⑥ やりがいとしあわせ
────人を殺してしまったら?
師の率直な問いかけに、私はいったん言葉を失った。
「…………」
「まさか机上で学んだことを実践すれば、絶対にしくじることはない、なんて自信があるわけではないだろう?」
「自信があるなんて言えるわけありません。でも、そっちじゃなくて、私には……自信があるんです。これがうまくいけば、あのふたりは幸せになれるって。だってふたりの間には、うまく言えないけど、ちゃんとそうなれる芽があるんだもの!」
「ほう」
「でもこのまま放っておいたら、彼はどんどん弱っていって……彼女はそれを知らずに働き続けるだけ。変えなきゃいけない状況です。相手への思いやりゆえに、追い詰められている現状を」
「そうだね」
「医術や薬は、人を幸せにするためのものでしょ。だから医療薬をそこに使うことが禁忌だとは、私は思えなくて……」
「若いなぁ……」
師は呆れたように言った。
「本当はここで、バカなこと言ってるんじゃないよと、君を叱咤するべきなのだけどね」
「師?」
「薬というのは現在、開発途中なんだよ。いや、開発は永遠に終わらない、我々のような職の者にとって」
彼の目がふとした隙に、遥か遠いところを見た。
「この薬は“禁断の魔術”、今現在は、と言ったよね」
「はい」
「きっといつか、禁断というほどでもなく、魔術というほどでもなくなる世が来るんだ」
「そうなんですか?」
「そのためには、我々が何度も何人もの患者に対し使用し……。そう、彼らを治すつもりで、実験を繰り返しながら、改善していくしかないんだよ」
今度の彼は伏し目がちに言った。
「だから、君が使用するのを諫める権利が僕にあるのかな、という気もする」
「…………」
「そしていつか、君が薬師として独り立ちした時、すべての薬の使用は君に委ねられる」
「!」
そうよね。焦ることでもない、当然の話。でも。
「改めて言われると怖いです。思えば今まで、真剣に考えたことがなかった」
「君は必死だったからね。週に2・3回とは言え、よく頑張って修行に付いてきた。いいところのお嬢様なのにね」
「えっ……知ってたんですか!」
「どう見ても君の手、庶民のものじゃないでしょ……。そんな子がどうしてこうも懸命に働くかなと思っていたよ。でも、君のひたむきな姿勢にね、僕は応えたいと思ったんだ」
「勉強は辛くても、まじめにやらなきゃいけないと思っています。やると決めたことは、最後まで」
それもお母様が口を酸っぱくして言っていたことよ。
「そんな真面目な君が次の一歩を踏み出すというなら、僕は目を瞑ってしまうな」
「次の一歩?」
「何度でも確認するけど、君がそれを失敗したら、君は殺人者だよ? それを受け入れて責任取ることは可能かい?」
「責任……」
私は固唾を飲んだ。
「責任って、どうやって取ればいいんですか? 医術で失敗して人を死に追いやったら、その家族に、薬師はどう対応しているの……」
「どうだろうな、遺族に対し、責任取れる薬師なんていないんじゃないかな。命は戻ってこないのだし」
「ええ?」
「失敗して、結果、殺人者となったら、本人がそれをどう背負っていくかだと思うよ。医術のための尊い犠牲だと割り切るか、それとも辞めるか。その結果をどう次に繋げるか、遺された者にどう寄り添うか、薬師の数だけ仕方がある。だからやっぱり君を止めないよ」
彼は私を一歩先に押し上げようとしてくれている。こうして、
「何が起きようとも、人を幸せにしたいという理念が、君の中にあるのだよね」
厳しいような、なのに優しいまなざしを投げかけ、確認する。
人を幸せにしたいという思いのうえで。これがいちばん大切なこと。
「……最近、ふと感じたんです。人の幸せって巡り巡っていて、どこかの誰かが幸せだと、もしかしたら私も幸せになれるんじゃないかって」
……どうして、そんなふうに感じたんだろう。幸せなんてどこかの他人の個人的なもので、私にまわってくるものではないと、そう思っていたのに。
だけどやっぱり、たとえ赤の他人でも、人は笑顔の方がいいじゃない?
