現代に蘇る紫式部
ディーネヌエー研究の進歩により、僅かな遺物からでも偉人の痕跡を辿れるようになった。
つい先日も、何処かの研究所が誰かのクローン制作に成功したらしい。
「──てな訳で、我が中学に体験入学する事となった紫式部さんだ。みんな、三日間宜しくな!」
着物を着た、とてもお淑やかそうな女性が現れたことで、クラスは一瞬で静まり返った。
「いとをかし」
着物の袖で口元を押さえ、すっと窓の外を眺めるその仕草に、皆が釘付けになった。
「委員長、いとお菓子って何?」
「とても風情があるって事よ」
小声で前の席の委員長に聞くと、アホを見るかのような目で返された。
「風情って何?」
「今風に言うとエモいって事よ」
流石委員長。俺みたいなアホにも分かりやすく教えてくれる。だが、一つ問題が。
「……エモいって何?」
「〇ね」
委員長がキレちまった。
俺は「ゴメン」と一言謝り、今度は隣の席の友人に尋ねた。
「なあ、糸を貸しって何だ?」
「知らん」
「風情ってなんだ?」
「知らん」
「エモいって何?」
「メッチャいい感じってやつじゃね?」
「理解した」
流石は友だ。
俺は満足げに着物の女性を見つめた。
「じゃあ……席はアイツの隣で。そうそう、あの如何にも阿呆そうなやつ」
「…………」
着物の裾を引きずりながら、女性がこちらへと足を向ける。着物汚れは大丈夫なのだろうか。
「あ、宜しく」
「…………」
女性が物腰柔らかそうな笑顔を俺に向けた。ハンバーガーショップでは貰えないタイプのスマイルだ。
休み時間になると、着物の女性の周りに人集りが出来た。皆、彼女に興味津々だ。
「ねえねえシキブーって呼んでもいい?」
酷いネーミングセンスをぶっ放す女子に、女性はにこやかに「よろし」とこたえた。
「委員長、ヨロシって何?」
「多分、宜しいって事かな」
「ねえねえシキブー。帰りにお茶しない?」
酷いネーミングセンスのあだ名が定着し、今度はお茶に誘われた女性。すっと窓の方を眺め、一言「わろし」とこたえた。
「委員長、ワロシって何?」
「……多分悪い、かな?」
「ねえねえシキブー。好きなタイプの男性は?」
プライバシー侵害お構いなしな容赦ない質問が飛び出るも、女性はにこやかに「ひろし」とこたえた。
「委員長、ヒロシって何?」
「ネコかタチ……かな」
「──!?」
と、急に彼女の鋭い視線を感じた。
「春はあけぼの」
席を立ち、俺と委員長の傍へやって来て、彼女がそう一言。委員長があたふたとしている中、俺は何となく察しを得た。
「恐らく春は明け方にイチャつくのが宜しいって事かな?」
「いとをかし」
ビシッと彼女が親指を立てた。どうやらドンピシャで当たっていたらしい。
「あ、そういう事? それなら話は早いわ!」
委員長がポンと手を叩いた。
鞄から何やら薄い本を取り出し、彼女へと手渡す。表紙には武家の男が何やらふんどし一つでアッパレなポーズをかましている。
「どう? たまんねぇでしょ?」
女の子が『たまんねぇ』とか言って良いのか、少し判断に迷ったが、委員長だから許すことにした。
「いとたまんねぇ」
どうやらお気に召したらしい。
着物の袖で自らのよだれを拭いている。
「夏は夜」
「どういう意味!? 解説しなさい」
委員長が俺に解説を求めてきた。
いやいや、あんたの方が詳しいでしょうが。
「多分、熱い夏の夜にお互いの汗が何たらかんたらでとても風情があるって事なのでは?」
「いとたまんねぇをかし」
彼女が握手を求めてきたので、咄嗟に応じてしまう。が、俺はそっちの人では無い。
「なるほど、つまり秋は夕暮れに一戦かますのが宜しいのね!?」
「ナンセンス」
「はぁ!?」
委員長がぴしゃりと切られ、その場にへたれこんだ。てか英語いけんのね。
そんなこんなで体験入学の三日間、俺達は主に男同士の関係についてしか、教えることが出来なかった。不本意ではあるが、本人が至って満たされたようなので良しとしよう。
「彼女が居なくなって寂しいが、この前のテストを返すぞー! みんなして同じ間違いをしていたから言うけど、春はあけぼので有名な枕草子の作者は、紫式部じゃなくて清少納言だぞー!」
てことは?
「委員長、アイツ誰だったんだ?」
「……多分ただの腐女子かと」
本人と思ってクローン制作に力を入れた研究所も、今頃きっと真実を知り落胆している事だろう。