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頑張ったね

 それから数日間、サムエレ殿下はわたくしを連れて、色んな所に出掛けてくれた。王都で人気のカフェやオペラ座、馬での遠乗りもした。さすがに講義をサボったのは、初日だけだったけれど、一人で考え込む時間が少ないことは本当にありがたかった。



(どうしてサムエレ殿下は、こんなに親身になってくださるのだろう)



 元々優しい方ではあったけれど、今のわたくしは彼とは何の関係もない。だって、お兄様であるジャンルカ殿下との婚約は破棄されてしまったのだから。彼にとってわたくしは、一クラスメイトに過ぎないのだ。



(責任感の強い方だから)



 もしかしたらお兄様の代わりに償いをと……そう思ってくれているのかもしれない。けれど、それならそれで申し訳がなさすぎる。だって、わたくしに付き合うことで、サムエレ殿下の勉強や鍛錬の時間がなくなってしまうのだもの。もしもこのせいで殿下の成績が落ちてしまったら――――そう不安を口にしたら、サムエレ殿下はケラケラと笑った。



「俺がムキになって勉強していた理由、ディアーナは知らないんだね」



 殿下はそう言ってわたくしの頬をそっと撫でる。

 その途端、何故だか心臓がドキドキと高鳴った。けれど、きっと殿下に他意はない。変に意識しているとバレたくなくて、わたくしはそっと目を逸らした。



 とはいえ、ジャンルカ殿下の話題をずっと避け続けることはできない。

 婚約破棄から数日後、わたくしは両親にジャンルカ殿下に婚約を破棄されたことを伝えた。



「そんな……陛下からは事前に何の相談もなかったぞ」



 父は酷く困惑していた。未だに陛下から、何も話を聞いていないらしい。



(婚約破棄自体はジャンルカ殿下の独断だったみたいだけど)



 彼は、陛下がわたくしたちの婚約破棄を認めないわけがないと話していた。それが伝統だから、と。



(いけない)



 ジャンルカ殿下の話をするたびに、塞がっていた傷跡から血が噴き出すような心地がする。彼の言葉を思い出すたび、お腹のあたりで黒い感情がドロドロと蜷局を巻く。

 そんなわたくしの気持ちを察したのか、両親はそれ以上の追及をしなかった。陛下に直接話を聞くと言って、それっきり。我が家で二度と、殿下の話題が上ることはなくなった。



 けれど、ジャンルカ殿下の幻影はいつまでもわたくしを解放してくれない。



「今日からよろしくお願いいたします」



 それは、両親にジャンルカ殿下からの婚約破棄を打ち明けた翌日のこと。一人の令嬢が教壇の横でニコリと可憐に微笑んだ。新しく聖女となったロサリア様だ。



(なんで……なんでロサリア様が…………!)



 彼女は成績や家柄も相まって、わたくしやサムエレ殿下とは別のクラスに在籍していた。それなのに、今日から彼女はわたくし達のクラスメイトになるのだという。頭の中が真っ白になった。



「一体誰の差し金ですか?」



 ロサリア様の紹介が終わり、次の講義が行われる迄の合間の時間のこと。サムエレ殿下が教師にそう詰め寄った。彼の瞳は真剣で、いつものような笑顔はそこには存在しない。



「殿下が……ジャンルカ殿下が、その……ロサリア嬢は王太子妃になるのだから、より高度な教育が必要だと仰られて」



 教師は躊躇いつつも、そんなことを口にする。サムエレ殿下は眉間に皺を寄せ、教師の手をぐいっと引く。二人は一緒に、教室の外へと出ていった。



(こんなの、あんまりだわ)



 わたくしは一人、頭を抱えて俯く。心臓がドクドクと嫌な音を立てて跳ねた。

 わたくしはもう、ジャンルカ殿下に関わるつもりはない。顔を見せるなと言われたのだし、二度とお会いする気もない。それなのに、彼はわたくしに『忘れる』ことを許す気はないらしい。苦しめと――――ずっと自責の念に駆られながら生きろと、そう思っているのだろう。



「ディアーナ様」



 その時、鈴を転がしたような声音がわたくしを呼んだ。絶望感が胸をつんざく。恐る恐る顔を上げれば、そこには可憐な笑みを浮かべた聖女――――ロサリア様が佇んでいた。



「初めまして、ディアーナ様。私ロサリアと申します。同じクラスになれて光栄ですわ」



 そう言ってロサリア様は目を細める。温かくて優しい笑顔だった。わたくしをジャンルカ殿下の婚約者の座から追いやった張本人だというのに、見ていて不思議と癒される。胸がツキツキと痛んだ。



(あぁ、ジャンルカ殿下はこのことを言いたかったのね)



 わたくしとは正反対の、温かくて穏やかな微笑み。一緒に居るだけで心が安らぐ可憐さ。あまりの違いにわたくしの存在を全否定されているような、そんな気持ちになってくる。



「私、ディアーナ様とお話がしてみたかったのです。ずっとずっと、憧れていましたから」



 そう言ってロサリア様は目を細める。屈託のない笑み。とても嘘を言っているようには見えない。



(だけど……だけどわたくしは…………)



