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君は何も悪くない

 サムエレ殿下とわたくしは、街の入り口で馬車を降りた。



(うわぁ……)



 たくさんの人が行き交う中、わたくしの胸は興奮で高鳴る。街をこんな風に歩くのは生まれて初めてだった。街歩きに限らず、ジャンルカ殿下にはわたくしと出掛けるという発想自体がなかったようだし、わたくしは屋敷に籠って勉強ばかりしていたから。



「お腹空いただろ? まずはご飯にしようか」



 そう言ってサムエレ殿下がニコリと微笑む。その瞬間、お腹がぐぅと大きな音を立てた。恥ずかしさに頬を染めれば、殿下はクスクスと笑い声をあげる。



「そっ……そこは聞こえなかったフリをしてくださっても良いと思いますわ!」


「ごめん。ディアーナにしては珍しいなぁと。すごい……可愛いなぁって」


(可愛いっ⁉)



 そんなこと、生まれてこの方言われた記憶がなかった。綺麗だとか、美しいといった社交辞令を貰うことは多々あれど、『可愛い』はわたくしにとって、あまり身近な誉め言葉ではない。



(だけど不思議。全然嫌な気がしない)



 寧ろ凄く……物凄く嬉しい。

 お腹の音を聴かれるなんて、本来恥ずべきことだ。けれども、殿下はそのことを珍しいと――――可愛いと言ってくれた。

 両親ですらも『ジャンルカ殿下の婚約者に選ばれた』だとか、『学業で良い成績を修めた』といった、結果でしかわたくしを評価してくれなかった。どんな形であれ、わたくし自身を受け入れてもらえることが嬉しい。今のわたくしにとって、大きな救いだった。



「ディアーナは嫌いなものはある?」


「ありませんわ」


「じゃあ、好きなものは?」


「それも特に……」



 街をブラブラと歩きながら、サムエレ殿下は質問を重ねる。

 「だったら俺の好きな食べ物にするね」と言って、殿下はお店を選んだ。わたくしが普段食べているものとは見た目も味も異なる料理。けれど、それがあまりにも美味しい。



(家でも是非、こういう料理を食べたいわ……!)



 食べながら自然と笑みが零れた。瑞々しいトマトの赤色とバジルの緑色が美しく、こんがりと焼けたチーズが食欲を誘う。口内から全身に幸せが広がっていく感覚は生まれて初めてだった。



(多分、普段食べているお料理の方が高価だし、手も掛かっているんだろうけど)



 それが全てではないのだと実感する。幸福な気づきだった。



「気に入ってもらえた?」


「えぇ、もちろん!」


「だと思った。実は、さっきの料理を包み焼きにしたやつがあってさ。お土産に買っていこうよ。街歩きしながら食べれるんだ」



 そう言ってサムエレ殿下は嬉しそうに笑う。わたくしは嬉しさのあまり、何度も頷きながら笑った。


 思えばジャンルカ殿下から、わたくしの好みを聞かれたことは無かった。彼の好みを教えて貰ったことも無かった。食べ物にせよ、装飾品やドレスにしろ、婚約者としての義務だから与えていただけ。ジャンルカ殿下は、本当は何一つわたくしに分け与えたくなかったのだろうなぁと思う。



(なんて……全部全部、自業自得だけれど)



 昨日の殿下の言葉を思い出すと、気持ちが重苦しくなっていく。

 全てはわたくしが殿下に歩み寄らなかったから。殿下の気持ちを考えなかったのがいけないというのに、これではまるで責任転嫁だ。



(これ以上自分のことを嫌いになんてなりたくない)



 わたくしは、わたくし自身を責めなければならない――――そう思ったその時、サムエレ殿下がわたくしを見つめていることに気づいた。



「あのさ……昨日の今日だから無理かもしれないけど」



 そう言ってサムエレ殿下はわたくしの手を握る。思わぬことに、わたくしは目を見開いた。



「兄上のことを考えるのは止めなよ」




 殿下の言葉に、わたくしの胸が震える。



(なんてお答えしたら良いのだろう?)



