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婚約破棄の本当の理由

「ディアーナ。僕は君との婚約を破棄する」


「…………え?」



 それは、わたくしの婚約者――王太子であるジャンルカ殿下からの、本当に思いがけない一言だった。驚きのあまり目を見開き、わたくしは殿下のことを見つめる。殿下は眉間に皺を寄せ、苦し気にこちらを見遣りながら、大きなため息を吐いた。



「突然のことで驚いたと思う。だが僕は――――」


「おっ……お待ちください、殿下。婚約を破棄だなんて……何かの間違いでしょう?」



 嘘だと言って欲しい――――そんなわたくしの願いが叶わないことは、殿下の表情を見れば一目瞭然だった。



「ディアーナ……君には申し訳ないと思っている」



 殿下はそう言って大きく首を横に振ると、わたくしの手を握った。眉間がじわじわと熱くなり、瞳に涙が滲んだ。胸のあたりがひどく痛く、息が上手く出来ない。そんなわたくしのことを気の毒そうに眺めながら、殿下はそっと目を伏せた。



「新しく聖女が誕生したんだ」



 殿下の言葉にわたくしは目を見開いた。



「まさか――――――」


「うん……祖母の命はもうあまり長くはないらしい。新しい聖女が誕生して数年後に、先代の聖女は亡くなる。そういう伝統だからね」



 我が国における聖女は、一時代に一人。けれど、他の者には持ちえない力をスムーズに引き継ぐためか――――数年間だけ二人の聖女が共に生きることができる。

 そして、歴代の聖女たちは皆、王族と婚姻関係を結んできた。ジャンルカ殿下のおばあ様――――亡き先代国王の妃もまた、聖女だ。



「そ……それで、新しい聖女はどのような――――」


「君も知っているロサリア伯爵令嬢だよ」



 聞きながら、胸が痞えるような心地がした。

 ロサリア様はわたくしと同い年の大層可愛らしい女性で、花のような可憐さと、穏やかな人柄から、殿方に人気の御令嬢だ。いつでも男性を立て、数歩後を歩くようなお淑やかな御方だから、殿下の弟君と成績争いをしているわたくしとは正反対。二つ年上のジャンルカ殿下も、彼女の名前を元々知っていたようだし、その評判は折り紙付きである。



「けれど……けれど陛下は、わたくしを殿下の妃にとお認めくださいましたわ」



 言いながら、わたくしはそっと前に出る。

 わたくしが殿下の婚約者になったのは今から四年前。殿下のおばあ様がご健在で次の聖女がまだ誕生しそうにないこと、隣国の王女を母に持ち、当時から勉学に秀でていたわたくしが妃に適任だと、王室に請われたのがその理由だった。



『新たに聖女が誕生したとしても――――次期王太子妃にはディアーナが適任だろう』




 陛下はそう、わたくしにお言葉を下さった。光栄だった。幼心に、涙が出るほど嬉しかったことを今でも覚えている。


 とはいえ、伝統を覆すことは一国王であっても中々に難しい――――だからわたくしは、陛下のご期待に沿うための努力は欠かさなかった。妃教育は当然のこと、文官志望の男性たちと同じ試験勉強をし、私設騎士団に混ざって訓練を受けてきた。力では男性に敵わないものの、弓矢の腕だけならわたくしは誰にも引けを取らない。有事の際に、城を守れるだけの力が欲しかったからだ。



『ディアーナは僕よりも余程優秀だね』



 殿下もそんな風に、わたくしのことを認めてくださっていた。それなのに――――。



「殿下! 陛下は本当に、わたくし達の婚約破棄をお認めになったのですか?」


「認めるさ。それが我が国の伝統だ。聖女には、聖女にしか出来ないことがあるだろう?」



 殿下は淡々とそう口にする。胸がズキズキ痛んだ。

 確かにわたくしには病気を治すことも、飢えを満たすこともできない。祈りが神に届くことも、国を護ることも出来ないのかもしれない。



「ですが……」



 わたくしにできて、ロサリア様に出来ないことだってある筈だ。そうお伝えしたかったというのに、殿下はわたくしの前に手を広げ、首を大きく横に振った。



「正直僕は、新しい聖女が現れて安心したんだ」


「え……?」


「これで大手を振って君との婚約を破棄できる。――――ディアーナと一緒に居ると、僕は疲れるんだ」



 そう言って殿下は大きなため息を吐いた。胸が引き裂かれそうな程に痛い。頭の中が真っ白になった。

 殿下は虚ろな瞳でわたくしのことを見つめる。そこには一切の愛情はなく、憎しみにも似た何かが横たわっていた。



「知っているかい? 僕はいつだって、弟や君と比べられてばかりだ。

『あの二人はあんなに優秀なのに。あの二人を見倣え』

――――そう言われ続ける僕の気持ちがディアーナに分かる? 本当に地獄みたいな日々だったよ。

君の側に居ると、僕は責められているような気持ちになるんだ。気持ちが少しも休まらない。辛いばかりだ。

けれど君は、そんな僕の気持ちに気づこうともせず、上ばかり見ている。もっと上に、もっともっと……ってね」


「そ……それは! 殿下の妃に相応しい女性になりたいと思ったからで……」


「そうだろうね。だけど、それが僕にとっては負担だった。このタイミングで聖女が誕生したのは実に幸運だったよ」



 そう言って殿下はゆっくりと席を立つ。侍女たちが淹れてくれたお茶が冷めきって、波紋を描いていた。ティーカップに映った殿下の表情があまりにも冷たい。わたくしは絶望的な気持ちのまま、そっと顔を上げた。



「慰謝料は払おう。だけど、君は僕の妃にはなれない。――――もう二度と、僕の前に顔を出さないで欲しい」



 そう言って殿下は部屋を後にした。残されたのはわたくし一人。涙で前が見えず、しばらくの間、わたくしはその場を微動だにすることが出来なかった。

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