① 「好きだ、付き合ってください」とは、すなわち…
今夜も私は夢をみる――――。
これはこのあいだの夢の続き、だいぶ前の記憶。
齢10にもならない小さな私は、ある部屋の扉の隙間から、椅子に腰掛けキャンバスに向かい、絵筆を一心に操る美しい横顔の少年を見た。
大きな窓から光が差し込み、彼の輪郭はキラキラと輝いて、まさか芸術の神の隣にいる天使だろうか、なんて思った。
「? そこにいるのは?」
天使に話しかけられ、私はびくっとする。
「あ、ごめんなさい。覗き見てたりなんかして。綺麗だったから……」
彼は目を丸くして、そして微笑んだ。
実態が分かると彼は天使というより、王子、といったふうだった。
「いいよ。入っておいで」
招かれた私は彼に歩み寄り、そのキャンバスに目を向ける。
そこに描かれていたのは、真っ青な海の世界。宙の神秘を思わせる群青のグラデーション。大きな月の放つ青白い光に導かれ、海面でさざ波がたゆたう。この海の底ではきっと、たくさんの生きものが朗らかに歌っている。
「すごい! これ、あなたが描いたの!?」
「う、うん」
「すごいすごい! この世界に入っていきたい!」
「君は、この世界、好き?」
「ええ! きっとここから生きものは生まれ、そして還っていくのだわ! これ、この窓から見える景色なの?」
私は窓に小走りで寄った。確かにそこから見えるのは、明るい海とまぶしい砂浜だった。
「これはね、僕の心の中の海を描いてるんだ。この海の世界は広くて大きくて、果てしなく深い。そんな空想をしていると、僕の悩みなんてちっぽけなことなんだって、心が楽になれるんだよ」
「悩み? ……あ、隣のキャンバスは? これも海ね」
彼の描いていたキャンバスの、背中合わせのそれも確かに、同じ海の絵ではあったが。
「こっちはとても写実的ね。そこの海そのもの……この色の表現、すごい……。まるで本物だわ。輝く波面が今にも押し寄せてきそう」
「ああ……」
「これはあなたが描いたものじゃないよね?」
「分かるのかい?」
「だって全然違うもの。私これでも、絵画はちゃんとお勉強してるの」
それくらいは嗜んでおかなければ、とお母様がうるさいから……。
「すごいよな、これ。水が生きているみたいだろう?」
「うん、すごいと思う。でも、私はこっちの、心の中の海が好き」
「え?」
「こっちのがもっと大きくて優しくて、この海に包まれたいって思う」
「包まれたい?」
「だって優しいもの。もっとこういうの描いてほしい!」
「本当? そう思ってもらえるなら、僕、もっと頑張って描くよ」
「うん。きっとあなた、有名な画伯になれるわ!」
────「お姉様! お姉様!」
ん? あれ。私、どなたかのお屋敷に招かれていて、そして……。
「あら、ここは我が家ではないの」
「寝ぼけてないで。おはようございます。ねえ、何かアクセサリーを貸してくださる? たまには趣の違うものを身に着けたいの」
朝から我がままアンジェリカ。みていた夢を一瞬で忘れてしまった。
「この真珠のネックレスをお借りしますわね。そういえばお姉様、今日もあちらに伺う日では?」
「あ~~そうっ、急がなきゃ! 支度手伝って!」
「メイドを呼びましょう」
私がドレスを着ている間、アンジェリカは隣に腰掛け、何やらグチグチと愚痴をくり広げている。なんでも初対面から猛アプローチを仕掛けてくる殿方がいるとか。
「一目惚れされるのは慣れっこでしょう? そこまで毛嫌いしなくても」
「慣れてはいますが、そんなに私を欲するなら、求愛も慎重になるべきですわ」
慎重でない求愛は愛が足りないのだとか、「あなたどれほどご自分に自信がおありで?」とかで腹が立つようだ。なんて贅沢な話だ。
「好きだ好きだ叫ぶだけで私が手に入ると思ったら、大間違いです」
