⑦ 天国の母に届け
実名カトリーヌの彼女は、私を見下げながら言い捨てた。
「私、愛人でも構わないから。ちゃんと目を見てお話しして、すぐ隣で私の歌声を聴かせれば、きっと私を気に入ってくださるわ。自信があるの」
言えてしまうの羨ましい……。だてに美貌と才能で生きてないってことか。自信があるのは結構なことだけど。
「彼は愛人をこしらえるような人ではないわ。ましてや、別れゆく人への情を理解しないような人に、鼻の下伸ばさない」
「そうかしら? 男性はみな単純に、綺麗で華やかな女が好きよ。そして、他人に見せたら羨まれる女を連れていたい生きもの。知らないの?」
私、またメラっときた。
別にあなたが男をどう思ってようと、どうでもいいけど! エイリーク様までそこらの凡庸な男と一緒くたにされるの腹立つわ! そりゃお母様が大好きということ以外はよく分からない人だけど、一応私の婚約者なのよ!
「エイリーク様はそんな単純な男性じゃない。そんなふうにパートナーを選ばない」
「あら、貴族の男性はこぞって美しい女を隣に置いて、鼻を高くしていらっしゃるけど?」
「そんなの女性を人扱いしてない。女はトロフィーじゃないわよ。連れてる女の価値で自分を大きくみせたい男なんて、自信が持てない現れじゃない! エイリーク様は彼が彼であるだけで価値のある人だから!! 美しい歌姫の人気にあやかる必要なんて、まったくないんだから!」
「そうはっきり言うのなら、手引きしたところであなたに損失はないでしょう?」
私に損失はなくとも、どういう手で彼に金銭せびるか分からないじゃないか!
「冗談じゃないわ! どこの世界に、夫に女引き渡す妻がいるってのよ! 他人の男に色目使うな!!」
お父様にもね!!
「……失礼」
私は貴族然と会釈をして、その部屋を後にした。
ぱたんと扉を閉めてから、ひと息つき、そして、
────あああ、説得失敗だ~~っ!
その場でうずくまった。もうちょっと落ち着いて話せなかったものだろうか……。
「あ──……エレーゼ?」
「!!?」
即座に顔を上げた。そこには、お父様……と、後ろにエイリーク様。
「~~~~!?? ……お父様……どうして……」
「エレーゼ、今日はエイリークと約束の日だったそうじゃないか。君と入れ違いに来て君の居場所を聞かれたから、すぐに連れて来たのだけど」
「い、いつから、そこにっ?」
「あ──。今来たところだよ」
ほ、ほんとに? 聞いてない? 私がこの中で切ったタンカ、聞いてない??
「だめじゃないか、約束をほったらかして出かけるなんて」
「ほ、ほんとですわねっ。私としたことが、時間厳守は鉄の掟ですのにっ」
市井でうまくやっていく社会人としては約束事にルーズなんてとんでもないことだけど、どうしても今日出かける前に何とかしたかったのだ。
私はエイリーク様の顔を一瞬だけ、ちらりと見た。なんというか、つかみどころのない普通の顔だ。
「さぁエレーゼ。手伝いに来たよ、行こうか」
「え、ええ……」
馬車の中、彼と目を合わせられない。もし、さっきの聞かれていたら……。
私、何を言ったんだっけ。ああっ……。
「エイリーク様は~! エイリーク様は~~!」って、名前だけ借りる予定の妻が独占欲むき出しにして……なんて思われてしまう! または、「僕の何を知ってて言ってるんだ」「自分の理想を押し付けるな」って重たく思われる……?
確かに何も知らないけれど。この一月の間4回ほど彼は、本当に私の手伝いとしてわざわざ自宅からこちらの方にやって来て、力仕事を受け持ってくれた。この良家のご令息が庶民と変わらない衣服に着替え、薪割りとかも。そんな人に、私の意思を通すためにタカリ女を手引きなんて、これ以上迷惑かけられないじゃない。決して独占欲なんかじゃないわ。
「ねぇ、エレーゼ?」
「え、あ、はい、何でしょう?」
「今日は、どんなことをすればいいのかな?」
「ええっと、掃除と片付けかしら。実は彼女から、そろそろ部屋のものを処分してと頼まれているの……」
「そうか」
そういうわけで到着後、私が棚の荷物をまとめて、エイリーク様がそれを運び出して、の作業をしている。
私は脚立に乗って棚の上を掃除、彼はベッド脇の椅子に腰を落とし休憩の最中だった。
「ねぇ、エイリークさん。あなたは私の娘のどこが好きなの? ほら、私たち長く離れていたから、あなたの目に映る彼女を知りたいわ」
お母様が彼にそう話しかけた。私はもちろん、びくりとした。
「ん──、そうですねぇ……」
考え込むエイリーク様。そうだ、私、彼に、実の娘じゃないってバレたこと話しておくのを忘れてた!
彼は今、完璧にカトリーヌの婚約者を演じてこの場を乗り切ろうとしている。
「あ、あの、エイ……」
その時、お母様が私の方を見た。そして「何も言わないで」というような笑顔でこちらを威圧する。
「思いやりのあるところがいちばんかな」
────ん?
「へぇ、そうなの」
「僕と僕の母を理解してくれているし」
それは、そちらの圧力もありますよね……。
「すごく料理が上手なんですよ。彼女の作ったものは本当に美味しい。それは単純な技術のことではなくて、たとえばいかにも豪勢なものを多く出すのではなくて、身体に優しい、食べる人を思っての食卓なんです」
身体に優しい……それは、庶民となっても手に入れられるだけの、調味料の種類と食材で作れるように鍛えたから……。
「ふしぎと懐かしい味がして。でもそれだけでは味気ないと、ひと手間かけて見た目を工夫したり、色鮮やかにしたり」
こないだの料理をそこまで見て……そんなふうに感じてくれたの?
「よく気の付くいい子だなって思いました。人に喜んでもらいたいとか、人を幸せにしたいという気持ちでいっぱいの子だって。だから僕の方からプロポーズしたんです。彼女の優しい心は、おかあさまの子育ての賜物ですね、きっと」
「あらまぁ、ありがとう。あなた、胃袋を掴まれちゃったのね」
「ははは、そういうことかな。……あれ、エレーゼ、どうしたんだい」
「あ……」
気付いたら、なんだか涙が溢れて、脚立の上から床へぼたぼた零れていた。
「上の方から……ほこりが大量に降ってきて、目に入ってしまって……」
「それは大変だ、気を付けて降りて」
「はいっ……」
「井戸で洗っておいで。ひとりで行けるかい?」
「ええ、大丈夫よ」
私はよたよたと庭の井戸に向かった。目を洗うというよりは、顔を冷やしたかったから。
エイリーク様は演技をしていただけ。婚約者の母親には、こんな感じに娘を褒めておけば喜ぶんだろうなって、思いついただけ。
でもそれを、私のお母様に伝えてくれたら良かったなって、一瞬、夢みてしまった。
お母様が天国で聞いていたなら、きっとすごく、喜んでくれている────。
その後、部屋に戻ってきた私に、フレーヤ様は晴れやかな表情を見せた。お元気であったなら豪快なウインクを飛ばしてきそうな雰囲気だ。
“ありがとうフレーヤお母様”。
エイリーク様がそこで掃除をしているので、声に出すことはできないけれど。
“少し、彼を知ることができたわ”。そう心が伝わるように、私は気持ち軽快な足音を立ててみた。
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