③ あなたは 勇者 or 狩人?
馬車の中で私は、湧き上がるイライラを持て余していた。
「いったいどこへ行くつもりなのかしら。どんどん郊外の方へ向かってる」
「エレーゼ、気持ちは分かるが、君のお母上がお隠れになって3年が過ぎたんだろう? お父上もひとり寂しく過ごすより、新しいパートナーと共に……」
「ひとりじゃありません! 私がいますわ!」
「うーん、対等に人生のステージを歩んでゆける相手というか……。お父上が幸せになることは、君にとっても喜ばしいことでは?」
「幸せになれればねっ! 彼女はお父様の財産が目当てですのよ、それくらいあなただってお分かりでしょう?」
「えーっと……」
「舞台の上で大衆を惑わせる職業の女には2種類いるのです。絶対オンステージの女と絶対オフステージの女」
「なんだいそれは……」
「前者は自分の美貌、才能に絶対的な自信を持ち、その身ひとつで頂点を目指す、舞台上に存在する自身がすべての女。鋼のような信念でもって、確固たる地位名声を得るためには泥水をすすってでも這い上がろうとする孤高の勇者。後者は自分の美貌、才能を最大限に利用することでより高レヴェルの殿方を物色吟味捕獲し、舞台から降りた後、生涯にわたり贅の限りを尽くし、大衆の羨望の的でいることを至福とする女。そのため女優という肩書きにすべてを賭ける目利きの狩人」
「へ、へぇ……」
「彼女は間違いなく後者ですわ。まぁ、貴族の令嬢も社交場をステージとみなせば、これに大別できたりするのですが」
たいていは後者なのだけど。
「ふぅん。じゃあ、君はどちらなんだい?」
「……あら、私、早速テキトウなことを言ってしまいました。大別できませんわ」
「ん?」
「私はステージに上がりません。観客の目を引くものを、何も持っておりませんので」
「…………」
ああもう、こんな自虐的なことを言ったら、黙らせてしまうだけなのに。
「エレーゼ、そういえばちょっと思ったのだけど」
「はい?」
「君の声とあの彼女の声、似てないか?」
「えっ? そう?」
声って、自分ではよく分からないけど……。
「さすがにあんなステージで活躍する歌手と、声が似てるだなんてことは」
「歌声ではなくて、喋り声だね。君の方が若干高い声なんだが」
「そうですか……?」
「僕はなかなか耳がいいんだ。だから君も舞台に立ったら、案外ディーヴァに変身したりしないかな?」
「そういえば私、楽器はやっていましたが、歌を習ったことはありません。そんな無理なことおっしゃらないで」
あ、これもしかして、私の自虐に対する彼なりのフォローだったのかな。
「と、とにかくエイリーク様、あなただって。下世話な下心でシャルロッテ様に近付く殿方を見つけてしまったら? 見過ごせませんでしょう?」
「もちろんだ。いかなる手を使ってでも余罪まですべて暴き、裁判所に突き出してやる。そのうえ灼熱の舞台上で命ある限り踊り狂わせる」
目つきが変わった。非常に情熱的だ。
お父様の幸せ、か……。もし、お父様を幸せにしてくれる良い出会いがあるというなら、私も手放しで祝福したい。でも、お父様はきっと、いつまでもお母様だけを想っていると信じていたい自分もいる。
そこで馬車が停まった。窓の外を見てみると、ここは森の中。御者が私たちに話しかけてきた。どうやら前方に建物があり、その敷地にお父様の馬車が入っていったと。
「お屋敷の門前に停めてくれたのね。では追いかけましょう」
馬車から降りたら目に入ってきたのは、質素な、まるで施設のような平屋。
「屋敷、とは言えないな。ここはお父上の別荘なのか?」
「いいえ、こんな森の中に小さな別荘を構えているなんて、私は聞いていません……」
門に番もおらず開きっぱなし、敷地内の奥にも小さい家屋だか倉庫だかはあるけれど、誰か住んでいるのだろうか。
「門も開いていることですし、お父様が入っていったのは間違いないので、進入しましょう」
その時、中から迫力ある華麗な歌声が聴こえてきた。
「オペラソング……?」
「エレーゼ。そっちの方から声が聴こえてくる。窓がないか探そう」
エイリーク様が平屋の脇に走って行った。すると窓を見つけたのか、私を手招きする。
彼のところに向かって、ふたりでこっそり覗いてみた。大きな本棚で囲む、やや広い部屋で、今日舞台で聴いた曲をディーヴァが高らかに歌っている。
聴いているのは、お父様と、彼の横のベッドに座っている初老の婦人。こんなところでソロコンサート? どういうこと?