「私も幸せを感じたいんです。つまり、自分自身のためなのですが」
「それが普通だよ。その通りだ」
彼はそこで立ち上がり。
「よし、失敗の確率をがっつり下げるために、今から使用方のおさらいをしていけ。朝まで付き合うから」
「はいっ!」
こうして、私は“禁断の薬”を手に入れた。
これは使用者の綿密な計算の上で人を仮死状態にする、未解明の危うい魔法だ。
師に教わった通り、計算に計算を重ねて、患者の体格に合わせ、一定時間だけ仮死にするギリギリの分量を割り出した。でもきっと私は、彼にこれを飲ませる時、震えてしまうのだろう。迷いのあるうちは必ずそう。
そういえば今日はサラに給金が渡される日。執事長の仕事だけど、私から渡すことにして、その時ちょっと話してみようかな……。
「まぁ、こんなに頂けるのですか!」
「あなたは特別に頑張ってくれたから、ちょっとだけ心付けをね」
「嬉しいです! 私、もっともっと頑張って働きます!」
銀貨の袋を手にサラは、喜びを少しも隠さない。目がうるうるしている。
「雇い側としては、その心意気は嬉しいけど、無理をしてはだめよ。あなた、あまり満足に寝てないんじゃない?」
「え……えっと私、眠りが浅くて、あまりよく眠れないのです。だからどうせなら働いている方が……」
「サラは病弱なご主人のために、身を粉にして働いてるのよね?」
「えっ? どうしてそれを……」
あ、尾行したことがバレてしまう。
「それは、えーっと、ノエラ家の奥様が……あなたをここに送ってくださったシャルロッテ様ね、あの方が教えてくれたの! 夫のためにたくさん稼ぐ必要のある子だからって!」
「は、はぁ……」
「でも、彼は本当にそれを望んでいるのかしら」
私はできるだけ落ち着いた声のトーンで、これを言葉にした。
「はい? どういう意味ですか?」
もちろん彼女は怪訝な顔になる。
「彼はたとえ稼ぎが半分になったとしても、もっとあなたと一緒に時を過ごしたいんじゃない? でもあなたを部屋に閉じ込めて、病人の看病させるのが忍びないとかで、言い出せないだけでは……」
「なんで他人がそんなこと言えるんですか!!」
「…………」
私は気の弱そうな彼女がこんなふうに憤り、怒鳴ることを予想していなかった。
「だ、だって」
「ごめんなさい……。主人に向かって、こんな恩知らずな口を……」
「いえ。私も、そりゃ他人だけど、想像してしまったというか。きっと彼は寂しいだろうなって。せっかく夫婦になったのに、ずっと離ればなれで……」
彼女がそれから私と目を合わせることはなく。
「午後の仕事に行ってきます……」
「あ、そうだ。私、あなたのご主人のところへお見舞いにいってもいいかしら?」
「ええ? そのようなことをエレーゼ様に……」
「私、慰問が好きなの! 趣味なの! 悪いようにしないから。なんなら手伝いの出来るメイドを連れていくから!」
「はぁ……。お心遣い、ありがとうございます……」
去り行く彼女の背中を眺めながら、なんとなく思った。彼女も後ろめたさを感じている。きっと、薬を飲んでいれば病が治るなんて、前向きな気持ちで資金稼ぎに没頭していない。
それなら私は、お互いに本当のことが言えないこの夫婦に対して、堂々と嘘をつく。
お読みくださいましてありがとうございます。
ここでの「薬」は麻酔薬ではなく「おとぎ話の中の架空の秘薬」という位置づけでお願いいたします。あと主人公の倫理観も、あくまで「中世」のものということで…(汗)