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嫌なわけがありません

「夜会のパートナー……ですか?」


「うん。ディアーナにお願いしたいと思って」



 それは、ロサリア様がクラスメイトになって、数日後のことだった。サムエレ殿下はそっと首を傾げつつ、わたくしのことを見つめている。



「――――本当に、わたくしで良いのですか?」



 サムエレ殿下のパートナーになりたい令嬢は幾らでもいる。十四歳でわたくしという婚約者ができたジャンルカ殿下と違って、彼には未だ婚約者がいない。そのやんごとなき身分もさることながら、神に愛された美しい顔、恵まれた体躯、文武両道で、尚且つ穏やかで優しい気性を持った彼は、令嬢たちの憧れの的だった。



「もちろん。ディアーナが良いからお願いしているんだよ」



 そう言ってサムエレ殿下はクスクス笑う。胸のあたりがむず痒い。頬が自然と熱を帯びた。


 これまで夜会には、ジャンルカ殿下と一緒に出席していた。婚約者だったのだから当たり前だけど、思えば殿下はわたくしを誘う度、嫌そうな表情をしていた気がする。



(サムエレ殿下がわたくしを誘ってくださるなんて……)



 何だかとてつもなく嬉しい。ついついにやけそうになる頬を押さえつつ、わたくしはサムエレ殿下をそっと覗き見た。



「本当はずっと、ディアーナを誘いたかったんだ。兄上の婚約者だったから、これまで叶わなかったけど」



 サムエレ殿下はそう言って照れくさそうに笑う。



(何それ……なにそれ…………!)



 胸の鼓動が先程よりも速くなる。なんだか地に足が着いていないような、フワフワした心地がした。



(こんな感覚、わたくしは知らない)



 生まれて初めて感じる胸の甘さ。どうすれば良いのか分からなくて、わたくしは小さく首を振る。けれどそれは、柔らかな雪みたいに心の中に降り積もって、わたくしをそっと温めた。



「殿下は本当に……女性を立てるのがお上手ですね」



 サムエレ殿下がどうしてわたくしを誘ってくれたのかは分からない。だけど、彼にあんな風に言葉を掛けられて、喜ばない女性は居ないと思う。



(夜会に誘うぐらいだもの)



 多少なりとも好意を期待してしまうのが乙女心というものだろう。



(なんて、ジャンルカ殿下と婚約している間、『好意』とか『乙女心』なんて意識したことすら無かったけれど)



 そんなことを思い出しながら、わたくしはふと笑みを漏らす。



(あれ?)



 その時、わたくしは思わず目を見開いた。

 ついこの間まで、ジャンルカ殿下のことを思い出す度に、胸が痛くて堪らなかった。自分を不甲斐なく思って、情けなくて、そして苦しかった。

 だけど今、わたくしの胸には何の痛みも走らない。彼のことを思い出して笑える日が来るなんて、この間までは想像もできなかったことだ。



「女性を立てる、というつもりじゃないんだけどな」



 そう言って殿下は困ったように首を傾げる。わたくしも一緒になって首を傾げたら、殿下はクスクスと笑い声をあげた。



「だって俺、本音しか言ってないし」


「……え?」


「――――ずっとずっと、兄上が羨ましいと思っていたから」



 殿下は照れくさそうな笑みを浮かべ、わたくしの手を優しく握る。その瞬間、身体がぶわっと熱くなった。

 心臓が恐ろしい程に早鐘を打つ。殿下は真っ直ぐにわたくしのことを見つめていた。何かを乞うような熱い瞳に、血液が沸騰するような心地を覚える。



「ねぇ……どうしてか尋ねてくれないの?」


「…………ふぇっ? 一体、なにを……」



 情けないことに、素っ頓狂な声が漏れ出る。殿下は悪戯っぽい表情でわたくしの顔を覗き込みながら、手のひらを強く握りなおした。



「俺が兄上を羨ましく思っていた理由」



 そう言って殿下はわたくしの手のひらに、触れるだけの口付けをした。言葉にならない叫び声を上げ、わたくしの身体がビクリと跳ねる。



(嘘っ! いや……だけど…………えぇ⁉)



 パニックで思考が纏まらない。心も身体も全く制御ができなかった。目がクルクルと回る様な、身体が宙に浮かぶような心地がする。殿下はそんなわたくしのことを、真剣な表情で見つめていた。何か言わなきゃと思うのに、唇がちっとも動かない。



「嫌だった? 俺に触れられるの」



 殿下が不安気な表情で、そう尋ねる。わたくしは無意識に、首を横に振っていた。



「――――嫌じゃありません」



 答えながら、頬が真っ赤に染まっていく。淑女としてどうなのだろうと思わなくはないけど、それが事実なのだから仕方がない。



「良かった。……じゃぁ、俺の気持ちは?」



 そう言って殿下はもう一度、わたくしの顔を覗き込む。



「嫌? それとも嫌じゃない?」


(殿下の気持ち……)



 考えながら、心臓がドキドキと鳴り響いた。混乱でこんがらがったわたくしの頭の中を、殿下が少しずつ解きほぐしていく。けれどそれと同時に、別の何かがわたくしを侵食していくような、そんな心地がした。



「……嫌なわけがありません」



 答えつつ、わたくしはそっと顔を逸らす。これ以上、殿下の顔を見ていられなかった。恥ずかしくて、照れくさくて、色々と堪らない気持ちになる。今すぐ逃げ出したいような、このまま縋りついてしまいたいような、不思議な気分だった。



「良かった」



 そう言ってサムエレ殿下は嬉しそうに笑う。その途端、わたくしの心が甘やかに震えた。



(どうしてだろう)



 サムエレ殿下が笑っていることが嬉しい。彼の言葉が、握られた手のひらが、瞳にわたくしが映っていることが――――全てが有難く、幸せに思う。



「夜会……楽しみにしているから」



 殿下はそう言ってわたくしを見つめる。頷きつつ、わたくしの唇は自然と弧を描くのだった。

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