばノーカウントになるわよね?
あれから数日たったこの日、お見舞いと称してサラの夫・ケネスのところへ出向く。今は馬車の中、エイリーク様と打ち合わせをしている。
その間にも、私は師に言われたことを思い出していた。
────「この薬を用意するのは君でも、君が患者に飲ませてはいけないよ」
「どういうことですか?」
「あくまで選択するのは患者本人。患者が拒否するものを飲ませてはいけない。それはただの犯罪だ」
「は、はい……」
「これは薬師の心を守るためなんだ。分かったね」
「はい。肝に銘じます」────
「エイリーク様」
「ん?」
「ここまで計画を立てて、あなたにも協力をお願いしておいてなんなのですが、一応、患者本人の意思を尊重することが前提なので、場合によっては全て白紙になるかもしれません」
「いいよ。そういう時はちゃんと指示してくれれば。しかしどう転んでも詐欺師は放置しておけないから、それには対処しなくてはいけない」
「はい」
私はまた平民に扮し、サラの友人を装って夫婦宅の戸をくぐった。同じく平民に扮したエイリーク様は狭い庭でひっそり待機している。
「来てくれたのか、ありがとう。でも今日も、サラは帰ってこない日でね……」
私を目にして起き上がったケネス、また更なるやつれ具合だ。
「今日はあなたのために来たの。毒りんごを持って」
「毒、りんご……?」
「そう、毒りんご。正確には、毒とりんご。これは前と同じ普通のりんごよ、ここに置いておくわね」
「……ありがとう」
「実は私、毒を手に入れたのよ」
この瞬間彼は、豆鉄砲を食らったような顔になる。
「山林で咲いている花からとれる猛毒。興味ない?」
「……僕が以前、死にたいって言ったからだね?」
「うん、そう……」
「嬉しいよ、僕の死にたいって気持ちを認めてくれるんだね」
心底嬉しそうだ。身体が苦しいのか、それとも、心? その両方?
「本当に、あなたが心から死を望むなら、この、飲めば一瞬で死に至る毒をあげる」
言いながら薬の入った瓶をカゴから取り出し、彼に見せつける。今の私はさながら悪い魔女だ。
「本当なんだ。これ以上サラのお荷物でいたくない。銀貨も十分貯まった頃だし。もう僕はこの世にいちゃいけないんだ」
この彼の凝り固まった考えをどうにか温めほぐして、前向きな人生に戻せるのはサラしかいないから。
「じゃあ、これで死んでみればいい。でも、ひとつやらなきゃいけないことをやってからよ」
「やらなきゃいけないこと?」
私はカゴの中に忍ばせておいた紙とペン、インクを渡した。
「ちゃんと遺書を書いて、銀貨のことをサラに伝えて。あなたの文字で」
「え?」
「だって、ちゃんとあなたが伝えないと、私にあらぬ疑いがかかったら困るし。あなたがこの世を去ってからのことなんだもの、どうせすべて露呈するのだから、はっきり彼女に未来のことを示してあげればいいでしょう? あなたの希望も、愛も」
「そうだね……。分かったよ」
彼は私の助言を聞きながら、遺書を書き上げた。
「じゃあ、本当に後悔はないわね」
「ああ」
「最後にサラの顔を見なくてもいい?」
「僕は顔に出やすいから。いいんだ、いつも、今だって僕の心の中に笑顔の彼女がいるんだ」
「そう……。じゃあこれを一気に飲み干して」
私はたった今、人の弱った心につけ込み安楽死を唆す、怖ろしい魔女。