 そんなことを思いながら殿下のことを見つめていると、彼はふ、と目を細めた。



「――――まぁ、忘れられるように俺が頑張れって話なんだけどさ」



 サムエレ殿下は言いながら、バツの悪そうな表情を浮かべる。わたくしはフルフルと首を横に振った。



「いえ! 殿下は何も悪くありません。婚約破棄の原因もそう――――悪いのは全部わたくしで……」


「ディアーナは何も悪くないよ」



 けれどその時、一切迷いのない口調で、サムエレ殿下はそう口にした。



「……え?」


「ディアーナは何も悪くない」



 サムエレ殿下は真剣な表情でそう繰り返す。その瞬間、何の予兆もなく、涙がぽたりと零れ落ちた。



「もしかして、自分が悪いと思っていたの? 婚約破棄の原因はディアーナにあるなんて……」


「だっ……だって…………わたくしが悪いのです! ジャンルカ殿下が『聖女が誕生して安心した、わたくしと一緒に居ると疲れる』って仰っていて」



 言いながら、堰を切ったように涙が流れた。

 サムエレ殿下は、新しい聖女の誕生と、婚約破棄の経緯については知っていても、ジャンルカ殿下が真にわたくしとの婚約破棄を望んでいたことは知らなかったのだろう。その表情は困惑に満ちていて、なんだか申し訳ない気持ちになる。



「ディアーナといると疲れる? そんな、馬鹿な」


「……けれど、それが事実です。ジャンルカ殿下は、周囲からわたくしと比べられるのが辛いのだと仰っていました。心が安らがないと。わたくし、殿下がそんな風に思っていたなんてちっとも気づかなくて」



 本当はこんなことを打ち明けるなんて、とても情けない。実のところを言うと、わたくしはまだ、父や母にも婚約破棄の事実すら伝えられていなかった。恥ずかしかった。ダメな人間だと失望されたくなかった。

 それなのに、学園に来たら皆が婚約破棄の事実を知っている。それはあまりにも惨く、辛い現実だった。



「――――もう一度言う。ディアーナは何も悪くないよ」



 サムエレ殿下はそう言って、わたくしの両手を握った。



「比べられて辛いだなんて――――そんなの唯の甘えだろう? 兄上は……俺達は王族だ。民を導き、幸せにする義務がある。そのために努力をする必要があるし、常に周囲の評価に晒されている――――そんなの当たり前のことだ。

俺はね……兄上には王族としての自覚が足りないと思う。ディアーナの方が余程、そのことを理解していたよね。将来王族になるからと、本当に努力してくれていたのに」



 大きなため息とともに、サムエレ殿下はわたくしのことをまじまじと見つめた。



「俺は兄上のことが許せない」



 まるで自分のことを話すように、サムエレ殿下は苦し気な表情を浮かべている。それだけで胸の痛みが温かく包み込まれるような、そんな心地がした。



「実はね……俺は兄上が婚約を破棄したことを、朝学園に来てから知ったんだ」


「……えっ? 殿下や陛下から直接お聞きになったわけでは無いのですか?」



 わたくしは驚きに目を見開く。学園での噂の広まりようを見るに、陛下やサムエレ殿下は当然、ジャンルカ殿下から直接、婚約破棄について話を聞いていると思っていたのだ。



「ああ。とはいえ、ロサリア嬢が聖女として目覚めたことは聞いていた。兄上が婚約破棄をするなら、彼女が理由だろうと。

しかし、もしかしたら父上はまだ――――」



 そう言ってサムエレ殿下は口を噤む。それから、わたくしのことを見て、ふぅとため息を吐いた。



「なんにせよ、悪いのは兄上だ。君は自分を責める必要はない。今は楽しいことだけ考えて、兄上のことは忘れて欲しい。

ほら……あっちにも色々とお店がある。一緒に行ってみよう?」



 サムエレ殿下はニコリと微笑んで、わたくしの手を引く。温かな笑みだった。目尻に溜まった涙がつと零れ落ちる。



「はい」



 頷きつつ、わたくしはサムエレ殿下と並んで街を歩いた。

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