それから彼女の歌は10曲にも渡った。
「やっぱり素晴らしいわね」
「そうだね。君はこれでも、彼女はオフステージの女だと思うかい?」
「それはメンタリティの話ですから、技能においてオフ女がオン女に劣るとも手を抜いているとも言ってませんよ」
「ふぅん。あんまりよく分からないけど」
「殿方には分かりませんわ。女の野望なんて見抜けないだろうし。あら、帰るのかしら」
ふたりがベッドの婦人に挨拶をして出ていった。私たちは玄関が見える家屋の角に隠れたまま、馬車に乗るふたりを見つめていた。
「あのふたりに男女の関係はないんじゃないか? これで安心しただろうエレーゼ。さぁ僕たちも帰ろう……って、え?」
私は小走りで入口へ、そして中へ侵入した。森の中に建つ質素な石造屋敷。平屋だけど、小さくはない。手前は調理室、奥はダイニングか。
ふたりが出てきた部屋は……。私はその部屋の前に立ち止まった、扉は開いている。
「誰? そこにいるのは」
ベッドに腰掛けたままの婦人が、軋む床の音に気付き私に話しかけた。
「あ、えっと、ごめんなさい! 突然に、私……」
「カトリーヌ? まさか、その声は、カトリーヌなの?」
「え?」
そこで彼女の顔をしっかり見た。彼女の目は開いていない。
「戻ってきてくれたの?」
「え、えっと……?」
「ああ、なんて素晴らしいことでしょう。こっちへ来てちょうだいカトリーヌ」
閉じられた目から涙がこぼれている。私はその言葉に吸い寄せられるように、おそるおそる歩み寄った。彼女のすぐそばまで来たら、彼女は私を抱きしめたそうに両手を伸ばしたので、私はその横に座った。
「ずっとずっと抱きしめたかった、私のカトリーヌ」
そう涙して、より震えた手を伸ばすので、私も思わず、下からすくうように腕を伸ばし彼女を抱きしめた。
ずいぶん瘦せ細った身体……。そして彼女の言う、カトリーヌとは……家族だろうか、ずっと離ればなれの。それは姉妹? それとも娘? 家族ではなくて友人? 彼女の年齢から、可能性が高いのは。
「ええ、私も会いたかった。……お母様」
彼女は幸せな顔で涙を流し続けた。正解のようだ。
部屋の入り口に着いたエイリーク様はひっそりと立っている。何も言わずに。
彼女が私に語りだす。
「残り少ない私の時間に、あなたとこうして抱き合えたこと、天の恵みでしょう。もう思い残すことはないわ」
「えっ? どういうこと?」
彼女はためらい顔で、言葉を飲み込んだ。
「お母様、病気なの?」
「ええ……もうあまり食事も喉を通らなくて……」
「私、滋養スープを作りに来るわ! それに、あの、生活のお手伝いもさせて」
「まぁ……。でも、もういいのよ。ここにもメイドがふたりいてね、交代で私の面倒をみてくれているから……」
「私のスープを飲めばきっと元気になるから!」
「でも……あなたも自分の生活があるでしょう……」
「う、うん……じゃあ2日おきに来るわ。それくらいなら時間の都合も付くから」
婦人が少し困ったような、でもやっぱり嬉しそうな顔をした。
「そちらのお方は?」
「ん?」
廊下の木の軋みが聞こえてしまったらしい。気付かれてしまったエイリーク様は、こちらに歩み寄ってきた。
「彼は、あの……」
「初めまして、おかあさま。僕は彼女の婚約者でエイリークと申します。お会いできて感激です」
「まぁ。結婚が決まっているのね」
彼女は赤みのさした顔で私を振り向いた。
「え、ええ、そうなの。もう一緒に暮らしているの」
「良かった。とても幸せなのね」
「う、うん……幸せ……」
そして、とりあえずまた3日後に、スープの材料を持って来るからと話し、そこをおいとました。