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守秘義務ですから3

 


 執事の朝は早い。

 午前五時に起床し、全体ミーティング。そのあと手早く朝食をとって、ご主人様へ提供する食事の準備をする。


 キッチンはコックの持ち場なので、竹倉さんが全体指揮として見に行く程度だ。

 私たちはテーブルセッティングに加え、お茶の用意などを担当する。



「佐藤、それ違う」



 カトラリーを並べていると、近くで作業していた草下さんにそう指摘された。

 いま私が並べていたのはナイフだ。順番を間違えただろうか、と眠い頭で考えるも、ぱっと見は何ら問題ない。



「それ魚介用のナイフだから。普通のと形違うだろ」


「あっ、本当ですね! すみません……」



 確かによくよく見てみると、普通のナイフよりも刃が薄いし、くびれている。

 今日の朝食では魚料理が提供されないので、これを置いておくのは不適切だ。



「ありがとうございます。教えて下さって……」


「いーえ」



 草下さんは知識があるのはもちろん、基本的に取っつきやすい。一番年が近いから、というのもあるんだろうけれど、勝手に頼りにしている。



「おーい、佐藤」



 と、背後から聞き覚えのある声に呼ばれ、ぎくりと体が強張った。



「な、何でしょう……」


「なにビビってんだよ。葵様が起きる時間だ、行ってこい」



 平然と指令を言い渡したのは他でもない、森田さんである。昨日のことはどこ吹く風、といった様子だ。


 竹倉さんからはクビを宣告されるどころか、小言すらもらっていない。となると、彼は本当に誰にも口を割っていないのだろうか。


 思案顔で「分かりました」と頷き、彼の横を通り過ぎ――ようとした時。



「安心しろ。誰にも言わねえよ」


「な――」



 小声で囁かれた約束に、思わず振り返った。しかし彼は既に背を向けていて、草下さんの元へ歩いていく。

 完全に信じられるわけではないものの、自ら蒸し返したところで進展はなさそうだ。


 ため息をついてから、いやいやそんな弱気でどうする、と頭を振る。

 ひとまず仕事だ。そう思い直し、私は食堂を後にした。



「葵様、佐藤です。おはようございます」



 二階に上がり、葵様の部屋のドアをノックする。

 竹倉さんいわく、葵様は朝が弱くてなかなか起きてくれないらしい。



「失礼致します」



 返事がないということは、まだ眠っていらっしゃるということだ。


 部屋の中に入ると、大きなベッドの上に一つ、小さな膨らみ。すっぽり掛け布団を頭まで被って寝ているようだ。



「葵様、朝ですよ」


「んん……」



 布の上から軽く膨らみを撫で、努めて穏やかに声を掛ける。


 もぞもぞと身じろぎした葵様は、布団から頭を出してゆっくりとその瞼を持ち上げた。

 蓮様と同じ濃紺の瞳が、私を不思議そうに見つめている。



「誰……?」


「昨日ご挨拶申し上げた佐藤です。本日より葵様のお世話をさせていただきます」



 まだ幼い主人に、そう伝えて頭を下げる。

 途端、葵様の表情がパア、と明るくなった。



「もしかして、せんぞくひつじ!?」



 かっ、可愛い――――!

 無垢な笑顔が心臓へクリティカルヒット。思わず頬が緩みそうになるのを堪え、「左様でございます」と答えた直後。



「サトー、抱っこ!」


「えっ?」


「抱っこして! 起こして!」



 寝転んだ状態で「抱っこ! 抱っこ!」と両手を伸ばしてくる葵様に、私は恐る恐る手をかけた。抱き上げようと力を込めるも、これはまずい、とすぐに悟る。

 いくら幼いとはいえ、五歳の男の子。葵様をしっかり支えるには、私の腕力が足りないようだ。



「葵様、申し訳ございません。私が貧弱なもので……」


「やだ! してくれるまで起きない!」



 これは困った。主人の機嫌をこれ以上損ねるのはいただけないし、と首を捻る。

 ぎっくり腰覚悟で一度思い切り抱き上げてみようか。そこまで考えた時、脳内に一つ選択肢が浮かんだ。



「葵様」



 床に両膝をつき、四つん這いになる。

 私の唐突な奇行に、やだやだ、とベッドの上で喚いていた葵様が目を丸くした。



「今から私は馬です。人を上にのせてお運びするのがお仕事なのです。葵様、乗って下さいますか?」



 抱っこは無理でも、背中に乗せることならできるかもしれない。

 きょとん、とした顔で黙り込む葵様に、両拳を上げて「ひひーん」と鳴いてみる。



「……しょーがないから、僕が乗ってあげる!」


「ありがとうございま――ウッ」



 勢い良く私の背中に体重を預けてきた葵様。思いのほかダメージを受けてしまい、喉からみっともない声が漏れた。



「サトー、早く! しゅっぱつしんこう!」


「は、はい……ただいま……」



 ばしばしと背中を叩かれ、返事をしながら必死に腕と足を動かす。

 廊下は平坦だったから良かったけれど、階段が本当に大変だった。とにかく葵様がケガをしないように気をつけながら、慎重にゆっくり降りていく。



「もっと早く走ってよ! サトー、僕お腹空いた!」



 何とか階段を下り切った頃には、息も絶え絶えだ。


 食堂に辿り着いた私たちの姿を視界に入れた草下さんが、ぎょっとした顔で背筋を伸ばす。森田さんはその横で唇を噛み締めて目を逸らした。……あれは絶対に笑いをこらえている。



「葵様、到着です……!」


「まだ! まだ着いてないよ、そこまで運んで!」



 椅子を指さす葵様に、ぜえはあと息を吐き出しながら「かしこまりました」と答えた時だった。



「葵」



 ハスキーボイスが後方から飛んでくる。その声に反射的に固まってしまった私と、背中の上でビクリと震えた葵様。

 つと顔を僅かに後ろへ向ければ、こちらを見下ろす蓮様がいた。



「それくらい自分で歩かないとだめ。いつまで甘えてるの」


「兄さま……」


「ちゃんと立って。歩けるでしょ」



 特別厳しい口調ではない。それでも葵様にとって蓮様の言葉は絶対なのか、渋々といった様子で私の背中から降りていった。

 ようやく重りがなくなり、数秒そのままの姿勢で俯く。そんな私の横を、蓮様がさっさと通り過ぎて行った。


 立ち上がって壁際に並んだところで、草下さんが「大丈夫か?」と耳打ちしてくる。



「だ、大丈夫です。いい運動になりました……」



 草下さんだけに聞こえるように言ったつもりだったのに、すぐ横からくつくつと笑い声が聞こえた。犯人は森田さんだ。



「お前、面白れぇなー……初日からしっかりこき使われてやんの」



 む、と不機嫌を隠さず顔をしかめる。もちろんこれは葵様にではない、森田さんにだ。


 しかしこれは、あくまで序章にすぎなかったのである。



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