「好きだ好きだなんて一直線に求められたら、普通は嬉しくないかしら?」
求められたことがないので分からないけど。いや、他人事だからそう言えるのか。
「お姉様、分かっておりませんわね」
「何が?」
男女間のたいていのことは分かってないと自負しているわ。
「殿方の“君が好きだ”は、“君の裸が見たいんだ”と同意ですのよ。滅多に口にするものではありませんわ」
「はぁ? 何それ??」
「恋の告白はそういうことですの。だから安易に言葉にされると、軽く見られているようで不愉快です」
つんとすましたアンジェリカを尻目に、私は口を半開きにしたまましばらく固まってしまった。
支度を終えた私は馬車に乗り、2時間かけてノエラ辺境伯家の邸宅へ。
本日のシャルロッテ様はどういったご予定だろうかと待っていたら、メイドよりエイリーク様の今いるお部屋への案内を受けた。
「ここでいいわ。案内ありがとう」
部屋の前でメイドは一礼して下がり、私は扉をノックしようとした。すると、中から会話がうっすら聞こえてくる。
あら、どなたかと一緒かしら、と気付くと同時に聞き耳を立てていた。
低い声と高い声。エイリーク様はきっと女性といる。一緒にいるのはシャルロッテ様?
なんだか女の勘が、私をソワソワさせる。扉へ耳を、より押し付けてみる。
「……では、裸を見せてくれ」
「……はい」
────は?? ……今、言いましたね? 裸うんぬんって。シャルロッテ様にそんなこと言いませんよね。言ったら半殺しでは済まなさそうだ。
“好きだ、は君の裸が見たいんだ、と同意” ――いや、エイリーク様、そのままダイレクトに言いましたよね。
そこに一緒にいるのは、まさか「好きな人」────!?
「エイリーク様!!」
私は全力で扉を開けた。
「「!?」」
この目に飛び込んできたのは呆けた顔のエイリーク様と、上半身の衣服を脱いだ妙齢の女性……。とても白い肌の、か細い肩、腕の、綺麗な女性。私の突撃に驚いた彼女はさっと胸を隠した。
「エレーゼ?」
なんだか頭が朦朧としてきた。
「たっ、確かに、あなたは私たちの間で子を作らないとおっしゃっただけで、愛人を作らないとも、その人との間に子を作らないとも……」
「エレーゼ、何を言ってるんだ。ああ、もうこんな時間か。シャルロッテを呼んでこよう」
「べっ、別に構いませんけど!! 私、全然気にしませんけど! でも、こんな、約束した時間にそんなこと始めようだなんて……最低ですっ!! もう実家に帰らせていただきますっ!!」
「エレーゼ!?」
部屋を飛び出し、無我夢中で走った。そこで階段を下りようとした時。
「あっ、あの……」
さきほどの女性が私を追いかけてきた。上半身の衣服は脱いだまま、胸だけ隠して。
「あのっ、誤解ですっ。私はっ……」
彼女が手を伸ばしてきたので、私は軽く振り払い、階段をさっさと下りていった。
────頭が働かないの。まっすぐ玄関まで走らないと、目の前が真っ暗になって帰れなくなってしまいそう。
しかし、玄関に辿り着いた私にまた声が掛かる。
「あら、エレーゼ? もう来てたの?」
「シャルロッテ様……」
後ろから彼女は現れた。
「あの、申し訳ありませんが、私、今、突然の体調不良で、今日はちょっとお付き添いできそうもなく……」
「あら、大丈夫? うちの寝室で休んでいくといいわ。すぐメイドを呼ぶから」
「いえ、帰りますっ」
「でも、お家までの道のりは」
「大丈夫ですからっ」
私は庭に停めてあった馬車に飛び乗った。
「はぁ……」
これは仮病じゃない。本当に気分が悪い。どうしたっていうの。私、ここに来るまでの間、この訪問がちょっと楽しみだったのに……。
あれ? いつから「ちょっと楽しみ」になってたんだろう……。
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