 彼女の側に居ることが苦しい。苦しくて、眩しくて涙が溢れそうになる。

 けれど、ロサリア様はそんなわたくしの様子には気づかないようで、そっと身を乗り出した。



「実は私、聖女になったことで、今度王宮にお部屋を戴けることになったのです。そこで力の使い方や為すべきことを教えていただけるんですって。けれど、王宮での礼儀作法とかしきたりが分からないから不安で……」



 そう言ってロサリア様は瞳を揺らす。彼女はわたくしの手を握りながら、そっと首を傾げた。



「ディアーナ様……宜しければ私と一緒に王宮に来ていただけませんか?」


「…………えっ?」



 あまりにも想定外の申し出に、わたくしの心臓がドクンと跳ねた。



「な……何故、わたくしに?」


「……? だって、ディアーナ様なら王宮に通い慣れていらっしゃいますよね?」


「それは……そうなのだけど。わたくしはもう、王宮には行けないから……」



 落ち着こう――――そう思うのに、動揺が絶えずわたくしを襲う。



「何故ですか? ディアーナ様は殿下の婚約者様でいらっしゃるのに」



 その瞬間、わたくしは大きく目を見開いた。



(ロサリア様はわたくしが殿下から婚約破棄されたことをご存じないの?)



 驚きのあまり息が上手くできない。バクバクと変な音を立てて鳴り響く胸を、わたくしは必死で押さえた。



「私もディアーナ様みたいに、いつも堂々としていられたら良いのですけど。正直、最近いろんなことが怖くって……聖女になったのも物凄く唐突でしたし、周囲の変化にあまり順応できていないのです」



 ロサリア様はそう言って小さくため息を吐く。



「王宮で大事な話があるとジャンルカ殿下が話していましたし、本当に心細くて」



 その瞬間、わたくしは小さく息を呑んだ。



(もしかして……)



 ジャンルカ殿下はきっと、王宮でロサリア様にプロポーズをする気なのだろう。そこでわたくしと婚約破棄をしたこと、聖女は代々、王族と結婚してきたことを伝えるつもりなのだ。

 恐らくはロサリア様を驚かせたい――――その一心で、彼は周囲の人間に箝口令まで敷いた。



(あんなにも噂が広がっているというのに)



 まさかジャンルカ殿下がそこまでするとは――――。そう思うと、なんだか笑えてきてしまう。



(この場でこの子に真実を教えるのも悪くない)



 聖女と結婚するために、ジャンルカ殿下はわたくしとの婚約を破棄したのだと。だから、わたくしが王宮に赴くことは、もう二度とないと――――そう伝えたら、ロサリア様は一体どんな表情をするだろう?恐らくは深く傷つくに違いない。



(そうすればわたくしは、誰がどう見ても嫌な女になり下がる)



 中途半端に自分を嫌いになるくらいなら、救いようの無い程に、どん底まで堕ちてしまった方が良いのかもしれない。そうすれば、今後は自分に自信を持つことも、好きになることもなくなる。こんな風に自分に幻滅することもきっと無くなるだろうから――――。


 けれどその時、ふとサムエレ殿下の笑顔が脳裏に浮かんだ。途端に目頭がぐっと熱くなる。わたくしは小さく首を横に振りつつ、下を向いた。



(ダメよ……何のために殿下が時間を割いてくださったと思っているの?)



 サムエレ殿下は何度も何度も『わたくしのせいではない』と、そう口にしてくれた。どうしようもない程自己嫌悪に陥ったわたくしを、ずっと肯定し続けてくれた。この数日間、彼の言葉にどれ程救われたか分からない。



(わたくしは――――わたくしのままでいたい)



 ジャンルカ殿下には否定されてしまったけれど、これまでの人生で築いてきた自分という人間を保ちたい。そう強く思った。



「――――ごめんなさい……力になってあげたいのだけれど、わたくしは事情があって王宮に行くことが出来ないの」



 言いながら、声が震えてしまう。

 怖かった。これ以上ロサリア様に追及されたら、わたくしは自分を見失ってしまいかねない。心臓がドキドキと鳴り響く中、ロサリア様が怪訝な表情で首を傾げる。

 けれどその時、誰かがわたくしの肩を優しく叩いた。サムエレ殿下だった。



「平気ですよ、ロサリア嬢。当日までの間に、官女たちがサポートに伺うそうですから」



 サムエレ殿下がそう言って穏やかに微笑む。ロサリア様の表情がみるみるうちに明るくなった。



「サムエレ殿下! それは本当ですか?」


「ええ、もちろん。いきなり王宮に呼ばれても、普通緊張しますよね」


「そうなんです。良かった……私本当に不安で」



 そう言ってロサリア様はホッと胸を撫で下ろす。



「――――頑張ったね」



 その瞬間、サムエレ殿下がわたくしの耳にそう囁きかけた。目尻に涙が滲む。


 ロサリア様とのやり取りはたったの数分間。他人から見れば他愛のないやり取りだったのかもしれない。

 けれど、わたくしにとっては物凄く長い数分間だった。ずっとずっと、崖のふちに立たされているような心地だった。そんなわたくしの頑張りをサムエレ殿下は認めて下さった。そのことが、あまりにも嬉しい。



「頑張りました……」



 誰にも聞き取れない程、小さな声でそう呟く。そんなわたくしの背中を、殿下が優しく撫で続けた。

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