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⑧ 地獄の沙汰も……?

 その次の訪問から、彼女はどんどん弱っていった。また一月たつという頃。


「前回私が来た時には少しお水を飲めていたけど、それから飲んでいないようなの。もう、今日こそかもしれない」

 私はベッド脇で、今にも消え入りそうな彼女の手を取った。


「そうか。君はこの二月、よくやったよ。思い残すことはないはずだ」


 私は、そうね。思い残すことがあるとしたら……。


「エイリーク様、私は今晩ここに泊まろうと思います。あなたはもういつでもお帰りになって大丈夫ですから」

「僕がいても役に立たない?」

「そんなことは」

「邪魔じゃなければ僕も泊まるよ。明日、朝一で帰るから」

 シャルロッテ様が心配されないかしら?


「一応、もう大人の男なので……」

「あ、心の声が漏れてしまいました。あら? フレーヤお母様、少し目を開けて……」


 その時、軋む床の音が。


「……!!」

 私は一瞬、目を疑った。


 ディーヴァ・カトリーヌ。嘘でしょう? 母のために、やって来たの……!?


 部屋の入口で毅然として佇む彼女が、大きく息を吸いこみ、歌い始めた。

 それはさすがに歌姫の奏でだ。まるでここは楽園、女神の歌声に誘われ、春の陽気にニンフが嬉々として舞い、木々も草花も悦んでいる。幸せな物語が続々と紡がれる。


 ベッドのお母様の顔を見たら、とても幸せそう。良かった、本当に良かった。これで彼女も思い残すことはない。

 私は彼女の涙をそっと拭いていた。


 カトリーヌは10曲ほど歌い終えると、何も言わず踵を返し部屋を後にした。



 そこで私は部屋をエイリーク様に任せ、彼女を追うことに。ぜひお礼を言いたくて。


 私の言葉は届いていた。彼女もこれからの人生のために、母との最期の別れを、彼女ならではの形で惜しみに来た。そこには確かな母娘おやこの愛があったのだ!


「……って、え??」


 彼女は乗ってきたらしい馬車の前に立った。そこから出てきたのは……お父様!!?


 彼は彼女を労うような様子で馬車に乗せ、ささーっと去っていった。


「まさか……まさかっ……」


────お父様、また彼女ディーヴァを買ったわねぇっ!!


 私はへなへなへな~~と腰を抜かした。


 私がどんなに説得しようと懇願しようと、お父様の小切手一枚のパワーに敵うものでなかったのだ。


 そう、女はこのように、情に訴えようと試みるところを、男は金で解決できるものならそれでいいじゃないか、というビジネスライクな生き物なのよ……。



────私の感動を返して……。





 その夕方。

「死にゆく人の息をしている」

 私はベッド脇に腰掛け、ただ彼女を見守っていた。


「エレーゼ、君は平気なのかい?」

「何がです?」

「人の息絶える瞬間を目の当たりにするのは。僕も、父のお隠れの際そばにいたが、今でも思い出すと胸が押し潰されそうだ」

「ああ。私はもう何度か見ているのです」

「何度か?」

 市井に紛れ込んで看護を学んでいるので、と今説明するのもな。あまりつっこまないで、という雰囲気を出しておこう。


「私も血を分けた家族との別れには、冷静でいられないと思います。ですが、人が老いて病になり、ついには亡くなる、それは誰しも避けられない、ごく自然のことだから。ただ最後は寂しくないように、側にいてあげたい」


 私だってひとりで生きていくなんて言っていても、最後くらいは誰かに一緒にいて欲しいのかもしれない。


「お疲れ様、って、この人生頑張りましたね、って、心穏やかに送り出してあげたい」

 その“誰か”が特別大事に思う人だったら、きっといちばんなのでしょうけど。



 そして眠ったまま彼女は旅立った。


 夜中、私が死に化粧を彼女に施している間、エイリーク様がそっとやって来たので。

「お休みにならないと、明日ご自宅までお帰りになるのに疲れてしまいますよ」

「驚いた。君、化粧できるのか」

「どういう意味ですか?」

「だって、君いつも全然していないじゃないか。見合いの時ですら」


 言われてみれば。それで見合いの本人だとはよもや思えませんよね。


「下手なので、しない方がいいかなと」

 どんなに塗りたくっても素顔の妹の方が綺麗で、それが虚しいと感じるようになってからあまりしなくなった。


「はい、できあがり。若々しくなられたでしょう?」

「上手じゃないか。いい夢をみられているようだよ」

「そうです? それでは、私も朝あなたと一緒に帰りますから、それまで寝てきますわ」

「おやすみ」




 森の奥の寂しい平屋敷に通わなくなって一月が過ぎた。その間に1度だけルーベル地方に出向き、シャルロッテ様と食事をした。

 「あなたたちいつ式挙げるの~~?」と尋ねられたが、エイリーク様は「まぁ一年以内には、かな」とはぐらかしていたっけ。今日は彼らがこちらに遊びに来る日。そろそろお出かけの時間だ。


 それはさておき、私は今、お父様がお呼びだとかで応接間に向かっている。


「おはよう、エレーゼ。迎えに来たよ!」

 エイリーク様が豪快に玄関の扉を開けながら叫んだ。ちょうど私はこの玄関を通り過ぎようとしていましたが、人の家訪問するときはまず呼び鈴をお願いします。

 なんだか彼、雰囲気がいつもより上調子かしら?


「おはようございます。半月ぶりですね。あ、今お父様から呼ばれていまして、少々お待ちいただきたいのですけど」

「僕も挨拶に伺ってもいいかい?」

「ぜひ。たいした用事ではないはずですから」



 私は応接間の扉を軽くノックし入室した。

「おはよう、エレーゼ。やぁ、エイリークも来ていたのか」


「あら?」

 そちらにお座りの男性はどなたかしら。ソファーに腰掛けた見知らぬお客様の、手前のテーブルには紙の束……書類?


「おはようございます、ストラウド卿」

「よし、君たちもこちらに座りたまえ」


 とりあえず並んで腰掛ける。


「お父様、いったいどういったご用件で?」

 そちらのしゃきっとしたいで立ちの男性は、なんだろう、お堅い職業の方のよう。


「もうひとり客人がいるのだよ。もう少し待ってもらえるかな?」

「客人?」

 その時玄関のベルが鳴った。それからメイドに案内され、入室してきたのは。


「やぁ、ルーニャ。久しぶりだね」

「お久しぶりでございます。ストラウド卿」


 カトリーヌ!? 何しに来たの!!


 お父様は彼女を労うためにドアのところまで歩み寄っていった。

「ご足労ありがとう。一月もお待たせして悪かったね。少々用事が立て込んでいて。でもちゃんと用意できているよ」


 あああ、あの時の小切手を受け取りに来たのか! まぁそういう契約だったんでしょうし、仕方ないけど、やっぱりモヤモヤする。


「まったく構いませんわ。ところで、私もあなた様にご相談したいことがございますの」

「ん? なんだい?」

「あの時のご婦人、私、思い出しました。彼女は私の実の母ですわ。私は実の娘。そして彼女の家というのは……」


 ああっ、彼女、お父様があれほど気遣っている病床の婦人が気になって調べ上げたのね。調べた結果、またビジネスの種ができると食いついた……ってとこ?


「ああ。そのことだったら、ちょうど今、顧問弁護士がいらしていてね。彼女の遺言状について、話があるようなんだ」


 え? 遺言状……?


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しっかり改稿・加筆してとても読みやすくなっております。ぜひこちらでもお楽しみいただけましたら嬉しいです。.ꕤ

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